Song.3 自宅
放課後。長々と校長が話し、各部活動の功績を伝える全校集会を行っている体育館に恭弥の姿は――なかった。
恭弥がいるのは保健室。
快適な温度を保たれた部屋。使い古されたベージュのカーテンに仕切られたベッドの中。
ふかふかにされた真っ白の毛布にくるまり、眉間にしわを寄せながら体を丸くしていた。
ここで、眠れたのならどれだけよかったか。
ずっと続く痛みが、眠りから遠ざけてしまうのだ。
痛みで頭は覚醒していても、全校集会で話を聞いていられるほどの気力はない。
だから音楽の授業を終えて、そのまま保健室に駆け込むと、見るからに弱弱しい姿に、養護教諭はすぐにベッドを貸し出した。
「失礼するわよー……野崎くん。体調はよくなったかしら? そろそろここを閉めなくちゃいけないんだけど……どう? 帰れる?」
そっとカーテンを開け、養護教諭が顔をのぞかせる。
物音立てず、未だにベッドに埋もれている恭弥を見て、心配そうな顔を浮かべていた。
恭弥はその声で目を開け、枕元に置いておいたスマートフォンをとり、時間を確認すると、時刻は十七時半を過ぎている。
保健室を常習的に使っているために、利用は十七時までであることを知っている。養護教諭が融通を利かせて時間をオーバーしてまで恭弥を休ませてくれていたのだ。
「……ああ。大丈夫、です。俺、帰ります。あざした」
少しは和らいだものの、まだまだ頭がズキズキと痛む。出来ればもう暫く休んでいたい。でも、このまま長居すれば、迷惑をかけてしまう。
早く帰らねば。その思いで何とか体を動かす。ベッドに腕を立てて起き上がろうとしたとき、視界が歪んだ。それでも堪えながら、何とか起き上がる。
「ちょっと、フラフラじゃない! 野崎くんのお家、近いわよね? 家まで送りましょうか?」
「いや、いいですよ。大丈夫っす。帰れますんで……」
人に迷惑をかけてはいけない。
頭を抑えながら、ベッドからゆっくりと出た。ぐらぐらと揺れる視界が正されるのを待つことなく重い腰を上げる。
よろよろしたまま保健室を出ようとしたが、あまりにもふらついているために何度も呼び止められた。しかし、人と会話をする労力が惜しい。養護教諭には悪いが、小さく頭を下げて保健室を後にした。
このまま手ぶらで帰れたらよかったが、自転車の鍵が手元に無い。教室に残されたバッグの中にあるのだ。
体のダルさからかなり億劫であったが、フラフラとした足で何とか教室に向かう。
夕陽が差し込む教室には、まだ友人たちと談笑する人や、一人机で何かをしている人がいた。
しばらく姿を消していた恭弥が教室に戻ってきたことにより、その人達の目が恭弥を捉える。
(俺を見るんじゃねぇよ……)
残っていた生徒の中でも恭弥の席の後ろ、窓際の最後尾に座っていた男子の目が、ギラリと光ったようだった。彼の鋭い目にひるみ、一瞬だけ体が固くなるが、互いにすぐ目を逸らす。
その彼の長い足が机からはみ出していたが、恭弥が来たことでサッと曲げ、邪魔にはならなかった。
全校集会、ホームルームを欠席したことについて、誰も問いかけることも心配することもない。
『またサボりかよ』
『何あれ。男のくせに病弱アピール?』
『友達いないでしょ、あれ。ぼっちキモ』
そんな声が聞こえてくるような気がして、目を合わせることも、口を開くこともないま、まそそくさと荷物を回収して教室を出た。
(さっきの人、ドラムの譜面見てたな……)
ほんの一瞬だったが確認できた姿。あの鋭い目でジッと見つめていた男子の手元に、ドラムの譜面があったことを。
音楽をやっているのか、と複雑な思いを抱えながら、恭弥は学校を後にした。
☆
「ただいまー……って今日もいない、か」
痛み止めを買って帰れば、家は真っ暗だった。
鍵を開けて入ると、シンとした空気が恭弥を迎える。
もう何度も経験した暗闇に、肩を少し落とす。
リビングに向かい、電気をつければ、誰もいなかった理由が明らかになる。
『恭弥へ おじいちゃんのところに今日も泊まります。夜は電子レンジに作っておいたご飯があるから、チンして食べてね おばあちゃんより』
テーブルに置かれた一枚の紙。一緒に暮らす祖母からのメッセージだ。
携帯電話を持たない祖母。入院した祖父のために、毎日病院に通っていたが、ここしばらくは病院に寝泊まりしている。日中に家に帰ってきて家事炊事を行っているようだが、その間恭弥は学校にいるため、顔を合わせていない。
両親はすでにおらず、祖父母が唯一の家族。
その家族と会えていないことが、恭弥の心に影を作る。
「っ……」
気持ちを隠すかのように、自分の腕をさすった。
そしてメッセージが書かれた紙に、『俺は大丈夫だから、気を付けてね』と返事を書く。
このまま置いておけば、翌日祖母が確認するのだ。一言二言書いておかないと、心配されてしまう。それゆえ、いつも同じ内容を書いていた。
(ああ、ご飯……)
恭弥は祖母の作った夕ご飯を温めると、電気をつけることなく、暗闇の中を慣れた様子で進み、二階にある自分の部屋に向かった。
自室の机にご飯を置き、バッグを床にどさりと落とす。
そして力なくベッドに倒れこんだ。
(頭痛い。せっかくばあちゃんが作ったんだから、食べなきゃ……食べないで痛み止め飲んだら腹痛くなるし……)
食欲はない。ただただ頭が痛い。
胃に何もない状態で薬を飲めば、腹痛が起こることを知っている。薬を飲むためにも、これ以上体調悪化させないためにも、たとえ食べる気力がなくても、食べた方がいい。
わかっていても、行動できず、湯気が立つご飯を見つめるだけ。
重い体はなかなか動かせない。でも、手だけなら動かすことができる。
ポケットに入れたままのスマートフォンを取り出すと、すぐにSNSアプリ、『Shabetter』を開く。
公開・非公開の設定をでき、一人で小言をつぶやくことも、大勢に向けて宣伝することも、リプライやダイレクトメッセージを使うことで、コミュニケーションをとることも可能だ。
恭弥は二つのアカウントを使い分けることで、十二分にアプリを活用していた。
画面に表示されたのは、公に向けて宣伝用として使っていたアカウント。
そのアカウント名は『NoK』。フォロー数は三十に対し、フォロワー数は二十万を超えるそれなりに有名なアカウントだ。
三年前までは積極的に使っていたこのアカウントでは、主にAIによる機械音声で唄うAiSを使ったオリジナルの楽曲を宣伝していた。
そのアカウントは、今では全く曲を作っていないため、休止状態にある。それでもメッセージが絶えず送られてくるため、アプリを立ち上げるたびに最初に表示されてしまう。
ログアウトをすればいいものの、再度ログインするために必要なパスワードを忘れてしまったので、そのまま放置していた。
今日も新しいダイレクトメッセージが届いているようだが、一切見ることなく、もう一つのアカウントに切り替える。
アカウント名、『キョウ』。
フォロー数四、フォロワー数四。フォロワーだけが内容を見ることができる非公開アカウントだ。
このアカウントが、恭弥にとって唯一、全てを吐き出せる場所だった。
『だいじょばない。頭痛い。体だるい。しんどい』
『もうやだ。このまま消えてしまいたい』
今日一日で貯めた言葉を、ここに吐き出す。こうすることで何とか自我を保つことができる。
気持ちを吐き出し、大きく息を吐いた。
そしてフォローしている人達の呟きを覗く。どうやら今日は、みんなShabetterを使っていないようだ。新しい呟きは何もなかった。仕方なく、トレンドを見ていたら、画面上部にリプライが来たとの通知が現れる。
『お疲れ様。大変だったね。ゆっくり休んでね』
先ほどの吐き出した呟きに、反応があったのだ。
フォローしあっている『木の葉』というアカウントから。
恭弥が弱音を吐くと、いつも言葉をかけてくれる画面の中にいる唯一の友達であった。
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