第53話 『乳牛の上陸』中断(2/2)
「貴官はこの状況で……圧倒的優位にあるこの状況で、わざわざ自分の階級と所属が嘘でないと示すために、むき出しの顔と手をさらけ出したのかね」
「イエスであります、大佐。そして我々の真意とあなた方の現状を理解していただくためです」
「真意と現状だと……?」
「ええ、そうです。
我々はあなた方と望んで殺し合いをしているのではないということ。できる限り、流す血は少ない量でおさめたいと思っていること。
さらには遺憾ながら……野付半島に上陸したあなた方のオペレーション『
表情を硬くしたのは、ホルターマン大佐以外のCICスタッフ達であった。
ウィルソン艦長などは「まだ負けていない!」とでも言うように顔を真っ赤に紅潮させている。
「………………」
しかし「待て」と制止するようににホルターマン大佐は後方へ向けて片手を挙げた。
彼だけはすべてを察したように穏やかな顔で笑っていた。
「そう……か。そうだろうな」
「中標津空港はすでに穴だらけで使用不能です。何しろここからなら81mm迫撃砲でも届きますからな。
あなたがたのやっかいなミサイル戦力と駐機中の無人機もすべて破壊しました。
増援部隊がこちらへ急行してきましたが、開陽台はなんと言っても丘です。取り付け道路を上がってくる最中に待ち伏せして撃破いたしました。
そしてこの『マウンテン・デュー』も通信指揮機能を失っております」
「……君たちが本艦を鋼鉄の鉄塊として盾にする限り、重砲も爆撃も効果は薄い……まして、我々の存在は人質も同然と言える……」
「はい。誰がなんと言おうと、米軍は人道と人権を尊重する組織です。
味方の多くが囚われていることを知って、攻撃を強行することはないでしょう」
このCICだけでなく艦内の各ブロックで、そして『マウンテン・デュー』の周囲で。
すでに多数の兵員が制圧され降伏し、実質的な人質にとられているのだろうなとホルターマン大佐は思った。
そして━━それはまったくの事実であった。
「仮にあなた方の友軍が犠牲を覚悟で奪回に動いたとしても、我々は十分撃退が可能です」
「この開陽台だけであればそうだろうな。
だが、野付半島の上陸地点についてはどうだ?
我々はすでに2個連隊に匹敵する規模の兵力を展開し、強固な索敵・防空網も備えている。後続も次々とやってくるぞ……」
「この開陽台へ投入されたのは我々第1大隊ですが、自衛隊は我々と同数のパワードスーツ戦力をもう1隊備えております。
彼らは根室近郊に潜伏展開済みです。必要とあれば直ちに戦闘を開始するでしょう」
「……やる気になれば、上陸部隊のすべてを道東から追い落とせるというわけか?」
「ええ、そうです。
ただし、その時は美しい野付半島の湿地帯が鉄と血と油にまみれることになるでしょう。
それは日本国民である私たちにとっても、自然環境に深い造詣があるあなたにとっても、ひどく悲しいことではないでしょうか?」
「ふっ」
白旗をあげるようにホルターマン大佐は肩をすくめた。
こちらのパーソナルデータまですっかり把握されているのでは、駆け引きの余地もなかった。
「確かにな。そんな悲しいことはごめんだ。あの場所は汚されることなく、保全されるべきだ。
君たちの要求は無条件降伏か?」
「いいえ。降伏しろ、と言えばあなた方の国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』によって拒絶される恐れがあります」
「ほう……」
「ですので、私はこう提案します。
大佐、あなたの指揮権をもって『乳牛の上陸』作戦を中断し、行動可能な要員を連れて撤退していただきたいのです……あなたの権限であれば、それが可能なはずだ。こうやって交渉していることも、すべての通信が絶たれた今なら我々だけの秘密にすることが可能です」
「確かに私は上陸部隊の全指揮権限を任されている。
必要とあれば『ハイ・ハヴ』の判断ですら上書きして行動可能だが、合衆国が私以外の人間を指揮官に任命すれば話は別だ」
「その可能性はありますが、とにかく動いていただきたいのです。
それに我々が何もしなかったとしても、野付半島のお味方は安全とは言えません。
あなた方侵攻軍の第1波がこのように撃退され浮き足だっていると知ったとき、国後島は見ているだけだと思われますか?」
「………………!!
つまり、ロシアが我々の背後を突く可能性があると?」
「何の企みもなく、善意だけで国後島や沿海州の領海線スレスレを航行させてもらっているとは、あなた方も思っていないでしょう?」
生かしてやるから部下をまとめて逃げ帰れとだけ言われたなら、ホルターマン大佐は捕虜になってでも拒絶するつもりだった。
第2波第3波の上陸軍がやってくれば、今からでも押し返すことは可能だからだ。
(だが、ロシアが……そう、ロシアが動くとなれば……!)
事は自分ひとりや部下達だけの話ではなくなってくる。
合衆国の侵攻プランが根底からひっくり返るだけではなく、巨大な漁夫の利を提供することにもなりかねない。
(国後島には多数のロシア軍部隊が展開している……豊かな自然に隠されたそれらの戦力は、我々も完全に把握できていない……まして、野付半島は距離が近すぎる……一斉に海岸から重砲を撃たれるだけで我々は全滅するだろう……!)
国後島南部から野付半島までは実に10kmの距離しかない。
冷戦時代からロシア軍が完璧な事前測距を済ませていることを思えば、全砲弾が最初から効力射の必中確実である。
長距離ミサイルなど必要ない。旧式の榴弾砲から戦車砲、さらに重迫撃砲ですら攻撃に参加できる距離なのだ。
(おそらく最初の60秒で100発以上砲弾が降りそそぐだろう。
上陸した部隊はもちろんのこと、揚陸中の艦艇も含めて生き残れるものはいないはずだ……)
もはやホルターマン大佐が決断すべきは数百数千名の安全ではなく、万単位の生死になってしまった。
こんちくしょうめ、と思う。どう考えても大佐レベルに判断させる内容ではない。
「……2つ質問させてほしい」
今すぐ決断を下したい思いをこらえて、彼はどうしても脳裏から離れなかった疑問を口にする。
「まず1つ。さきほど君たちがM4戦車の乗員脱出を見逃したのはなぜだ。武士の情けか?」
「すでに申し上げたことです。我々はあなた方と殺し合いがしたいわけではないのです。
脱出退避する者は決して殺すな、と厳命されております」
「そうか、よくわかった。
もう1つ、君たちはなぜ我々についてそんなにもよく知っている……?
「そちらについては詳細をお答えすることはできません。
ですが……かつて我々は情報戦をひどく軽視し、そしてあなた方アメリカとの情報戦に破れました。
ミッドウェーも、マリアナも、レイテも、フィリピンもニューギニアも。
どれだけ事例を挙げても足りないほどです。さすがに2度も同じ事を繰り返しては、無念の思いを抱いて死んでいった先輩たちに申し訳がありませんので」
「その考え方は中国で言うところの『
「そのいずれとも違います。
大佐、我々の文化では死んだ者は味方であれ敵であれ、神であり仏なのですよ。
つまり神仏となった先輩方がこの戦いを見ているとなれば、なんとしてもしっかりやろうと考える……ただそれだけのことです」
「よくわかった。極東の文化とはかくも多様なのだな」
今度こそホルターマン大佐は決断した。
そして戦時とは思えないような快活な笑みを浮かべて、右手を差し出した。
「君たちの要望を受け入れる。
我々は戦闘による敗北によってではなく、国後島に展開するロシア軍から攻撃を受ける兆候により急遽撤退する」
「感謝します、大佐。負傷者の方々はどうか我々にお任せを」
「ありがとう、少佐。君のような指揮官と戦えたことを誇りに思う。
またいつかどこかで会おう」
それはオペレーション『
24時間後、物資の多くを残置したままで道東へ上陸した米軍部隊は全員が撤退した。
だが敗軍の去った光景にしては不思議なことに、野付半島の貴重な湿地隊や自然あふれる海岸は少しも汚されていなかったという。
第91独立強襲連隊
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