第48話 イエローストーンの記憶
━━2036年4月27日午前4時00分(北海道・日本標準時)
時系列はわずかに遡る。
それは『ニンジャ2035』を纏った全列島即応打撃団第1大隊が、まだ武佐岳の北斜面を駆け上っている頃であった。
「よう、戦友。見張り交代の時間だぞ」
『ああ、そうか。やっと休めるぜ……ふ、お。
くそったれめ、時差ボケなところに夜明け前の見張りなんぞ、眠いのなんのって……』
「ははは、ゆっくり寝とけ。起きた頃には戦争なんて終わってるかもしれんぞ」
アメリカ合衆国海兵隊・第91独立強襲連隊
(親父はレバノンからの不法移民……お袋はシリア難民……どんな差別も苦難も、俺の両親が受けた屈辱や恐怖に比べれば軽いもんだった……)
薄い褐色の顎に生えた無精ヒゲを撫でながら、スミス伍長は20時間ぶりの休憩に入る戦友を見送る。
気温わずか数度の冷たい風が吹き付けた。南部生まれであれば震え上がるような寒さも、ワイオミング州で育った彼にとっては「4月でこの寒さは故郷とそっくりだな」と感じるだけだ。
「ほう、空の景色までうり二つじゃないか。デネブ、アルタイル……そうか、ここはイエローストーンと緯度が同じくらいなんだな」
元は海軍の船乗りを目指していただけあって、天の海図はスミス伍長にとって慣れ親しんだものである。
もっとも、不法移民の子として温情処置で永住権を付与された彼にとっては、入隊できる軍を選ぶ余裕はなかった。
2020年代後半より劇的な整理合理化が進んでいた海軍に空きはなく、汗と砂と血にまみれる海兵隊になることは必然だったのかもしれない。
(ほんの数年前は薄給の
こうして最前線で合衆国に貢献している。息子の俺に海兵隊の軍歴と市民権があれば、親父もお袋も堂々と生きていけるってものさ)
うっすらと地平線が明るくなり出した。なんとも景色のいいところだ、とスミス伍長は思う。
この
(少し目をこらせば……昨日占領したばかりの空港だって見えるんだ……
チカチカとフライトライトを点滅させながら離陸した機がいた。
おそらく哨戒用の無人機が交代するのだろう。
深夜早朝は元より、24時間絶え間なく周辺監視にあたる哨戒任務に無人機はうってつけだ。
かつてはアメリカ本土からリモート操作していたが、今ではパイロットすらいらない。人工知能が敵の発見と対処まで自動的にやってくれる。
ざっと数百人の遠隔操縦士がいらなくなったと聞いて、スミス伍長は驚愕したものだ。
(それだけじゃない……この『マウンテン・デュー』に搭載されている電子機器、レーダー……さらに戦車1輌のシステムまで、すべて人工知能と結合している。
俺の
片目を覆うように展開されている多機能ディスプレイと喉に張り付いた咽頭マイクパッドを撫でながら、スミス伍長は合衆国の軍隊こそ最強だという思いを新たにした。
「おっと?」
その時だった。北側の山へむけて振り向いた時、雄大な牧草地帯に何かが走ったように見えた。
(なんだ……動物か? フォックス? 日本にいるというあのkawaii生き物のタヌキか?)
頭の中の疑問符をまとめる前に、彼が装備している
それは牛の集団という判断だった。
おいおい、とスミス伍長は思う。
こんな夜明けに牛がうろうろしているものか。しかもかなりのスピードでこちらへ近づいてきているように見える。
(まるで……)
バッファローの群れの突進のようだ、とイエローストーン国立公園の自然ガイドをしていた頃の自分が言う。
多機能ディスプレイの映像をズームした。
不思議だ。真っ黒で大きな物体がたしかに走っている。だが、牛には見えない。
(この辺りにいるという熊か? だが、どうも変だ……たとえ熊であっても、あんな集団で走るもんか……?
俺が間違っているのか……人工知能が間違えているのか……どうする?)
米軍の誇る人工知能━━すなわち国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』の判断を覆すことは、決して軽い行いではない。
だが最前線の兵士にはその任務の限りにおいて、人工知能よりも強い判断を下す権限が与えられている。
「
部隊に警ほ━━」
それは、彼が英雄になれたかもしれない瞬間だった。
人工知能による誤った判断を正し、いち早く部隊に警報を飛ばした大功績。
戦友の命は救われ損害は抑制され、司令官から表彰を受けたかもしれなかった。
故郷の両親は涙ながらに喜び、コミュニティ・チャンネルは彼にインタビューをしたはずだった。
その時、はにかみながら彼はインタビューに答えただろう。
すべては良き移民として、いえ市民として合衆国に貢献するためです、と。
(!? なんだ、あの長いものは!?
やはりあれは牛じゃない! 人型の物体がこっちに向かって何かを構えているぞ!?)
彼は━━もはや99%、敵の正体をつかみかけていた。
だが、わずかに遅かった。恐らくコンマ数秒の差であった。
「ぐ、ふ、ごっ……!!」
人工知能の判断を上書きし、見張りとしての権限で部隊へ警報を飛ばそうとした瞬間、彼の喉に銃弾がかすった。
しかし、それは拳銃弾ではない。12.7mmの大口径弾である。
かすっただけでも肉は吹き飛び、強烈な衝撃が人体を破壊する。
「かっ……!!」
頸動脈が激しく傷ついていた。口に、そして肺と胃袋に鮮血が流れ込む。
苦しい。熱い。何をされた。撃たれた? 敵か? 戦わなければ! 戦友を守らなければ!
「オヤ……ジ……オフク……ロ……」
壊れた水道栓のように流れ出す血液と共に、スミス伍長は最期の言葉を発するとその場に崩れ落ちた。
彼の心拍異常を検知した人工知能システムが『個人に異常発生』の通知を飛ばす。
だが、まだ部隊の警戒レベルは戦闘態勢ではない。
それはあくまで突然の体調不良を想定したものだった。
『おい! スミス! どうした、何があった! おい!』
「………………」
戦友が駆けつけてきたが、スミス伍長はもう喋ることはできなかった。
それが日本侵攻戦において、アメリカ合衆国軍が最初に出した犠牲者だった。
浪費した時間はせいぜい数十秒に過ぎない。
だが、人工知能による認識をあざむき、高速で突進する襲撃者たちには十分すぎる時間だった。
太陽がついに地平線から顔を出す。
そして、スミス伍長の殺害と陸上脅威の警報が発せられる前に、北東方向からミサイルの接近が探知された。
『ミサイル警報!』
『歩哨中の隊員が異常を報告しました!』
『警戒せよ! 対空迎撃準備!』
徹夜シフトのCICオペレーター達は瞬時に覚醒し、ベッドで仮眠を取っていた者たちは飛び起きて、戦闘態勢へ移行する。
しかし、彼らはもっぱら空を見ていた。
ミサイルよりも警戒すべき存在が、よりによって動物に誤認されて地上から迫っているなどとは、誰一人考えていなかった。
そう━━国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』ですらも。
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