第47話 その人工筋肉はガソリンを食う

 ━━2036年4月27日午前3時00分(北海道・日本標準時)


「今来た! さて、敵はもはや勝ったつもりでいる。勝ったようだと思っている。勝ったに違いないと勘違いしている。

 俺たちの仕事は優しく丁寧にそれを正してやるだけだ。

 以上、作戦説明おわり」


 その作戦説明はわずか3行。

 真っ暗闇の中を電動マウンテンバイクで到着した陸上自衛隊・全列島即応打撃団の第1大隊長、良然らぜん金時3佐のあまりにもシンプルな言葉に、道東・川北温泉の休憩所に集合した隊員たちは驚くよりもどっと笑い転げた。


「ええい、静まれお前ら。声が敵無人機のセンサーに探知されたらなんとする」

『お言葉ですが、隊長。ごらんの通り、外はびゅーびゅーと大風です。ここで隊歌でも熱唱せん限り、敵の音響センサーには届かんと思いますが』

『おまけにすぐ側にはアツアツ60℃のナトリウム・塩化物源泉垂れ流し。サーモセンサーにはここら一帯、真夏のように映って訳が分からんことでしょう』

『さすが温泉マニアの宮野中隊長殿だ』

「ああ、そうか。それは結構だな。

 だが用心には用心だ。いいか、これから詳細説明を続ける。

 心静かに聞くように、な」


 川北温泉は中標津なかしべつ市街地の15kmほど北方に位置する、山間の小さな秘湯である。


 本州の著名温泉地のように無数の旅館が林立しているわけでもなく、管理人すら常駐していない無料温泉だ。

 湯船自体も近年に拡張工事がされるまではほんの数名入れるかどうかという狭さであり、周辺の森は熊だらけ。国道から悪路の林道を何キロも走ってようやくたどり着ける秘湯だが、2020年代に外国人観光客を当て込んだ施設整備拡張がなされ、数十名が休むことができる見事な畳敷きの休憩所がそなわっていた。


「さて大隊長の俺以下3名の到着が遅れたが、これで我が第1大隊の第1・第2中隊……つまり、戦闘部隊25名全員がそろったわけだ。

 どうだ、装備の点検は問題ないか?」

『いつでもいけますよ。大隊長たちの分もばっちりです』

『温泉の硫黄が電子回路に悪さでもしていなきゃ、ですがね』

「はっ、このくらいで壊れるようなら、試験でとっくに落第しているさ。

 よろしい。現時刻をもって作戦詳細を開封する━━全員注目せよ」


 腐った卵のような温泉臭の中で、小さな電球1つだけが灯る休憩所。車座であぐらをかいた隊員たちが、個人用端末の画面をにらむ。

 良然らぜん3佐の操作によって作戦詳細の開封が許可され、各隊員が内容を閲覧できるようになったのだ。


「見ての通りだ。

 敵陣へ夜明け前の奇襲。どうだ、日本人冥利に尽きるだろうが」

『これ立案したの隊長じゃないっすか?』

『趣味が丸出しなんですけど。

 なんですか、この厨二病な作戦名『払暁一閃・地平線に勝利を刻む』って』

「作戦名はどうでもいい! この作戦はお前達が思っているほど簡単ではないぞ?

 敵も奇襲への備えはしているだろう。そこにたった25名の我々で突っ込むわけだ。

 恐ろしくなった者は辞退してもいいんだぞ。

 正直に言え。作戦離脱を希望する者は挙手せよ」


 砕けた口調ではあるが、良然らぜん3佐としては精一杯の配慮であった。

 ところが手を挙げる者は1人もいない。

 そして無茶を強いられた時の硬い表情をしている者もまた皆無であり、誰もがニヤニヤと気持ち悪いほど楽しそうな笑みを浮かべている。


「お前ら……これは実戦なんだぞ? 特攻みたいなものなんだぞ?」

『隊長こそぉ、口が緩みっぱなしですよ』

『俺たちは体当たり攻撃をしに行くわけじゃないでしょう? むしろ、みんなアレ・・の威力を実戦で試したくて仕方ないんだ』

『作戦離脱どころか抜け駆けを許可してほしい気分なんですが』

「いらん心配だったようだな……よぉし、では決まった!

 直ちに武佐岳むさだけを踏破し、開陽台を占拠した敵超大型ホバークラフト艦を叩く!

 総員着装せよ!」


 良然らぜん3佐の号令一下、25名は一斉に服を脱ぎだした。

 もちろん、彼らは変態ではない。健全な肉体に健全な魂が宿った陸上自衛隊最強クラスの精鋭たちだ。


 シャツもズボンも投げ捨てると、彼らは上下が一体化したメッシュスーツ姿となる。

 モータースポーツのたしなみがあるものならば、それが革ツナギ━━いわゆるレーシングスーツの中に着る特別なウェアであることに気づいただろう。


「それっ」


 繁華街へ繰り出せば異常者の集団として通報されそうな格好の25名が一斉に休憩所から飛び出す。

 そして彼らは迷うことなく恥じるともなく、駐車場に並んでいる民間仕様そのままのハイエースバン10台へ取り付いた。


 広大な車室に納められているのは、もこもこと太った着ぐるみのような物体であった。

 変態集団は手慣れた動きで着ぐるみの中へ収まる。ぬめぬめと妙になまめかしい音がして、ジッパーを動かすこともなく開口部が閉じられる。


『ノード1、着装完了』

『ノード13から24まで、第2中隊着装問題なし!』

「こちらはノード0、大隊長の良然らぜんだ。総員、人工筋肉およびエンジンを始動せよ」


 コミカルホラーのような光景であった。

 真っ黒でふわふわのもこもこにしか見えない巨大な人型の着ぐるみが、一斉に両眼へ赤いライトを灯す。


 シュウゥゥ、という過給音とわずかなオイル臭、そして排気ガスの匂いがした。

 地面を巨人の足が踏みつけているかのような重低音がハイエースバンの車室で反響する。

 だがその絶対音量は意外なほど小さく、山野を揺らすには至らない。


『暖気運転終了しました』

『第1および第2中隊全ノード、ヘルスステータスに問題なし』

『昨日敷設した光ファイバーケーブルは良好。盗聴の様子なし。知床の支援中隊への通信確立』

『現在時刻午前3時45分……作戦開始時刻変更なし。カウントダウン……5、4、3、2、1……今!』

「これより『払暁一閃』作戦を開始する!」


 超近距離通信で良然らぜん3佐が宣告すると、作戦開始信号が知床半島に展開している支援部隊の第3中隊にも送信された。

 厨二病丸出しの長い作戦名を半分ほどに省略したのは、あくまでも現場判断に過ぎない。


「35式個人用外骨格人工筋肉ユニット『ニンジャ2035』、全機出撃せよ!」

『第1中隊長、ノード1。先陣を切る! てめーら、ついてこい!』

『第2中隊も遅れるな! ノード13から24、行くぞ!』


 真っ黒でふわふわのもこもこにしか見えなかった着ぐるみがその全貌を表した。


 それはマッシブな人工筋肉の塊である。

 肩や肘、膝には硬質のプロテクターパーツを装着しているが、全体の質感は膨れ上がった筋肉の塊であった。中にいる人間は、その指先と顔までもがすべて人工筋肉の鎧に埋没している。


「行けえ! 突っ走れ! 突っ切れ!」


 第1中隊12名が先鋒となり、さらに大隊長のノード0━━すなわち良然らぜん3佐を挟んで第2中隊が続く。

 総勢25名の単縦陣である。だが彼らが突っ込むのは標津町の国道へ戻る北向きの道ではなく、いかなる人道も、登山道も、獣道すら怪しい山岳地帯だった。


 敵目標が鎮座する開陽台との間にそびえる標高1000メートルの武佐岳へ直線ルートで進むように、『ニンジャ2035』の25ノードは突っ走る。


 道なき道は彼らを止めることはできなかった。

 その跳躍は15メートルを超え、足の指はほんの僅かなくぼみ1つで全身を支える。

 サーモ・レーザー・レーダー複合センサーは前方の障害物を自動で認識し、勝手に回避運動をとりながら進撃速度を維持する。


(さながら航空機の地形追随飛行を真夜中の山でやっているようなものだな……)


 訓練で何度も経験しているとはいえ、技術の驚異に良然らぜん3佐は戦慄する。


 だが、後に続く者はまだよい。

 先頭を進む者にとっては眼前に大木の幹が、大岩が次々と現れては急接近して来るのだから、まさに恐怖の連続だ。

 第1中隊長のノード1、宮野1尉が頭のネジが吹き飛んだタイプのバイク乗りでなかったら、あっという間に悲鳴をあげていただろう。


『人工筋肉ユニット、内蔵カロリーをまもなく使い切ります』

『さながらバッテリー切れ警告ってところですな』

「総員、ガソリン供給開始!」


 うっすらと筋肉の隙間から揮発したガソリンの匂いを誰もが感じた。


『ニンジャ2035』最大の特徴はその人工筋肉にある。

 それは細胞としての成り立ちそのものが人間の筋肉とは違う。


(この人工筋肉……『34式多燃料対応筋細胞装置』はガソリンを食う!)


 電力でもなくブドウ糖でもなく、ガソリンを動力源として稼働する人工筋肉。

 それが35式個人用外骨格人工筋肉ユニット『ニンジャ2035』を構成する主素材なのだ。


 その体積あたりの筋力は平均的な成人男性比で少なくとも30倍を超え、小口径の銃弾ならば筋肉だけで防護できる。

 そして銃弾が防護可能ということは、榴弾や多目的砲弾の炸裂断片に対しても高い耐久性を持っているということだ。


『燃費は想定通りです。巡航移動モードであと2時間、戦闘モードで15分の稼働が可能』

『ノード1、武佐むさ岳の山頂到達! これより大走りに移る!』

『現在時刻は午前4時00分! まもなく地平線が明るくなります!』


 富士山斜面の大砂走りを駆け抜けるように、第1中隊が大走りへ移って斜面を駆け下りていく。

 武佐岳山頂は中標津方面へ続く登山道もあるため、さらにペースは上がった。


「作戦計画変更なし! このまま敵へ突っ込む!

 第3中隊、予定通り120秒後に装備を射出せよ!」


 良然らぜん3佐は武佐岳山頂に設置された固定通信回線ユニットへ人工筋肉の腕を隣接させて、最終通信を送った。


 ここからは停戦命令でも出ない限りは完全独立行動である。

 後方の第2中隊が彼を追い抜いて、大走りを始める。


 見上げれば銀河そのものが降ってきそうな星空。地平線の近くにはアンタレスが皓々と輝き、天頂にはベガがその存在を主張する。

 だが、まもなく夜の時間は終わるのだ。すでに太陽の光が漏れ始めている。

 あと30分もすれば、大いなる太陽の姿が現れる。


(迎撃の兆候なし! 絶好ォ!! 奇襲は成った!)


 警戒センサーはいかなる索敵と照準の様子も探知していない。

 空中には米軍の無人機が展開していたが、まだ動く様子はない。


「行けぇ! 行けぇ! 山を駆けおりたら、牧場を横断して開陽台へ突入せよ!!」


 敵の「勝った」という確信よりもさらに強い「成った」という確信を持って、良然らぜん3佐は勝利の手応えを掴んだ。


 ヒグマよりは少し小さく。しかしエゾジカよりも素早く。

 人工筋肉の塊が25、武佐岳の南方斜面を駆け下りていく。


 開陽台に鎮座するずんぐりとした葉巻状の物体がどんどん大きく見えてくる。

 言うまでもない、敵潜水強襲エアクッション揚陸艦SLAA『マウンテン・デュー』の巨体である。

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