第46話 オペレーション『乳牛の上陸』(1/3)

 ━━2036年4月26日午後2時30分(北海道・日本標準時)


「まったく実に美しい景色だ」


 野付のつけ半島。

 道東の海岸から、太平洋へ向けて稲の穂を垂らすように突き出たこのクチバシ型半島は、狭い場所で100メートル以下の幅しかない。


 砂嘴さしと呼ばれる特殊な地形であり、太平洋側は国後島を眼前に臨むことができるが、内海側━━つまり、北海道側の野付湾は母鳥がヒナを抱え込むような地形となっており、豊かな湿地帯が広がっている。


「戦争などやらないにこしたことはない……こしたことはないが!

 どうしてもやらねばならないのなら完全無欠な奇襲上陸を決め、あっという間に終わらせる。

 それこそがもっともスマートな戦争というものだ。そう思わないか?」


 アメリカ合衆国海兵隊・第91独立強襲連隊『白鯨』モビー・ディック司令官のホルターマン大佐は潜水強襲エアクッション揚陸艦SLAA『マウンテン・デュー』の艦上で目を細めながら、そう呟いた。


(まさか……再び合衆国海兵隊に貢献する日が来るとは……そして、それがまたしても上陸作戦とはな)


 ホルターマン大佐はかつての対中戦役において、南シナ海のファイアリー・クロス礁━━中国人が呼ぶところの永暑島ヨンシュダオへ上陸を敢行したベテラン指揮官である。


 その数年後、子供の頃からの夢を果たすべく合衆国海兵隊を除隊して故郷の大学院で自然学の研究に明け暮れていたが、半年前に突然再任用の連絡を受け、14年前と同じ立場で上陸部隊の指揮官となったのだ。


『感慨に浸っている暇はありませんぞ、大佐。

 第3中隊は直ちに下艦し、後続部隊の受け入れ準備をします』

「ああ、分かっている。急いでやってくれ。

 相変わらず君は仕事に熱心だな、バロウズ大尉」

『なあに、14年前に比べれば息抜きのやり方も覚えました。

 まして大佐と一緒に再び上陸作戦ができるのです。やる気が違います』


 ファイアリー・クロス礁上陸作戦の際は新米少尉だったバロウズ大尉はにんまりと笑うと、口早に艦内の部隊へ指示を飛ばしはじめた。

 陸に打ち上げられた潜水艦にスカートをつけたような『マウンテン・デュー』の艦尾が大きく開口し、トラックや戦闘車両を吐き出しはじめる。


『野戦指揮所機材、展開急げ!』

『こちら第91独立強襲連隊『白鯨』モビー・ディック。通信初期ネゴシエーションを開始。

 秘密コードは義足の船長エイハブ、公開コードは一等航海士スターバック。8192bitにてエンコード後、ハンドシェイクへと移行する』

『対空警戒を広域複合管制へ移行する。国家戦略人工知能システムの全面的な支援をアクセプト』

『クロスナー中尉! ヘンリー中尉! 仮設桟橋の設置が完了したら、順次後続部隊の受け入れだ!』

「うむ、順調だな……ところで大尉、ここの内海側の湿地帯は非常に貴重なものだ。兵たちが踏み荒らすことのないように、よろしく周知してくれ」

『分かっております』


 トラックのエンジンサウンドとブーツが砂地を走る音がこだまする中で、ホルターマン大佐はハラハラしたようにバロウズ大尉へ言った。


「揚陸部隊の接岸は太平洋側からやるんだぞ。ここにエンジンオイルの30オンスもぶちまけて見ろ。我々は一生、北海道の住民から恨まれるぞ」

『分かっております、分かっておりますとも。

 ……大佐は14年の間にずいぶんと自然派になられましたな?』

「中国人がコンクリートで固めてしまった珊瑚礁とは違うからな。神経質にもなるさ」

『ははははは! 了解であります!』


 上陸作戦の経験において、アメリカ合衆国海兵隊は世界一である。

 と言うより、比べられるレベルで上陸作戦を実行したことのある国家がもはや世界に存在しないと言ってもいいだろう。


 無数の演習と大量の実戦経験による教訓が組み合わさったその作業は、もはや芸術品であった。

 あらかじめ事前偵察で把握していた予定地に対して、迅速に重機材が展開されていく。


 野戦レーダー、対空システム、大型の通信アンテナを備えた指揮所。

 無人機とヘリコプター用の600メートル滑走路は、野付半島の先端へ伸びるごく普通の道路へ複合素材のマットを並べただけのものだ。仮設の浮桟橋がにょきにょきと国後島側へ伸びれば、小型の艦船ならば直接接岸できる港となる。もちろん、海底の深さも事前調査に抜かりはない。


『いかがです、内海側はまったく使用しておりませんが』

「うむ、素晴らしいぞ、大尉。後はゴミの投棄などないように徹底させてくれ」

『了解いたしました。

 ……まあ、大佐には言うまでもないでしょうが、湿地帯など上陸部隊の展開にはむしろ障害ですからな。内海側は陸から撃たれた時にも面倒です。もとより使う理由などありませんでした』


 それは不思議な光景だった。米海兵隊の上陸部隊が大がかりな拠点を築きつつあるすぐ傍らに、ラムサール条約に登録された雄大な湿地帯がひろがっている。

 平時であれば、打瀬船うたせぶねと呼ばれる小型船がエビ漁に精を出し、アザラシが海面に姿を見せる海面にはわずかな波が立っているだけだ。


 双眼鏡を眺めれば、北海道本島側の港に観光船の姿も見える。

 だが、そこで動く人々の姿はない。周辺一帯の住民はすでに釧路や網走へ退避済みなのだ。


(この世界は美しい……そして偉大だ。

 人間同士の戦いなど、知ったことではないのだ)


 自然学者としての自分が「絶対にこの美しい景色を汚してはならないッ」と決意する。

 同時に、軍人としての自分が「一番乗りに敵本土上陸を決めた以上、この戦争そのものを俺が終わらせてやるッ」と叫ぶ。


(その両立ができてこそ、世界最強アメリカ合衆国海兵隊!)


 後続部隊の輸送ヘリコプターがぞくぞくと到着して、多数の兵員を吐き出した。

 彼らはやはりヘリコプターで吊されてきた装甲車に乗り込み、発進準備を終える。


 トラックは牽引式の榴弾砲をラッチングし、汎用戦闘車には対空・対地ミサイルユニットがボルトオンされる。

 さらに空を警戒するのは多数の無人機クラスターである。攻守とも万全に思えた。


(いや……これだけでは足りない)


 もし、敵が完璧にアンブッシュした迎撃戦力を展開していたら?

 山野に伏せた歩兵が重ミサイルを放ったら?

 たちまち全滅の憂き目に遭いかねないだろう。


(何が待ち構えているか分からない敵地へ侵攻するには陸の『王者』が必要なのだ!)


 すなわち最前面に『王者』が随伴してこそ、侵攻軍は完全無欠な存在となる。


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