第45話 白鯨は海中より浮かび上がる
━━2036年4月26日午後2時00分(北海道・日本標準時)
『隊長、見えました! 国後島近傍に巨大な潜水物体の航跡を確認!』
「マジか……本当に来やがったのか」
陸上自衛隊の第302沿岸監視隊をたばねる柴橋
(情報は本当だった! 敵はいの一番にここに来る!)
知床半島・
それは国後島沖合数キロ地点の海上。ざわざわと白い航跡を引きながら驀進する『何か』が映っている。
そう、それはまだ『何か』であった。
なぜなら海上を航行する艦ではないからだ。もちろん水上飛行機の類いでもない。
はっきりと目視することはできない。
だが、水面下わずか数メートルの位置に間違いなくそれはいる。
その航跡がざわざわと海上に波を立てている。
「なんてこった!」
柴橋竜二2等陸佐が頭を抱えたのは、敵との交戦が想定されるからではなかった。
というのも彼の兄である柴橋竜一2等空佐は、かつて対馬の北端にある
(なんなんだこりゃ! 俺ら兄弟は敵さんを最初に発見する呪いでもかかってるのか!?)
すなわち、兄と弟がそろって「敵艦みゆ」の第一報を発する立場に置かれたのである。
これは果たして名誉だろうか? 最前線の緊張の中でそんなのんきなことを思える者がいるとすれば、英雄になれる素質があると言えるだろう。
「くそったれがあ……こりゃ覚悟決めるしかねえか……俺もやってやるぜ、
『隊長?』
「ああ、気合い入れる儀式だ!
市ヶ谷にデータは飛んでるな? 通信も打電せよ!『我、国後島沖ロシア実効支配領海に敵潜水物体を発見。監視を続行し、退避準備を進める』、だ!」
『国後島の北方から米軍機と思われる飛行物体が多数飛来!
反射パターン……無人機らしき小型機が58! 極低反射のステルス機らしき物体16!』
第302沿岸監視隊の本拠地である
だが、その眼前にはいわゆる『北方領土』の中でもっとも北海道に近接した国後島が巨大な存在感を誇示している。
それはもう、でかでかと見える。まったくもって、目の前に見える。
(見えて当たり前だ!)
なぜなら国後島の面積は沖縄本島より大きいのだ。
択捉島にいたっては、さらにその2倍もある。
これほど巨大な島が北海道からせいぜい数十キロの地点に存在しているのである。
海洋利権や領土意識を抜きにしても、長年日本政府と関係者が返還を求め続けた理由も分かろうというものだった。
『敵飛行物体、国後島領海線ぎりぎりを飛行しています。
無人機と思われる集団はさらに接近!
『国後島ロシア軍基地には動きなし。通信も息を潜めています』
「副隊長、周辺住民の退避は完了しているんだな?」
『ええ、道東沿岸の住民は網走・釧路・北見へ退避済みです。
もっとも自由意志で地元の避難所に残った者もおりますが』
全島退避が間に合ったかつての対馬はなんと幸運だっただろうか━━そんなことを他人事のように考えながら、柴橋
いまや柴橋2等陸佐をはじめとした居残り組以外は、分屯地の全隊員が国道272号線を中標津町へ向けて疾走しているはずだった。
「まあ無防備都市宣言している地域をめちゃくちゃにする敵さんでもないだろうが……住民に何かあってなんか言われたら、腹の1つも切るつもりでいようや」
『ははは、やっぱり「自衛隊は住民を見捨てて逃げた」と言われてしまうんですかね』
「負けたらな。謹んでそう言われるとするさ。
軍隊なんてのは勝って初めて「あれは戦術的撤退というものだ」って言い返せるのさ━━おい、吉田2士! 加賀1士! おめーら未熟者は邪魔だ! とっとと出て行け! 俺のランクル使っていいぞ!」
居残り組の中でもとびきり若い10代の2人に愛車の
逡巡するように顔を見合わせる2人の尻を古参の曹長がひっぱたいた。やがて野太いマフラーの音が分屯地から遠ざかっていく。
「へっ、いかにも民間車両だったら、やつら自慢の
『しかし、隊長。無人機くらいトラック部隊が持って行った機関銃と
「何十どころか何百いるか分からない無人機を全部撃ち落とせるか分からないだろ。
それにスタンドオフミサイルが高速で飛んできたらそれまでだしな。
まあ……退避中の部隊は半分くらいやられるかもしれんな」
『それでマイカー持ちの隊員は自分のクルマに乗せて退避させたんですか』
驚きの顔で訊ねる副隊長の3尉に対して、柴橋2等陸佐は「内緒だぞ」とにんまり笑った。
(もちろん、軍民問わず車両を温存したかったのもあるが……民間人を偽装しているようで嫌な気分だな……途上国のクソゲリラじゃあるまいし……)
自衛隊員が民間車両そのものに乗り込んで退避し、結果として敵の目を欺く。それは住民の列の中から銃を乱射し、ロケットを撃ち込むようなやり方だと柴橋2等陸佐は思った。
けれどそれで1人でも多く隊員の命が救えるというのなら、いつか責を問われた時はハラキリでも何でもしてやればいい、とも思う。
(国民を守るのは大切だ。絶対の任務だ。だが、自衛隊の隊員だって1人1人が国民なんだ。
つまり国も守る。隊員の命も守る。そこまでやらなきゃ一流じゃないってことだ……そうだろう、竜一
かつて対馬で敵の来襲を見届け、そして居残った全隊員の退避を成功させた彼の兄を思いながら柴橋2等陸佐は額に浮かんだ汗をぬぐった。
『敵潜水物体浮上! 沿岸の監視カメラが捉えます!
これは……! あっ、スカートがあります! 艦尾に大型ファンも確認! ホバークラフト艦です!!』
『敵無人機、ホバークラフトと思われる艦の周辺へ集まっています!』
『1号および3号監視カメラに攻撃! 破壊されました! 残存のカメラにて監視体制を維持!』
『敵ホバークラフト、速度あげた! 速い! およそ70km!』
『まっすぐ南下して、
「けっ、こいつはいよいよもって間違いなさそうだな……」
海上は平穏で、そして空はよく晴れていた。
深夜の大雨が嘘のようである。気温は急上昇していく。
道東の4月とは思えない気温16度。今年は暖冬だったことも相まって、山野を覆い尽くすような雪もすっかり溶けてしまうだろうと思われた。
(朝鮮半島の戦いでは……暖冬だったもんだから雪がなくて統一朝鮮軍は苦労したって話だが、ここでも天気は俺たちの味方じゃなさそうだな)
大雨のあと路面や土壌が乾くスピードを計算し、最悪の場合はぬかるみと雪の中を徒歩で撤退することまで想定しつつ、柴橋2等陸佐は考える。
沿岸監視カメラに映る敵のホバークラフト艦をにらみつけながら、これから1人でも多くの隊員達をどう生かすのか、必死で思考しつづける。
「
『ええ、住民の説得と退避が精一杯で……道路障害物や地雷も間に合いませんでした』
「仕方ないさ。絶対にここへ来ると分かっていたわけじゃないからな」
北海道の東岸からほんの5km程度、半島状に太平洋へむけて飛び出しているに過ぎないが、カーブをえがいている関係からその海岸線は20km弱もあり「ちょっと端まで行ってみようか」と立ち寄る北海道ツーリングライダーの予定を狂わすことで定評があった。
「しかし、敵さんの艦はでかいな……潜水ホバークラフト艦とは恐れ入ったぜ……」
『我々も使っているLCACとは比べものになりませんな』
「全長だけでも150メートルはあるぞ……だが、幅は細いな。
おそらく、ぎりぎり二車線道路が通れる大きさになっているんだ。こいつはマジのマジに陸上へ突っ込んでくるつもりだぞ」
全周へスカートユニットを展開し、艦尾に露出した大型ファンを回転させるその巨体の周辺には強烈な白波が立っている。
上部から吸い込んだ大量の空気を、海面へ吹き付けているのだ。
その姿こそ異様といえども、駆動方式は紛れもなくホバークラフト艦だった。
『野付半島先端に、敵ホバークラフト艦上陸!』
さすがにどよめきが起きた。わずかな工作部隊を除けば第2次世界大戦終戦以来、はじめて敵国の軍隊が日本本土へ上陸した瞬間である。
(さあて、やっちまった。いよいよ始まっちまった。ここからが本当の戦いだ!)
柴橋2等陸佐の思考回路が切り替わる。
今や沿岸監視隊としての彼らの役目は終わったのだ。これからは上陸軍との交戦が始まるのである。
しかも、相手は世界最強の軍隊だ。
もっとも進歩したテクノロジーと軍組織すべてにおいて統合された人工知能による指揮能力を持つ、人類の生み出した暴力装置の極限である。
『国後島沖に大型ヘリの編隊および海上艦を確認!』
『敵無人機が一気に突っ込んできます! 本基地にも来る!』
「総員退避! 所定の計画に沿って、3グループに分散せよ!」
標津分屯地の戦いはこれで終わった。
30秒後、無人機編隊による熾烈な攻撃を受けた分屯地施設は、その監視・索敵・通信機能も含めて一切を喪失した。
3台の高機動車に便乗して緊急脱出した柴橋2等陸佐たちも、やはり無人機による襲撃を受け5名の死傷者を出した。
その中には柴橋2等陸佐自身も含まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます