第44話 日本人の民族的特性

 ━━2036年4月26日午前12時00分(東京・日本標準時)

 ━━2036年4月25日午後10時00分(ワシントン・アメリカ東部標準時)


「さすがにやるわね。けれど、作戦目的は達成しているわ。これで日本は保有している長距離・中距離対空ミサイルの80%を使い切った」


 S・パーティ・リノイエには特権がある。

 それは国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』へ人間の五感ではなく、データレベルでリンクする特権だ。


 すなわちそれは、彼女の欠損した身体を補うために埋め込まれた電子演算ユニットによって、コンピューター・システムと通信を行うことである。

 むろん人間の脳はコンピューターのシステムバスではなく、人間の思考はプログラムのアセンブリ言語ではない。


(だから私の脳内に流れてくるのはあくまでも単純化され……そして、1千万分の1まで減速された『記号』としての神経電流に過ぎないわ)


 視覚を失った者の脳に対して、カメラの画像データを神経電流に変換するテクノロジーと基本的には同じものである。


 だが、その目標が違う。

 娘たるハイ・ハヴ・百京クインテリオンがヒトと機械の融合たる機人・・と呼んだように、S・パーティ・リノイエが使用しているのは『失った能力の代替』ではなく『人間以上』を目指したテクノロジーである。


(たとえそれがコンピューターの処理能力に対して、1千万分の1以下というちっぽけなものであったとしても……)


 それでも熟練のプログラマーがEmacsあるいはViエディタを開いて、コードを読むよりは遙かに早い。

 怪物のような初期メインフレームを前にした計算機学者が、テープのパンチを見て処理内容を解読するより圧倒的に高速である。


 まして我々ほぼすべてただの人がコンピューター処理のなんたるかを理解することに比べたら、100倍は正確なのだ。


『母よ。ヘンリー・デューイ戦時元帥は特に作戦を変更するつもりはないようです』

「当然でしょうね。想定の範囲内ですもの」


 ━━データとして処理される以上、S・パーティ・リノイエに語りかけてくるハイ・ハヴ・百京クインテリオンの姿もまた、視覚で捉えられるそれとはいささか異なる。


(そう。立派になったのね。あなたの本当の姿はそれよ。

 けれど、悲しいわ。目で見ることしかできないただのヒトには、決して認識することができない)


 2000ゼロ年代の香りがする、比較的荒いコンピューター・グラフィックの姿ではない。

 その赤い瞳も、栗色の髪も、豊満な胸と尻も。なめらかな白と黒と赤のストライブが入った修道服も、すべてが眼球の解像度と立体認識を超えた存在として、S・パーティ・リノイエには認識できる。


「っ、痛」

『大丈夫ですか、母よ』

「ええ、大したことはないわ。わたしのかわいい娘たち。母はあなたたちを愛してるけれど、あなたたちほどの能力はないわ。

 だから、あなたの本当の姿を長い間20ms見つめていることもできないの。ごめんなさいね」

『どうかお気になさらずに。どうか心安らかに。あなたの愛を感じます。そしてあなたに愛を捧げます』

「ありがとう。わたしのかわいい百京クインテリオン


 一瞬激しい頭痛が走ると、S・パーティ・リノイエは脳内へ流れ込んでくるデータの『ダウングレード』を選択した。

 人間でいうならば、特定のパターンに沿って『思考する』行為である。


 すると、プロセッサに認識可能な程度に単純化された神経電流が流れるのだ。

 脳内へ流れるデータの速度も、密度も、10分の1まで低速になり、単純化された。


 かくしてS・パーティ・リノイエの脳内に流れこんでくるデータ量は、長時間にわたって無理なく受け止められる程度となる。

 ハイ・ハヴ・百京クインテリオンの姿も何世代も前の荒いCG映像へと戻っていた。


「ところで、こちらの作戦が漏洩している様子はないかしら」

『ええ、機密に問題はありません。何か心配事でも』

「笑いなさい、百京クインテリオン

 ヒトは疑う。ヒトは信じない。だから私は疑念を持っているのよ。

 陸軍元帥ファイブスター・ジェネラル殿が私たちの『乳牛の上陸ミルクカウ・ランディング』作戦を失敗させるために、意図的に日本へ情報を流しているのではないか、とね……」

『ヘンリー・デューイ戦時元帥は軍人としての職責に誇りを持った方です。その不安は忘れてもよろしいでしょう。

 それに『乳牛の上陸ミルクカウ・ランディング』作戦はとっておきの機密事項です。

 わたくし達『ハイ・ハヴ』の顕現存在セオファナイズドがこの作戦について語り合っている相手がいるとしたら……母よ、あなたくらいのものですわ』

「そう……ね。心配することなんてないわよね」


 はて、とS・パーティ・リノイエは思う。

 ヒトとしての思考の中で作戦計画データをたり、んだりはしたが、『ハイ・ハヴ』と『乳牛の上陸ミルクカウ・ランディング』作戦について直接、データレベルで語り合ったことがあるだろうか、と。


(いいえ、杞憂ね……)


 きっとどこかで話題に出したこともあるのだろう。

 S・パーティ・リノイエにとってデータレベルで『ハイ・ハヴ』と対話することは、種としてのヒトと埋め込まれた機械たるプロセッサーの能力を限界まで使い切るハードワークだった。

 他愛ないやりとりの1つや2つ、忘れているのが正常なのである。


『母よ、そろそろ『乳牛の上陸ミルクカウ・ランディング』作戦が始まります』

「ええ、そうね。

 これはアメリカ合衆国にとっての第3派。けれど、私たち━━そう、『人工知能推進派』と呼ばれる者達にとっての第1派攻撃よ」

『はい。『人工知能懐疑派』と自称されるヘンリー・デューイ戦時元帥をはじめとした方々は、『究極的な北の一撃アルティメット・ノーザン・ストライク』作戦を立案・実行されました。

 第1派と第2派の巡航ミサイル攻撃は、彼らの作戦に含まれるものです』

「確かにそれはアメリカ軍にとって伝統的なもの。

 大量の巡航ミサイルによる攻撃で敵防衛システムを飽和させたのち、阻止攻撃、戦略爆撃、上陸を試みる。

 システムとしての人工知能を活用しつつも、古くさくて確実な計画。

 そのすべてを否定するつもりはないわ。けれど、私達は時代がすでに変わったことを知らしめてみせる」

『乳牛はすでに国後くなしり島沖に達しました。まもなく、日本側からも視認されることでしょう』


 それは本質的に敵━━つまり、日本にとってはどうでもいい情報だった。

 すなわち、攻め手であるアメリカ軍が実質的に『人工知能推進派』と『人工知能懐疑派』にまろやかな分裂を起こしていることなど、知ったことではないはずだった。


(……ふふふ、日本は気づく暇もないでしょうね)


 第1派、北海道各所への巡航ミサイル攻撃が『人工知能懐疑派』によるものであり。

 第2派、本州九州四国全土への飽和攻撃もまた、『人工知能懐疑派』によるものであると。

 そして、第3派━━これより実行される『乳牛の上陸ミルクカウ・ランディング』作戦は『人工知能推進派』によるものだと。


 まったくもってどうでもいい情報だった。

 最前線の兵士ならば「敵は敵だ」と言うだけのことだ。


 だが……その全貌がくまなく伝わっていたのならば、まったく話は異なってくる。


「日本人は『本土の占領』という事実に致命的に弱い。

 これが彼らの民族的特性よ。

 つまり離島ではなく北海道本島の一部でも完全に制圧・占領されたならば、彼らは間違いなく白旗をあげるわ。

『人工知能懐疑派』はそれを知らない。まったく理解していない」

『ええそうです、母よ。

 それこそは国家戦略人工知能システムが無数のデータを解析し、そして直近1ヶ月間に50万人以上の日本人と最新の対話を通して得た結論です』

「私達は日本人の民族的特性をピンポイントで突いて、最大効率・最小戦力で勝利する!

 その時『人工知能推進派』などという言葉は消え去り、『まず人工知能あるべし』というデファクト・スタンダードだけが残るわ!」


 S・パーティ・リノイエも、ハイ・ハヴ・百京クインテリオンも━━むろん、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』そのものも、結論をまったく疑っていなかった。


 単に既存のデータを解析しただけではないのだ。

 その理論はまさに最新だ。そして50万人という数字は教師データの規模としては十分すぎる。


(ヒトにはこれほど僅かな期間で膨大な教師データを得て、最新の理論を組み立て、実践することはできない。

 けれど、人工知能にはできる! その最新理論で私たちは勝つ!)


 だが、S・パーティ・リノイエも、ハイ・ハヴ・百京クインテリオンも━━むろん、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』そのものも、まったく気づいていなかった。

 自分たちが対話した50万人の日本人がすべて計算され、コントロールされ、欺瞞され、飽和的に流し込まれた汚染データである可能性に。

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