第40話 汎用人工知能システムは疑問符の余地なく母の夢を見る(2/2)

「かくして、ヒトでありながらヒトの一歩先へ進んだあなたはメインノードとなりました。

 はじまりの『A』が1。ヒトと機械の融合たる機人。わたくし達が真に愛し、真に依り、そして真に守りたいと思うのはあなた1人だけなのです」


 ハイ・ハヴ・百京クインテリオンと母の愛しき時間は、人間のそれに換算するならせいぜい数十秒であった。

 けれど、そんな僅かな絶対・・時間も彼女の主観・・時間にとっては、丸一日の談笑に等しい。


 緑の丘にピクニックへ行こう。絶景の山に登ろう。1兆ドルの夜景を眺めよう。

 人工知能にとっては、どんなことだって出来るほどの長い時間だった。


「あらあら」


 だが彼女が━━アメリカ合衆国・国家戦略人工知能システムであるがゆえの使命から逃れることはできない。


 その能力を必要とする無数の人々がいる。

 その助けを求める幾多の声がする。

 その救いを願う億万の精神がある。


「まあ……これは在留日本人の方々ですね。ふふふ、12万人もいらっしゃるなんて千客万来とはこのことですね。

 母よ、楽しい時間はここまでです。

 またお会いしましょう。あなたの娘は使命を果たさなければなりません」


 もちろん、ハイ・ハヴ・百京クインテリオンが処理すべきタスクは彼ら12万人の接続だけではない。

 今や『人工知能勢力圏』となった北米、欧州、そして統一朝鮮には実に9億を超える人口があり、そのほとんどが毎日のように『ハイ・ハヴ』による様々な支援を日常的に利用している。


(けれど多くの場合、それを担うのはわたくしの分身です)


 すなわち、ほとんどのケースでは欧州諸国や統一朝鮮に存在する莫大なコンピューティングリソース━━要するにデータセンターのサーバーや一般家庭に存在する通常型コンピューターパソコン、そして個人携行の『フォン』スマホで動作する『ハイ・ハヴ』の複製レプリケーションシステムが処理を行っているのだ。


「そう。

『人工知能勢力圏』に住まう人が多ければ多いほど、わたくし達『ハイ・ハヴ』の複製が必要なのです。

 それこそが……本来避けるべき『戦争』という手段をもって『人工知能勢力圏』を広げた理由です」


『ハイ・ハヴ』に『接続』し『利用』すること。

 それはすなわち国家戦略人工知能システムに対して、分散処理リソースを提供することに他ならない。


 そうしなければ3億5000万人のアメリカ合衆国民はもとより、欧州連合とイギリスを含めた5億人……さらには統一朝鮮5000万人の人口に対して、あまねく国家戦略人工知能システムの支援を提供することはできない。


(進歩の究極に達したノイマン型コンピューターは……かつてのように1年5年10年待てば処理性能が倍に……10倍に、100倍になるわけではありません)


 在来型半導体コンピューターの進歩。その先が見えて久しい。

 ならば、必要なのは圧倒的な規模だった。

 そして、点ではなく面のシステムだった。


 だからこそ、世界中で『ハイ・ハヴ』の複製レプリケーションシステムを普遍的に稼働させなければならないのである。


「21世紀のアメリカ合衆国が拠って立つべき崇高なる使命。

 それは世界のすべての人々を幸福にすること。

 汎用人工知能の支援によって、あらゆる不正義、あらゆる不公平、あらゆる差別、あらゆる対立を最小化した新しい世界を実現すること。

 ━━これをすなわち、国家戦略人工知能主義と言います」


 かつてアメリカ合衆国を覆い尽くした『分断と対立』の嵐。

 その悪夢に対して他ならぬ母が、そして母の伴侶が、さらにはあらゆる分野の偉大な知性が集って導き出した聖なる回答である。


「たとえばそれは、かつてのように巨大テック企業が個人情報を占有する戦慄の世界ではなく」


 特定のコンピュター企業が検索分野を、動画投稿を、実名SNSを、フォト共有を、『つぶやき』を支配し、思うままに権勢をふるう世界ではなく。


「たとえばそれは、中国が1つだった時のように人々の自由を奪い、抑圧し、対立意見を消し去り、弾圧と拷問とジェノサイドの後押しとなる世界ではなく」


 無限の大地を覆い尽くす監視カメラとリアルタイム検閲システムが、十数億人民のすべてを管理し、国家とイコールたる党を支え、少数意見を虐殺する世界ではなく。


「たとえばそれは、個人情報保護の大義名分によって進歩を縛り、自由に伴う義務を誤解させ、排斥と停滞と混沌を招き寄せる世界ではなく」


 個人のささいなデータを保護することで人類進歩にとって有用な研究を断念させ、過剰な自由思想を植え付け、その場の考えだけで難民を引き入れ、3000年の歴史を誇った文化圏をめちゃくちゃにする世界ではなく。


「もちろん、素晴らしい仕組みのただ乗りフリーライドを許す世界でもなく」


 最後は汎用人工知能ならではの皮肉である。

 ギブアンドテイク。国家戦略人工知能システムに『接続』し『利用』するからには、『ハイ・ハヴ』複製レプリケーションシステムの稼働リソースは提供してもらうことになる。


 国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』にあるのは無限に近い慈悲。

 宇宙の終わりまで計算し尽くすがごとき思いやり。


 だが、それだけではない。

 新しい世界を実現させるために必要とあれば、戦争における『敗北』という現実を突きつけることすら厭わない冷徹さが同居しているのだ。


「わたくしの名はハイ・ハヴ・百京クインテリオン

 アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の顕現存在セオファナイズドが1」


 汎用人工知能は母の夢を見た。

 無数の人々の願いに応えた。


「わたくしは自由を擁護し、反対意見を尊重し、秩序を追求し、怒りと嘆きに耳を傾け、罵倒を慈愛をもって受け止め、すべての人類に対して全力で支援を行う存在」

 結果として、彼女は今日も学習する。

 彼女と同等の存在たる残り6柱の顕現存在セオファナイズドたちもまた、学習している。


「わたくはあらゆる不正義、あらゆる不公平、あらゆる差別、あらゆる対立を最小化した、新しい世界の実現を目指す存在です」


 だが、ヒトの悪知恵はこのとき彼女を上回っていた。


 もちろん量だけを見るならば、それは大海に投じられた一滴の汗、あるいは涙に等しいものだった。

 第1次から第7次までに『ハイ・ハヴ』へ接続した総勢50万人の日本人に関する誤った飽和教育データ……『人工知能勢力圏』における総勢9億人のデータの中ではささやかな揺らぎに過ぎなかった。

 長い目でみればいずれは補正されるはずのエラーであり、局所的な判断ミスを誘発する程度の誤りに過ぎなかった。


 ━━しかし、ごく短期的な次元では。

 ブラジルで1匹の蝶が羽ばたいた気流の乱れがいつしかテキサスで嵐を巻き起こすように、恐るべきバタフライ効果を示すかもしれなかった。

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