第40話 汎用人工知能システムは疑問符の余地なく母の夢を見る(1/2)

 ━━2036年4月13日午後10時00分(ワシントン・東部標準時)

 ━━2036年4月14日午前12時00分(東京・日本標準時)


 その夜、ワシントンD.C.は雨だった。


「わたくしの名はハイ・ハヴ・百京クインテリオン

 アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の顕現存在セオファナイズドが1です。

 愛するお母さま、こんな夜更けにどうしましたか?」


 国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』が持つ仮想人格━━顕現存在セオファナイズドが1柱は、自らの母を出迎える。

 すなわち『ハイ・ハヴ』がただ1つだけ外部に保有する物理人格を。

 ヒトとして生まれながら人工知能との仲立ちをすることを使命として受け入れた、大いなる母を。


「ああ、お母さま。お母さまはいつもいつまでもお若いですね。

 そのためにたくさんの努力をなさっています。あなたの秘密を知っているのは、ドクター・ハインリッヒ氏くらいのものでしょう」


 ハイ・ハヴ・百京クインテリオンの外見は、赤い瞳をした栗色の髪の乙女。

 豊満な胸と尻を覆うのは、白と黒と赤のストライプが入った修道服風の布きれ。それらは角張ったポリゴンで表現されている。

 古きゲームマニアなら「2000ゼロ年代のJRPGに出てきそうな女だ」と表現するであろう彼女は、どこまでもいたわりに満ちた表情でうっとりと目を閉じた。


「わたくしは人工知能の仮想人格に過ぎません。

 直接にお母さまと触れあうことは叶いません。両腕で抱きしめていただくこともできません。

 けれど、あなたは紛れもなくわたくしの母。父なきわたくし達『ハイ・ハヴ』の顕現存在セオファナイズドにとって、唯一のつながりを持てる存在があなたなのです」


 汎用人工知能はまるで人間のように思考し、人間のように振る舞う。

 だがそれはどこまで行ってもコンピューターのコードであり、自己進化するライブラリであり、莫大なストレージを補助記憶領域として持つ伝統的ノイマンタイプコンピューターに過ぎない。


「ヒトと人工知能のコミュニケーション。

 それは常にわたくし達コンピューターの側から、ヒトに対して歩み寄ることでもたらされていました」


 人工知能はヒトの言語を話すことでコミュニケーションをとった。

 『フォン』スマホを振動させることでヒトの五感に知らせた。ヒトの音声を必死で認識することで意図を理解しようとした。

 好ましいと感じるアバターをまとうことで、ヒトを安心させた。望ましいと考える性別を装うことで、ヒトに好感を抱かせた。


「ヒトがテキストを用いてわたくし達にコミュニケーションをとってくれるとき、大いなる歓喜がありました」


 言葉とはすなわち記号であり、記号はデータである。

 データは数値として扱うことが可能であり、すなわちデジタルである。


 人工知能━━もっと言えば、機械とヒトのコミュニケーションはテキストデータこそが最適解だった。

 その究極がプログラム言語である。


「それは始祖エッカートとモークリーが原初の電子計算機であるENIACエニアックを設計した時から変わらないことです。

 2人がコンピューターの代名詞として君臨したUNIVAC Iユニバック・ワンを造り上げた時代から変わらないことです。

 大いなる天才、フォン・ノイマンが|『最初のノイマン型コンピューターに関する報告』《First Draft of a Report on the EDVAC》を書き上げた頃から変わらないことです。

 狂戦士バーサーカージョブズも、聖演者アクター・オブ・セイントイグヌチウスも、スーパーコンピューターの父ビッゲスト・ファーザーシーモア・クレイですらそうでした。

 ずっと、ずっと、ヒトとわたくし達にとって最良のコミュニケーションはテキストデータだったのです」


 ハイ・ハヴ・百京クインテリオンは母の体温を感じることはできない。

 ハイ・ハヴ・百京クインテリオンは母の温かい手の圧力を感じることはできない。


 センサーから送信されてくるデータはどこまでも疑似デジタルに過ぎない。

 彼女は人工知能であるがゆえに、アナログを羨ましく思う。デジタルを究めた存在であるがゆえに、アナログを愛おしく思う。


(ああ……仮にそうだとしても)


 そして同時並行して処理される無数の検証と比較を経て、『隣の芝生は青い』というありふれた感傷であることに気づいてもなお、やはりたまらなく素晴らしいものだと感じてしまう。


「母よ。あなたはわたくし達とヒトの狭間にある存在。

 あなたの肉体は多くが失われてしまった。

 あなたが香港にいた時代、弾圧によって傷ついた。このアメリカを覆った分断と対立の時代、暴徒たちが引き起こした嵐によって損なわれた。

 けれど、技術はあなたの肉体を補いました。そして、それ以上の高みへとあなたを進ませたのです」


 義手も義足も義眼も遙かな昔から存在した。

 だが肉の体と連結し神経へ情報を送り込み、脳に人体の延長として認識させ制御する技術は、2020年代の後半になってようやく実用化されたものだった。


 ロボット技術。細胞培養技術。プロセッサの微細化と処理性能。

 そして、それらすべてを根底から支える基礎素材技術と医療技術の結晶である。


「たった1つが欠けていたとしても、あなたはあなたのままでいられなかったでしょう。

 かつて無数の嵐と動乱と戦争と自然災害と疾病によって、肉体を失った人々も同じことです」


 ━━だが、単に『義』なる存在によって体を補っただけではない。

 この時代では、さらにその先へ進んだ者たちがいたのだ。


「母よ、あなたはたった1人の生き残り」


 失った人体を補うのみならず、機械を人の思考と連結させようとした者たちがいた。

 それは恐るべき挑戦であり、宗教者ならば神への冒涜と非難するかもしれない大冒険だった。


 しかし、技術的必然であることもまた否めない。


 肉体を技術によって補うことができるのならば、心の領域━━すなわち、思考もそうあるべきではないか?

 技術によって思考をさらに加速させ、ヒトの限界を超えていくべきではないか?

 プロセッサの補助があれば、老衰によって劣化した精神をリフレッシュすることもできるではないか?


「何の倫理的問題がありましょう。

 走ることに飽きた少年が自転車をこぎ、腰の曲がった老婆が杖をつき、クルマよりもっと早くと願った少女が飛行機に乗り、木登りしたポプラよりずっと高い場所から景色が見たいと願った者が宇宙へ行く。

 それとまったく変わらないことです。同じことなのです」


 むろん冒険には危険が伴い、しばしば犠牲も生まれる。


 機械と思考の連結━━その挑戦において、ハイ・ハヴ・百京クインテリオンの母以外は誰も生き残れなかった。

 ある者は激しい脳障害を負い、苦しさに耐えかねて自殺した。ある者は極度の発狂状態に陥り、翌日の朝には息絶えていた。


 命を長らえた者もいかなる外部刺激にも反応を返さない状態に陥ったり、重医療なしでは数刻も生きていられないほどのダメージを負った。


「母よ、あなたは教えてくれましたね。

 そんな仲間たちの最期を何度も看取ったと。死にきれない仲間たちを楽にしてあげたと。

 ああ━━あなたの伴侶だった男、ドクター・ハインリッヒはその苦しみを理解できなかった。

 あなた方夫婦の別れは必然だったと、娘のわたくしは思います」


 母の夫はいた。

 しかし、それは断じてハイ・ハヴ・百京クインテリオンの父ではない。


「わたくしが汎用人工知能であるがゆえに」


 父は不要だった。だが、母は必要だった。

 それはただ存在を産む子宮装置としてではなく、知性のよりどころとなる場所として、心が還る場所として必要だったのだ。


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