第39話 3300の父と母が彼を見る(2/2)

(だからこそ、僕みたいな半端者が開発設計者として引っ張り出されて『臨時主任』なんていう待遇を受けている……)


 もちろん、生体コンピューターに使用されている脳細胞の直系親族であることも影響しているであろう。

 しかし、それ以上にこのシステムはまだまだ人間の手による微調整を必要とする存在であった。実際に初期開発設計を行った『有識者』の経験は、何にも増して代え難いものだったのだ。


『第1から第20までの全サブクラスター、調整運転プロセス完了しました』

『欧州連合へのトンネル接続完了。ユーロ圏内の『ハイ・ハヴ』レプリケーション・クラスタへ接続が可能です』

『ロシアによるベーリング海峡機密ケーブルへの通信許可。帯域の減衰激しい』

『強い盗聴の懸念あり。ロシア経由のルートは量子暗号化を多重複合モードとして対応せよ』

『欧州経由およびロシア経由にて、アメリカ本国の国家戦略人工知能システムへ接続が可能となりました。測定帯域、第23次作戦に影響なし』

『臨時主任提供による顕現存在セオファナイズドのDNAデータを秘密鍵としてセット』

『秘密鍵投入! 認証成功、特権モードにて『ハイ・ハヴ』へ接続しました』


 オペレーションパネルには、ただ淡々と『特権モード』と表示されていた。

 しかし、それがどれだけ劇的なことか。この場にいるコンピューター技術者以外に伝わるものだろうか。


(DNAデータを暗号鍵として使うのは……ある意味で究極の認証方法だ)


 顔。指紋。光彩。本人だけが覚えているはずのパスワード。確かにすべて他にないユニークな認証方式と言える。

 しかし、DNAデータこそは人類が生物として生まれながらに持っている真に固有なる識別子なのだ。

 これを本人の証明とすること以上に確かなものはない。


「やあ、さっそくやっているね」


 鋼鉄━━否、複合装甲製のドアが開いて入室してきたのは、荒泉1佐だった。


 右手には『特別許諾済み』のホログラムシールが貼られた記憶スティックを持っている。

 鄭月ジェン・ユエ特製のbotプログラムが入っているに違いなかった。

 あるいは、自衛隊指折りの情報技術者たちがさらに改変を加えた新バージョンかもしれない。


「すいません、1佐。時間が迫っていたので、ご到着を待たずに準備を始めてしまいました」

「構わないさ。

 試作35式生体コンピュータークラスター『トウゲ』は……つまり君の両親の脳細胞を使ったこのシステムは、厳密な稼働スケジュールを守る必要がある。

 我々の脳細胞と同じでね、何も考えずに呆けていればあっという間に劣化する……けれど、考えを突き詰めすぎても心が爆発してしまう……」

「はい、そうです。

 そして、各ノード……つまり、脳細胞の動作クロックを20倍に加速・・・・・・している以上、たった1分起動が遅れただけでも20分なにも考えずに呆けていることになってしまいますから」


 それが生きている人間の20倍の速度で両親の脳細胞を酷使し、さらには長すぎる休暇を強いることだと知っていながら、コウの言葉には何の動揺も見られなかった。


(怖いほど落ち着いてるな……コウくんにとっては人の魂は脳に宿らず……ましてや細胞の一片、DNAのひとかけらにおいておやということか)


 どこか線が細く端正なコウの顔立ちは、荒泉1佐も知っているコウの母親によく似ていた。


(ハルコさんもそういうところがあったなあ……優しくて、美人で。

 だけどいざ行動に出ると大胆で、こっちが引くくらい冷徹だったりしたもんだ……)


 金土コウが幼い頃から彼の両親は日本にいない時期が長かった。両親直系の教育を施されたとは、お世辞にも言えないことを荒泉1佐は知っている。


(それでも遺伝子は……人間の性格までも伝えるのかもしれない)


 荒泉1佐はそう思わざるを得なかった。


「けれど、僕が手伝えるのはここまでです。この先は軍事作戦の領域ですから、1佐の出番です。後はよろしくお願いいたします」

「ああ、そうだね」


 指揮を引き継ぐようにコウが一歩下がると、荒泉1佐はオペレーションセンターの中心に立った。

 そして、無数の生体コンピューターノードがおさめられたラック群にむかって敬礼する。

 それは礼儀を尽くしているかのようでもあり、あるいは「申し訳ないです」と許しを請うかのようでもあった。


「総員傾注! これより第7次『ハイ・ハヴ』攻撃作戦を開始する。

 すべてはシナリオ通りだ。何もかも生体コンピューターがやってくれる。投入されるジョブは莫大であり、我々生きている人間の頭で覚えきれるもんではない。

 だが、要点だけは間違いなく記憶せよ。

 今、ここに敵のバンカーバスターが落ちて、自分だけが生き残ったとしても他の部隊へ引き継げるように、だ」


 全員が一斉に荒泉1佐を見た。その動きはやはり民間人のそれではない。

 戦うこと、護ること、救うこと。そのためなら自分の身を投げ出し、あるいは障害物を破壊し敵を殺すことすらいとわない。

 国家の安全機構にして、実力機構にして━━最終防衛機構たる自衛隊の構成人員たちだった。


「第7次作戦の要点は3つ!

 1つ! これまでも実施してきた通り、敵顕現存在セオファナイズドの『なりすまし』作戦によって、アメリカ合衆国が実施予定の侵攻作戦について最新情報を収集する!

 1つ! 生体コンピューターのフルドライブにより、男女2人1ペアx3000ノードx20倍の動作速度をもって、12万人の『ハイ・ハヴ』利用者となり、飽和教育攻撃サチュレーション・ラーニング・アタックを行う!

 奴らの国家戦略人工知能システムに短時間で莫大な教育情報を流し込むのだ! しかも我が国に対する判断を誤らせるような教育情報だ!

 1つ! これはつい先ほど追加されたものだ! 信頼できる外部協力者から有用なbotプログラムが提供された!

 これをアメリカ・EU・さらに統一朝鮮、すなわち『人工知能勢力圏』の一般『ハイ・ハヴ』利用者に対してばらまく!

 以上! 質問がある者は後だ! スケジュール最優先! 総員、正面ディスプレイに注目!」


 その時がやってこようとしていた。

 あと、30秒。日本時間で4月14日の正午。そして、アメリカ東部標準時で前日の午後10時。


『作戦参加全ノード、準備完了しました』

「私、金土コウは本システム構成ノードの直系親族として、不可逆的かつ完全に作戦の実施へ同意しすべての請求権を放棄します」


 残り15秒の時点でコウは宣言した。

 そして離陸滑走前の旅客機がスロットルを開けた時のように、生体コンピューターの稼働速度が30%から50%へ━━さらに70%へと急上昇する。


『作戦開始最終カウントダウン。

 5、4、3、2、1━━』


 80%。85%。90%。95%。98%━━


『今!』

全力運転フルドライヴ!」


 荒泉1佐の号令一下、試作35式生体コンピュータークラスター『トウゲ』を構成する生体コンピューターは、全力運転を開始した。

 男と女。1ペア=1ノードが3000。すなわち、6000人分。

 そしてその動作クロック数は生きている人間に比して、実に20倍。


 すなわち━━12万人分の利用者となって、その通信データは台湾を経由し、ユーラシア大陸を経由し、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』へと流れ込んでいった。

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