第38話 これが最後の別れになるとしても男などという生物は(2/2)

(もっとも……これは万能の脆弱性でもないけれど)


 管理プロセッサは実際の表示画面を確認できるし、キーボードとマウスの代わりもできる。やりたい放題に見える。

 しかし『フォン』スマホで言うならパターン認証や顔認証を突破できるわけではなく、パスワード入力画面が出ていても正しいパスが分かるわけではない。


(恐らくログイン済みで放置されているターミナル画面のサーバーや、デスクトップを表示したままの家庭用パソコンを狙うんだろう……)


 コウの考えるところでは、特に狙う価値が高いのはサーバーだった。

 外殻のセキュリティがきわめて頑強なシステムでは、内部の細かなプログラムは『塩漬け』状態にしてアップデートを行わない場合も多い。


 そういったシステムはユエのBot攻撃には弱かった。

 だが、それはきっかけに過ぎない。荒泉1佐の呟きから推測すると、様々なメモリリーク系の脆弱性と連動させることで『やりたい放題』の状況を成立させようとしているようだ。


(……ただまあ。ひょっとすると)


 米国、それもNSAやサイバー軍はとっくにこの脆弱性を知っていて、自分たちで利用しているのかもしれないとコウは思う。

 彼の知る鄭月ジェン・ユエという凄腕のハッカーが見つけた脆弱性だからといって、他人も発見していないという保証はどこにもないのだ。

 公表せず秘密にしたまま、すでに利用しているかもしれないのである。


(セキュリティの世界は……本当に一寸先が闇だ。正しい事情なんて、世界の誰にも……『ハイ・ハヴ』にすら分からないだろう……)


 ━━もちろん、コウは知るよしもない。

 これこそが米国が欧州侵攻作戦に際して放った、歴史上最大最高効果のサイバー攻撃における主戦術であることを。

『機密脆弱性』と呼ばれている概念であることを。


 今回コウが見たのはたった1つの機密脆弱性に過ぎなかったが、米国が欧州攻撃に利用したのは実に数千もの機密脆弱性である。

 その規模も、影響力も圧倒的であった。


 とはいえ━━鄭月ジェン・ユエが発見したこの機密脆弱性も平凡なものではない。

 この脆弱性は米国ですら見つけていなかった。確かに世界で彼女だけが知る脆弱性であったのだ。


 そして、それらの事情はすべて情報戦の闇と歴史の流れに消えていくのである……。


「さてと、そろそろ時間だな」

「そうだね」


 キミズは愛用の腕時計を見た。コウは『フォン』スマホのバイブレーションでそれを知った。


「1日1時間の休憩時間がもらえる以外は、朝から晩まで仕事仕事仕事……日本人冥利に尽きると思わないか、おい」

「……僕は規則正しくて、人間的な生活の方がいいけれど」

「へっ、今は戦時だ、お国のためだ。

 俺はこれから出かけて、外部協力者と最終調整の手伝いだ。深夜まで帰れそうにねえわ。

 お前はお前の仕事を果たせよ。頼むぜ、俺の秘書。そして自慢の甥っ子よ」

「最大限の努力はするよ、叔父さん」


『臨時休憩室』という札が貼られたA6号会議室を出ると、叔父は予備のスーツを着て出口方向へ向かう。

 あるいは━━明日にも戦いが始まれば、その背中を2度と見ることはできなくなるかもしれない、とコウは思う。

 叔父も中国大陸でこんなふうに自分の父と別れたのだろうか、と考える。


「どうか気をつけて」

「お前こそな」


 キミズは振り返らずに手を振った。コウもまた軽く手をあげるだけで済ませた。

 万一これが最後の別れになるとしても、気持ちは通じ合ったのだろう。

 それで良いと思った。男などという生物はそんなものだ。今だけはそう言い切れた。


(……僕も僕のやれることを最大限やるか……)


 大きく息を吸い込むと、コウは『生体コンピュータールーム』と表示されたドアを開けた。

 だが、その先には鋼鉄のシャッターと分厚いアクリルの隔離シールドがある。

 シールドの向こうには完全装備の自衛官がアサルトライフルを手にしていた。手が届く位置に対戦車ロケットや手榴弾まで並んでいる。


 データセンターとは到底思えない防護装備であった。

 しかし、これだけではないのだ。いざという時はコアパーツを脱出させるためのヘリポート直結エレベーターまで存在するという。


『お疲れ様です。IDカードを念のためお願いします』


 護衛の自衛官たちはすでにコウの顔を覚えているようだった。

 それでも、ほんの僅かに銃身を巡らせればコウの体を撃ち抜ける位置でアサルトライフルを構えたままである。


(……ここまでして守る価値があるっていうのか)


 コウはIDカードを認証機にくぐらせ、そして両手の人差し指をスキャンさせた。

 まだ終わらない。カメラの前で顔認証。さらに両目をぐっと近づけて、虹彩認証。ここまで完了すると、ようやくアクリルのシールドが開いた。


『ご面倒をかけてすいません。どうぞお通りください』

「そちらこそ、お疲れ様です」


 鋼鉄のシャッターがゆっくりと開いていく。

 少なくとも10センチはあろうという厚さのシャッターはくさび状に組み合わせされ、どこか陶器にも似た層を複数含んでいた。廃用になった90式戦車の複合装甲をリサイクルしていることに気づく者は、世界でもほぼ絶無だろう。


「いま戻りました」

『お帰りなさい、金土臨時主任』


 その先は巨大なサーバールームだった。

 冷却ファンが轟々となる音。無数のケーブル。そこまではどこにでもあるデータセンターのサーバールームだった。


(ここまでして……守る価値があるっていうのか。父さん、母さん)


 だが、大量のラックに並んでいるコンピューターの外見は明らかに異なっていた。

 前面の透明な保護パネルの先には、有機溶液に満たされた脳細胞が大量に浮かんでいる。


「45分後に第7次作戦が開始予定です。

 直ちに全ノード、ブートアップ開始。30分の調整運転の後、フルドライブをかけます。

 その後、試作35式生体コンピュータークラスター『トウゲ』はアメリカ合衆国・国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』へ侵入し、飽和教育攻撃サチュレーション・ラーニング・アタックを実施します」


 コンピューターのノード数は数十ではない。

 数百ですら足りない。実に数千ものクラスタリングされた超大規模生体コンピューターシステムである。。


(そして……この生体コンピューター全てが……僕と)


 すなわち、金土コウとDNA的につながりを持つ両親の脳細胞で構成されているのだ。

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