第38話 これが最後の別れになるとしても男などという生物は(1/2)

 ━━2036年4月14日午前10時00分(東京・日本標準時)


『ていうわけで、さーちんから受け取ったのがプログラムがこれだから。

 扱いはこーにぃにお任せ! 良かったら使ってあげてねー!

 あー! お台場なんてすぐそこなのに、逢いに行けないのがキノエちゃん悲しい! というわけで、お別れの濃厚なディープキスをモニタ越しに……んんんんんんんんんんんんん━━━━━━━━!!』

「わかった。ありがとう。切る」

『ちょ、ま、くぁ照施死州咯化期ンふじこ利羅━━』


 有明第7データセンターの外部連絡用端末のディスプレイに、義妹の唇が激しくズームアップした瞬間。

 金土コウは冷たい瞳で最小限の別れを済ませると、通信回線を即切断した。


『お話は終わりましたか?』

「はい。圧縮ファイル1つを受け取りました。

 アメリカに送り込むBotプログラムとか言ってましたが、検査で引っかかると思うので確認いただけますか? 荒泉1佐にお見せしたいんですが」

『了解です。隔離検査の上、お届けしましょう』


 通信が終了すると、セキュリティを担当しているという自衛官の顔がディスプレイには現れる。

 背中で重々しく外部通信室のドアロックが解除される音がした。


「ふう……」


 外部通信室はコンテナボックス半分ほどの空間にテーブルと椅子、そして通信端末があるだけの空間だった。

 無音室における『自分の血流が聞こえる』というほどではないにせよ、光学・電波・音声をすべて封鎖しているという密室を出ると、世界はこんなに騒がしいものだったのかと感じる。


『お疲れ様です、金土さん』

「どうもお手数おかけします」


 廊下には先ほども会話したセキュリティ担当の女性自衛官が立っている。

 彼女は安全リストをチェックしながら、外部通信室の鍵を再びロックした。


 カチリ、でもガシャン、でもなくズドン……と一部屋のロックとは思えない重厚な動作音がする。

 聞けば巨大なバールや機関銃でもびくともしないそうだ。


『それではA6号会議室までお連れいたします』


 セキュリティ担当自衛官は保安を守ると共に、有明第7データセンターを民間人のコウが動きまわる際のお目付役でもあった。

 館内の通路はデータセンターの常識からしても明らかに広い。

 なんでも物資の搬入を容易にすると共に、このデータセンターが敵の奇襲を受けた時のことを想定しているのだという。


『金土さんは民間人協力者の中でも特別なのでお教えするんですが、いざという時は最重要ユニットを装甲車に積んで晴海埠頭まで脱出します。

 そのために床も強化されていまして、ここは……まあ、戦闘車両がそのまま走れるようになっているんですよ』

「凄いですね……」

『ここに配備されている生体コンピューターは今回の戦いの要と聞いています。金土さんがその初期開発者であることも。

 そんな方をご案内できて光栄です』


 若々しい女性の航空自衛官だった。嘘のない口調、そして明朗快活な声で彼女は笑う。

 それでも視線はくまなく周囲をチェックし、腰にぶらさげた機関けん銃サブマシンガンから手が離れることはない。


(この人は背が高いな……キノエも5年くらいしたらこんな感じになるのかな……)


 身長はコウとあまり変わらないので170cm超えだろう。

 そうはいってもバキバキのマッチョに見えないので、やはりどこか女性というものを感じる。


「戻りました、キミズ社長」

「いよー、コー坊。ちょうどお前を待ってたところだぜ」

「あっ、荒泉1佐もいらっしゃっていたんですね。ちょうど良かったです」


 ミーティングネームに入ると、スーツをよれよれにしたキミズ。そして、同じように自衛官制服の各所に皺を寄らせた荒泉1佐がいる。


 コウが振り向いて目配せすると、セキュリティ担当の女性自衛官が敬礼して入室した。

 彼女はミーティングルームの各席に備え付けの汎用端末を操作し始める。統合大型ディスプレイに隔離検査後のファイル情報が表示された。

 これがキノエから送信された鄭月ジェン・ユエ特製のbotプログラムということになる。


『それでは自分はこれで』

「お疲れ様でした」

「コウくん、これは一体……ん、キノエさんからの送信ファイルか」

「ええ、説明させていただきます」


 ファイルプロパティを眺める荒泉1佐に、コウはキノエから伝えられた事情を簡単に説明する。

 それがソースコードと仕様書つきのbotプログラムであること、そして米国へ送り込んでほしいと鄭月ジェン・ユエことサーヤ・ボスワースが依頼してきたこと。


「botプログラムってのは……トージよぉ、あれだろ? コンピューターウイルス的な動きをするやつだよな?」

「ええ、そうです。

 もはや高度化しすぎて、ウイルスどころか人工知能技術まで全面的に利用しているものが多いですが」

ユエ先輩の仕様書によると、2世代ほど前に使われていたIntel製管理プロセッサ固有の脆弱性を利用して動作するみたいですね」


 コウの表情は、かつて八王子大学の計算機学科に所属していた頃のものだった。

 朝起きてはコードを眺め、昼飯を済ませては新しいロジック回路を生成し、そして夜は日付が変わるまで出来上がったハードウェアをテストする。


(計算機学科の研究室でやっていたようなことを、またやることになるなんて……)


 恐らくそれは技能を生かした仕事そのものなのだろう。

 しかし、本来コウの所属は特殊建設企業であるキミズ建設の新米社員であり、社長室直属の秘書である。

 そんな自分が民間協力の体裁は整えているとはいえ、自衛隊の管理するデータセンターで最前線の戦闘に等しい情報作戦に従事しているのだ。


(これじゃあ、民間軍事会社の傭兵みたいだな……)


 1歩2歩、任務━━否、仕事が違えば、誰かの命を奪うようなこともあり得るのではないかと思ってしまうほどだった。


「この脆弱性……CVSSは採番されていない……公的なデータベースにも載っていないのか。

 コウくん、これはひょっとして世界でも彼女しか知らないバグを使っているんじゃないか?」

ユエ先輩のことですから、その可能性はありますね」

「凄いぞ、それならば確かに効果が見込める!

 ふーむ、botネットとしては任意のコマンドを……なるほど、既存のメモリリーク系バグを総当たりして適合すれば……管理者ルート権限で実行可能だ! よし、さっそく情報本部で精査して、機密回線経由でアメリカに送り込もう!」


 歓喜の表情で立ち上がって走り出す荒泉1佐。少し汗の匂いがした。

 だが、それを責めようというものはここにはいない。着た切り雀の徹夜続き。それはコウもキミズも似たようなものである。


「おーし、コー坊。専門家じゃない俺にも説明よろしくな。こいつは秘書業務の一環ってことで」

「そんなに難しい話じゃないよ。

 あれは━━ユエ先輩の作ったプログラムは、コンピューターのOSやCPUじゃなくて管理プロセッサを攻撃するやつだね」

「かんりぷろせっさ、ってのは何だ?」

「コンピューターがメイン処理を行う他に、たとえばメインスイッチのオンオフとか温度の監視とか、あとは冷却ファンがちゃんと回ってるか、とか……電源ユニットは死んでないか……とか。

 そういうものを監視して処理するユニット。マンション管理人みたいなものだね

 今回狙っている管理プロセッサは、リモートワークの画面みたいに実際のモニター出力を見ることができるし、キーボードやマウスの入力も可能なんだ」

「ほー、するってーとアレか。さっき管理者権限とか言っていたのは、大家が合鍵で勝手に中へ入って好き放題する━━みたいなもんか?」

「理解が早いね、さすが叔父さん」

「は、それほどでもあるがな!」


 コンピューターに無知というにはほど遠いほど技術に理解があるキミズが相手なので、コウの話も早かった。


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