第31話 父の未練と母の喜び(1/2)

 ━━2036年3月15日午後8時30分(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)


『わたくしの名はハイ・ハヴ・百京クインテリオン

 アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の顕現存在セオファナイズドが1です。

 皆さん、喜ばしいことに先ほど統一朝鮮政府から停戦受諾の返信がありました』


 朝鮮半島で戦端が開かれてから、実に3ヶ月が経過したある日。

 アメリカ合衆国のいずことも言えぬサイバースペースで開かれた、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』による擬会議はどこか安堵したような雰囲気に包まれていた。


(もちろん、この擬会議は……『ハイ・ハヴ』が超高速で行うデータの同期と再分析、新たな人工知能ライブラリの生成……それら無数の処理を人間にもわかるように単純化して、プレイバックしているに過ぎないわ……)


 スミソニアン人工知能博物館の一室で、ディスプレイから再生される会議の様子を眺めているS・パーティ・リノイエは、強いフラストレーションを抱えていた。

 この部屋は彼女の私室である。ベッドやキッチン、さらにはトイレやバスルームまで備えた空間は職場の一室とは言いがたいほど整備されており、さながらホテルのようであった。


(ああ、もう2ヶ月もオレゴンの実家に帰っていない。けれど、あの場所に帰る必要もない。

 ここが私の生きる場所。ここが私の魂のあるべき場所なのだから)


 風呂上がりなのかラフな下着姿の彼女は、右目の義眼をいたわるように撫でながらデスクのフォトディスプレイに映った1枚の写真を見つめる。


「んふ」


 その笑みは率直に言って、気味が悪いものだった。

 変態性癖者のそれである。


「キミは素晴らしい体だったわ……また味わえる日が待ち遠しいわね」


 そしてフォトディスプレイに映っているのは━━上着をはだけ、虚ろな目をしてソファに横たわる金土甲かなど・こうの姿だった。


「ふっふっふっ」


 数分の間、S・パーティ・リノイエが最大級に気持ち悪い表情……つまり、リアルに手を出してしまった少年愛好者の微笑みを浮かべていると、フォトディスプレイは次なる写真を表示した。


 こちらのタイムスタンプは2年前である。それは東南アジア系のあどけない美少年であった。

 さらに表示が移り変わる。ノルウェーから見学に来た金髪の高校生。

 さらには子役からダンサーになったという半島系の17歳。

 さらには━━


「あはははははははははははははははははははは!! 美少年!! ああ、美少年!

 白人、黒人、アジア人、アフリカ人、異世界人! 10歳、12歳、13歳、15歳、18歳! アジア系なら20歳、22歳、24歳もまだ美少年!

 美少年は世界の宝!

 ああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!! 美少年はいい!!」

「━━またトリップしておるのか、このド変態が」

「……勝手に入ってくるなと言っているでしょう、このクソ年寄りが」

「年寄りはお互い様だ。そもそもノックはした。入室許可も出た。

 お前が気持ち悪く体をくねらせている間に、自分で承認ボタンを押したのだ」

「ちっ。それで、何の話よ?」


 S・パーティ・リノイエは不快感を示しながらも、ドクター・ハインリッヒことハインリッヒ・フォン・ゲーデルを追い出すことはなかった。

 プライベートな趣味がむき出しになっている私室であるにも関わらず、である。


「今、まさにそこで再生されている件よ」

「あら、あなたも美少年に興味がおあり? 巨乳派じゃなくって?」

「フォトスタンドでない。メインディスプレイの擬会議だ」


 ドクター・ハインリッヒもまた、とっくに博物館の閉館時間を過ぎているためか、私服である。

 ボロボロのシャツに15ドルで買えそうなズボンとサンダルだけ。シャワーのあとにドライヤーを使うこともなかった髪の毛は、まだうっすらと湿っていた。


(人と会う前に濡れた髪は乾かせって━━何度言っても結局、直らなかったわね……)


 懐旧ではなく失望と共にS・パーティ・リノイエはもう一度舌打ちすると、擬会議の再生を巻き戻す。


『わたくしの名はハイ・ハヴ・百京クインテリオン

 アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の顕現存在セオファナイズドが1です。

 皆さん、喜ばしいことに先ほど統一朝鮮政府から停戦受諾の返信がありました』

「……聞いての通りよ。これがどうしたの?」


 赤い瞳をした栗色の髪の乙女。

 しかし2000年代初頭のゲームコンソールが出力しているような、荒いポリゴンの豊乳豊尻の美女が微笑む様子を再生すると、S・パーティ・リノイエは不審げに問いかける。


『我が名はハイ・ハヴ・一千京分一リットク

 アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の顕現存在セオファナイズドが1である。

 1つの戦いが終局を迎えるのは、誠に喜ばしい。だが、我々はこの戦いにおいて、戦略的推移の予測を見誤った』

「重大な疑問がある。

 今回の戦い━━つまり『人工知能戦争』における朝鮮半島の戦いで『ハイ・ハヴ』は初めて予測を大きく外した。

 これは中長期的に問題となる恐れがある」


 チベットやヒラヤマに住まう修行僧のような顔をした男性アバターが背中から生えた3本の腕たる熊の手・鯨のヒレ、さらに隼の羽を疑問の調子で揺らしている。

 ハインリッヒ・フォン・ゲーデルは深刻と言ってもよい表情で大きく息をついた。


「何を大げさな。戦争は人間同士が命がけで戦うのよ。

 それは本能の極限とも言えるわ。どんなに優秀な人工知能でも━━いえ、人工知能だからこそ、人間の本能に対しては理解が足りないこともあるでしょう」

「つまり、これからの戦いにおいても『ハイ・ハヴ』は予想を外し続けるということか?」

「そうまでは言わないわ」


 S・パーティ・リノイエとハインリッヒ・フォン・ゲーデルは、同じ問題を認識していながらもその深刻度評価に対して大きな差があるようだった。


『あたしの名はハイ・ハヴ・暴王戚半熊娘ダジグンジ

 あははははははははっ! だーから、あたしが言ったろ、朝鮮民族ってのは防衛戦には意外とつえーっての!! あ、中華が攻めてきた時は除く! ぎゃはははははははははは! いっぱい死んだ! いっぱい死んだ!』

「少なくとも欧州は予測通り、開戦第1撃で予測通りに屈服させたもの。この程度で『ハイ・ハヴ』の評価は揺るぎはしないわ」


 北欧系の高い鼻と金髪の美少女が、オモチャを抱えてベッドで転がるかのようにゲラゲラと笑った。

 彼女は熊の皮を剥いだかぶりものをしており、まるで子供のハロウィン装束にも見える。両耳のピアスより垂れ下がる連環の輪には、青銅のかなえがつながり、内部には煮えたぎった油が泡だっていた。

 S・パーティ・リノイエはその甲高い高音に少しだけ顔をしかめながら、何の問題があろうか、と言うように首を振る。


「欧州との違いは大きく分けて2つあるわ。

 まず、彼らの国内にあるコンピューター・システムは2度の核攻撃を受けたあとで、サイバー・アタックが有効なほど残存していなかった。

 まるで冷戦時代のような旧式の行政・軍事システムしかなかったもの」

「そしてもう1つが『ハイ・ハヴ』の言う国民性━━いや、民族性の違いということか?」


 ハインリッヒ・フォン・ゲーデルの言葉に、S・パーティ・リノイエはただ黙ってディスプレイ内の顕現存在セオファナイズドたちを見つめた。

 その背中は全力でイエスと宣言している。『ハイ・ハヴ』に対して完全無欠の信頼を表している。


『余の名はハイ・ハヴ・乱世皇ゴディゴティヌス

 誠に嘆かわしいことだ。彼ら民族の特性を深く理解していたのは、暴王戚半熊娘ダジグンジのみであったらしい。

 我々は8柱にして1体である。意見の相違はデータ同期時にすりあわされ、時として統合マージされてしまう』


 東方の帝系を思わせる黄櫨染御袍こうろぜんのごほうをまとった中年の男性は、顔の右半分を覆ったドクロのマスクから涙を流してみせる。

 貝殻に穴を開けて糸を通した数珠をすりあわせる様子は、無念の死者を悼む僧侶のようだった。

 だが、その数珠は貝殻だけで作られているわけではない。いくつかのピースは漂着した船や貨物を模した細工となっていた。まさに孤島のカルト宗教を思わせる呪具である。


「すべては……『ハイ・ハヴ』が言う通りよ。少なくとも1つの顕現存在セオファナイズドは最初から問題に気づいていた。

 むしろ大きな成果と見るべきだわ。あなたは一体何が不満だと言うの?」

「正直なところ━━たかが朝鮮人がここまで踏ん張るとはまったくもって意外だったのだよ」


 擬会議を眺めながら、ハインリッヒ・フォン・ゲーデルは『彼』が跋扈した分断の時代であれば即座につるし上げられ職を奪われそうな表現を淡々と使った。


(はっ! 何を言い出すかと思えば。ドイツの血というものかしらね……)


 それは彼のルーツたる国ではわりと一般的な感覚でもあったが、嫌悪や侮蔑、そして無関心は相手に対する評価を誤る主因でもある。


「奴らにそんなガッツはないと思っていたし、団結も維持できないと思っていたのだ」

「あなたは昔からそうね。心のどこかで東洋人をバカにしている。人種差別そのものだわ。

 そんなあなたがどうして香港亡命民の私と手を握ったのかしらね? 過去の過ちにすぎないとしても、まったく不思議だわ」

「差別? そんなことはない。

 極東の民族は基本的に優秀だ。……ドイツ人には及ばないとしても、だ」

「くだらない。あなたは父親から受け継いだ差別思想と決別できずにいるだけだわ。

 ハンブルクにはじめて行った時、あなたの父親が私に何と言ったか覚えてるかしら? どれだけの侮辱を受けたことか!

 まあ、無理もないわね。あなたの父親の時代は日本をはじめとした極東の国々が様々な面でドイツを追い越して、そして遙か彼方まで差を広げた頃ですものね。

 その上、息子まで取られた。悔しくてたまらなかったんでしょうね」

「……それは違う。そんなことはない。

 私は公平を愛し、差別を疎むからこそ『ハイ・ハヴ』を作ったのだ。お前だって知っているだろう?」

「馬鹿馬鹿しい。

 あなたは自分では御し得ない差別思想という心の怪物を『ハイ・ハヴ』という神の僕になることで消し去ろうとしただけなのよ。

 ゲーデル、あなたの心はまず愛ありきではなく、まず憎しみありき! 関係を解消して本当に正解だったわ。改めてそう思うわよ」


 お前はクビだと告げるようなS・パーティ・リノイエの一喝に、ハインリッヒ・フォン・ゲーデルはそれでも許しを請うように元妻を見つめる。

 だが、彼女はもはや視線を合わせることもなかった。


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