第28話 光り輝ける場所(2/2)

「べっつにいいじゃんさあ、コウはいくんよぉ。

 こんな閑静な郊外にでっかい2世帯住宅……それでいて、実態はキミとキノエちゃんの2人占め? えっ、なにこれ、どこの成人向けゲームですか?」

「ここは父が遠い将来のために買った家で、その頃はキノエもいなかったし僕はまだ中学生だったんですよ」

「あー、はいはい。何度も聞いたよねー。

 ほいでまあ……なんだ、キミのお父さんとお母さんは大陸でいろいろあったわけだけど、一緒に仕事してた叔父さんがきーちんを連れ帰ってきた、と。

 なるほどー。男女ふたりでそれぞれ一世帯分使い放題。あ、キミは叔父さんと一緒に住んでるから、使い放題なのはきーちんだけか」

「………………」


 人の生死が関わった深い事情をケラケラと笑いながら語るな、と。


(これが他の人なら言い返したくもなるんだろうけど……)


 大学の研究室時代からとても返しきれないほどの恩を受けてきた學姐せんぱいであり。

 そして、大陸中国の戦乱で肉親を失った自分やキノエがまだマシだと思えるほどの、壮絶な少女時代を生き抜いてきた彼女━━鄭月ジェン・ユエに対して、コウは返す言葉を持たない。


「んっふーん。キミ、こういう話題になるといっつも暗い顔するね?

 いけないよー、日本人。もっと明るく、現実に順応して未来を向いていこー。それが香港人スピリット! レッツ英国海外市民BNO

 民主派の両親が拷問の上ぶっ殺されて、臓器バンクにされたくらいでなにさー。あっはっはっ!」

「はいはーい! 大陸中国人もそう思いまーす! あと血がつながっていないんだから、兄妹で結婚するのは当たり前だと思いまーす!」

「いやあ、それはきーちんが初めて喋った日本語は洗濯機Vバーの奇声で、物心ついた頃にはきたない夢に染まり、毎クール30本消化するほどこの国のやべーところに染まりきってたからだと思うにゃあ……」

「……実際、先輩たちに比べたら、自分なんて幸せな人間だと思いますよ」

「幸せであることを後ろめたく感じる必要はないぞ、コウ輩くん」


 とりあえず謙遜してみる。とりあえず自嘲混じりに一歩引いて、相手を思いやってみせる。

 コウの反応はあまりにも日本人らしいものであった。

 だが、そんなものはお見通しとでも言うような顔で、ユエはにんまりと笑う。


「動乱の中にあればこそ、幸せそうで平和な場所は光り輝いてみえるもんだからにゃ。

 幼い頃のむっちゃかわいいロリ天使同然いや~子役デビューでもしとけば良かった~……なワタシにとっては、日本と日本人とはそういう存在だったのだよ」

「子役デビューはともかく、そういってもらえると少し気が楽になりますけどね」

「それにほらー! キミ、学生の頃からほんとめっちゃイケメンじゃん!

 なんで声優やらずに計算機学科なんて入って研究やってたの?

 しかも、英国から留学してきた怪しい香港人の口車に乗って、自分の両親の細胞を勝手に培養して生体コンピューターとか作ろうとしちゃうしさあ! あっはっはー! 倫理委員会がヤバすぎて口つぐんで逃げるとか最高だよ、キミぃー!!」

「そ、その件はその……僕も父と母が亡くなって、動転していたというか……ご迷惑をおかけしましたというか……」


 前言ならぬ前感想撤回したい気分だった。


(……やっぱりこの人は、生死が関わった事情を平然と語りすぎだ……)


 コウは頭を抱えたくなる。

 だが、それでも先輩後輩の弱み。そして自らよりよほど修羅場をくぐってきた者への後ろめたさで、愛想笑いを選ぶしかない。


「コンピューターの中に父と母を蘇らせる、なんて言い出した時はEVAかよって呆れたもんだけど」

「す、すいません。そのアニメは見たことなくて、相変わらずわかりません……」

「えー、うっそ信じらんない!

 きーちんきーちん! ここに日本人のくせにEVAもガンダムも見てない国賊がおりまーす! 任意の処刑で制裁することを当法廷は許可いたしますぞ!」

「マジで。じゃあ一晩裸で同じ部屋で寝て」

「……キノエ、血走った目で僕を見るのはやめなさい」

「じゃあ、一生添い遂げて」

「兄妹として見捨てないくらいなら承諾するけど、もう少し表現を考えなさい」

「えっ、本当に添い遂げてくれるの! やたっ! こーにぃ、大好き! 結婚しましょそうしましょ!」

「ええい、飛びつくんじゃない! 勢いを考えろ! 普通に痛い!」

「んーっちゅ! んちゅっ! んーーーーーーーーーーーーーちゅーーーーーーーーーーーー!!」

「く・ち・び・るを奪おうとするなああああああああ!」


 軟体動物にでもなったのかという勢いでコウの体に絡みつき、とても正視に耐えない表情で唇を伸ばそうとするキノエ。

 だが義妹は所詮義妹なので、コウはあまりにも遠慮のない全力を振りしぼって、キノエの顔面に手のひらを押し当てて引っぺがそうとしている。


(……いや、ほんと。光り輝いているよ)


 鄭月ジェン・ユエはそんな彼ら兄妹の光景をながめながら、じっと右手を見る。

 さらさらで手入れの行き届いた美しい女性の掌がそこにある。大金を注いで移植した皮膚との境目も目立たない。


 そして、くるりとうらがえしてみる。己の手のコウを見る。

 そこには今でも大地の亀裂にも似た跡が残り、一部は触っても感覚がない。


(ナイフで切り裂かれて、酸をなみなみ注がれて……電流も流されたっけな。

 やれやれ。うちの両親が民主派でテロの準備してたからって、10歳の子供にまでよくもまあ……)


 あの時自分を拷問し、そして両親を殺害した香港警察の刑務官は今、何をしているだろうと思う。

 内戦のどさくさで核の光に消えただろうか。

 案外民主派から奪いつくした財産を抱えて、この日本のような国に脱出しているだろうか。


(……あのヤローにとっても、この国は光り輝いていたのかもしれんにゃあ……)


 平和は尊い。

 だが、その尊さを体感できるのは動乱と不安定を知る者だけだ。


(平和に焦がれて、焦がれて、焦がれるほど……そんな奴ほど平和の中では生きられなくなっていくのかもしれないねえ……叔母さん、あんたはどうだろうね……)


 鄭月ジェン・ユエはディスプレイの1つに表示された小さな地図データを見る。

 それは北米大陸東海岸ワシントンD.C.郊外、ダレス国際空港の近傍を示していた。

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