第26話 主体的嚢沙之計(2/2)

(……色々なことがあった)


 第2次祖国解放戦争時に愛車と共に突撃し『南』のK1A2戦車を近距離からの側面攻撃で立て続けに破壊した彼は、北朝鮮人民軍の戦車部隊でもトップクラスのエースとなった。

 少尉へ、そして中尉へと昇進して祖国統一を迎えた彼の人生はまさに軍人として絶頂であった。


(しかし、我が軍の栄光は……核の業火の中で消え去った!)


『社会主義自由清国』によって朝鮮半島全土が核攻撃に遭ったその日。

 彼は一向に国境から進もうとしないロシア軍に対して、連絡武官として派遣されていた。


(まるで動こうとしないロシアの真意を知ったのは、祖国が核で焼き尽くされた後だった……!)


 慌てて平壌へ舞い戻り、残存した統一朝鮮領内の戦車部隊再編成を指揮していた頃、国境都市・新義州では停戦条約調印の名目で誘い出された金一族が核で消滅していた。


(ああ、戦車さえ……俺の戦車さえあれば!!

 今、アメリカが核を撃ってきても、俺だけは戦い抜いてやるのに!)


 戦車とはあらゆる攻撃に強いものだ。もちろん核攻撃ですら例外ではない。


 米ソが地球を何度でも滅ぼせるほどの核をお互いに向けあった冷戦時代。

 戦車という兵器は核・生物・化学NBC防護が当たり前になった。


 戦車の内部を密閉し、外気はフィルターを通して取り入れるのである。

 鋼鉄の装甲で覆われた数十トンの戦車は近距離で核が炸裂した際の熱線と爆風にすら耐える。さらに装甲へ仕込まれた分厚い鉛は放射線を減速させる作用を持つ。


 まさに陸の王者であり、そう簡単には倒れない巨象。それこそが戦車という兵器であった。


 従って『北』が『南』に対して無慈悲な鉄槌を下した際も。

 そして『社会主義自由清国』が統一朝鮮に対して飼い主としての躾を見せつけた際も。


 朝鮮半島には意外なほど多くの戦車兵力が残存していたのだ。


(だがもはや……我々には何もない)


 しかし勝利者として、そして歴史的な『宗主国』として『属国』たる統一朝鮮に乗り込んできた『社会主義自由清国』は甘くなかった。


 戦車や重砲をはじめとしたあらゆる重戦力が没収された。航空機はもちろんのこと、救急ヘリの保有すら許されなかった。

 民間所有だった巨大なタンカーも「軍籍を偽装している」と因縁をつけられ、まとめて没収された。

 結局、統一朝鮮人民軍に残されたのは数だけは多い旧式迫撃砲や骨董品ものの機関銃、そして時代遅れの警戒レーダーや携行ミサイル程度のものである。


(これではまるで第1次祖国解放戦争時の『南』ではないか!)


 そんな状態で統一朝鮮人民軍は米軍の襲来を迎え撃っているのである。

 李明善リ・ミョンソン大尉の心中にある嘆きの声は、白頭山ペクトゥサンの頂きに届くほど痛切であった。


『見ろよ、米軍のお出ましだ。

 ホバークラフト揚陸艦にヘリがわんさか……へへっ、羨ましいな。おっと無人機が一般住民の上で飛び回ってるぞ』

「奴らめ、人民を射殺するつもりか!?」

『バカ言うな、アメリカがそんなことするか。あれは拡声器を積んだタイプの無人機だな……文川ムンチェンへ行けとでも勧告してるんだろうよ』


 まるで敵を評価しているような大尉の言葉に、李明善リ・ミョンソンは胸のむかつきを抑えきれなかった。

 だが、ここで仲間割れを起こしても仕方がない。彼らに命じられたのは、この『元山湾防衛要塞第7号』から敵軍の動向を観察するのみである。


(なぜ見ているだけなのだ……なぜ戦わせてくれないのだ……かつて英雄だったこの私を殺すわけにはいかないという判断なのか……?)


 李明善リ・ミョンソン大尉はやるせない思いすら感じる。

 己が自決でもすれば、部隊はもう少し思い切って抵抗できるではないかと考えるほどだ。


 数十分が過ぎた。さらに数時間の不気味な沈黙があった。

『元山湾防衛要塞第7号』に展開した22名の誰もが息を殺していた。

 その中には李明善リ・ミョンソン大尉のように死んでしまいたいと思っていた者もいるかもしれない。


『おっ、奴ら一通り展開が終わったらしいな。それ、ポンと』

「………………? 今、何をしたんだ」

『通知ボタンを押したのさ。こっそり有線ケーブルが通っていてな。麓のアンテナから軍司令部へ通信が行く』

「……通信? 状況報告の無線でもいれるのか?」

『そんなことしたらあっという間に嗅ぎつけられるさ。

 こいつはただの狼煙のろしだよ。「準備が整った」ってな』

「一体……それはどういう……」


 だが、大尉を問い詰める必要はなかった。

 李明善リ・ミョンソン大尉が首をひねっていると、地鳴りのような音が西方から聞こえてきたのである。


「なっ……こ、これは……!!」

明善ミョンソンよお、お前は真面目すぎるからよ。

 味方を囮にして……見殺しにする作戦なんてのは向かないんだよな。

 だから司令部に相談して、お前には黙ってたってわけさ。

 へっへっへっ……こういうのは俺みたいな奴がお似合いなんだよ……生まれた時から平壌で地方人民の生き血をすすってた俺みたいな奴の……な!!』


 地鳴りの正体はすぐに分かった。

 望遠鏡を覗き込む先で展開した米軍が愕然としているのがよく分かる。


 彼らが展開したのは開けた農地であり、河にも面しており、いかに補給兵站に便利そうな土地であった。

 だが、その河が今や海と化そうとしていた。上流からとてつもない勢いで水がおしよせ、堤防をあっという間に破壊したのである。


三路セギル駅北方の第4小隊は囮として最後まで敵を引きつけて死守敢闘……我々の展開した洪水作戦と共に全滅……まったく勲章もんだな』

大尉! お前は……いや、あなたは……!」

『いいか、李明善リ・ミョンソン大尉。

 お前は西方の司令部まで行け。そして、伝えろ。

 米軍は我々の罠にかかり、補給兵站地が洪水で機能しなくなった。まもなくかき集めた迫撃砲の射撃が始まるだろう。

 そんな中、『元山湾防衛要塞第7号』の大尉以下21名は混乱した米軍に対して強襲をかけ大被害を与えた━━とな!』

「………………!!」

『兵ども、立て! これより突撃する!

 神聖なる祖国の領土を侵した米帝の手先を許すな! 奴らを殲滅しろ! 最後の1人まで撃ち殺してやれ!』


 実際のところ、それは米軍にとって致命的な損害ではなかった。

 展開したばかりの補給拠点が水浸しになり将兵が泥まみれになったものの、上流のダム破壊によって押し寄せたのは溺死するほどの水量でもなければ、すべてを押し流すほどの津波でもなかったのだ。


 だが、囮まで使って洪水作戦を展開した統一朝鮮人民軍は、その代価を間違いなく得た。

 少なくとも予定から数日、内陸への進軍開始が遅れた。浸水した物資や兵装の多くは使えなくなった。


 そして『洪水で浸水した土地』と『泥まみれで戦う敵と味方』は、さしもの国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』にとっても有意な識別ができる状況ではなかった。


 つまり、何のエアカバーもなく突撃した『元山湾防衛要塞第7号』の大尉以下21名は、状況識別不能に陥った武装ドローンや無人航空機による襲撃をほとんど受けることなく、米上陸軍へ有効な攻撃を展開した。

 隻腕の上等兵は片手持ちのサブマシンガンで米兵を3名撃ち殺した。突撃中に膝へ被弾した大尉は泥の中を泳ぐように匍匐前進し、手榴弾を抱えて砲弾集積所へ突っ込んだ。


 彼ら21名が全滅するまでに米上陸軍の将兵は実に130名が死傷し、大量の補給物資が失われたのである。


「彼らは……彼らは祖国の防衛に殉じました! 誇り高く民族の魂を示したのです!」


 統一朝鮮人民軍は代価を間違いなく得た。

 西方の司令部まで辿り着いた李明善リ・ミョンソン大尉は涙ながらにそう報告した。

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