第26話 主体的嚢沙之計(1/2)

 ━━2035年12月8日午前9時00分(元山郊外・統一朝鮮標準時)


「おい、敵軍が進んでいくぞ。本当に何もしなくていいのか?」

『ああ、俺たちはここでただ見ているだけ・・・・・・が任務だ』

「それにしたって、敵が上陸してきたというのに……」


 統一朝鮮人民陸軍の元戦車兵・李明善リ・ミョンソン大尉は、三路セギル駅西の山でレンズの反射を避けるためにスモーク加工を施した望遠鏡を覗き込みながら、不満げな表情を浮かべていた。


(確かにこの要塞はアメリカ軍の上陸に備えてつくられたものだが……まさか金一族がこの世にいなくなってから役に立つなんて!)


 山、と言ってもそれは限りなく丘に近い標高100メートル少々の丘陵に過ぎない。

 しかし濃密に植林されたその丘陵は、実のところ地下通路で八方へ連結された要塞陣地そのものであり、隠蔽は完璧と言えた。


 アメリカ軍の事前偵察や武装ドローンによる近接偵察も免れて『自然地形』と判断されているのは、まさに里山そのものの密な緑あってのことである。


(そもそもアメリカに備えて、と言ってもこれが作られたのは第1次祖国解放朝鮮戦争の直後……つまり、1950年代だからな……)


 骨董品どころか戦争遺跡級であるその地下要塞は『元山湾防衛要塞第7号』と呼ばれている。

 ただの丘にこんな仰々しい名前がついているのは、その立地から元山湾を広く見渡すことが可能であり、しかも海岸から数キロの距離があるため制圧攻撃を受けにくいからだった。


(昔は山頂にレーダーが立ち、砲やミサイルが並んでいた場所らしいが……)


 第1次祖国解放戦争時の首領━━つまり金王朝の初代である金日成キムイルソンによって『元山防衛要塞第7号』は防御設備として整備されたものの、2代目である金正日キムジョンイル治政下においては、経済難にくわえて核開発へ資源が投入されたため、要塞維持の資金はほとんど絶たれてしまった。


 結果、軍の施設としてはみるみる荒廃し、その土地は農林業のために開放。

 近隣住民によって植林も行われて数十年。まるで里山のような風景を取り戻したのが『元山防衛要塞第7号』である。

 だが、冷戦時代の米軍━━もっと言えばかつての国連軍の熾烈な攻撃に備えてきわめて堅牢に作られたその地下構造は、2035年に至るも簡単な補修だけで使用が可能だった。


(つまりはそんな歴史のいたずらで、ここは敵上陸軍の偵察施設として運用されることになったってわけだが、見ているだけとは……)


 配置人員も李明善リ・ミョンソン大尉にくわえて、同じ人民陸軍の大尉が1名。

 あとは下っ端の二等兵戦士や上等兵が20名ほどいるだけだ。


「ああっ、くそ!

 三路セギル駅北方の陣地がやられている! あそこには第4小隊がいたはずなのに……」

『ははは、あんな見え透いた場所に民家を偽装した陣地1つで、しかも装備は携行対戦車ミサイルが数発と機関銃だけだ。

 何もできるもんか。どれ見せてみろよ……へっ、無人機に追い回されてやがる。ひどいもんだ。たこつぼに飛び込んだのに、真上から撃たれてるぜ』

「バカな! 友軍がやられているんだぞ!

 他人事みたいに言ってる場合か! アメリカ軍は今にもこっちへ押し寄せてくる!」

『ここには来ないさ。そう判断したからこそ、大尉の俺たちが配置されたんだよ。

 それに……あっちを攻撃してるってことは、その方向へ敵が展開するってことだ。首尾は上々だぜ』

「祖国の領土が侵犯されているのに、お前は何も感じないのか!?」

『感じるさ。諦めと絶望をな』


 平壌生まれだという大尉は今にも酒をあおり出しそうな声で、投げやりにそう言った。

 見渡せば『南』の京畿道キョンギド出身の若い二等兵が、うつろな顔でスイッチを切った通信機をにらんでいる。『北』の興南フンナム出身の中年上等兵は、顔をこわばらせて新義州が核攻撃された時に失った左腕の場所をさすっている。


(バカな……!!)


 戦意がない。やる気がない。

 かつての栄光ある北朝鮮人民軍が健在だったならば、直ちに上層部へ報告し是正を迫るような事態だった。


 だが、今や統一朝鮮人民軍は崩壊寸前である。


 栄光ある核戦力は第2次祖国解放戦争で撃ち尽くした。

 もちろん、統一朝鮮指導層は戦後に核施設を再建させて核兵器を生産しようとした。


 しかし、周辺強国の圧力により、核施設の再建はなかなか進まなかった。

 そこに襲ったのが『社会主義自由清国』による核攻撃である。しかもそのどさくさに紛れて、日本の空軍は秘密裏に再建中だったはずの黒鉛炉を奇襲爆撃した。


 当然、今や宗主国となった『社会主義自由清国』も存在が露呈した黒鉛炉を見逃すはずがなく、すべての施設は破壊されデータは持ちされられた。

 生き残っていた核技術者だけでも潜伏させようとしたものの、ロシアが送り込んだ刺客によって皆殺し同然に消し去られた。


 さらに高位軍事技術者は再度の核武装を防ぐためという名目で、家族ともども『社会主義自由清国』へ労働奉仕に送られている状況だ。


(戦車さえ……戦車さえあれば! ただ1輌の天馬号T-62さえあれば、奴らなど跡形もなく踏み潰してやるのに!)


 まだ若かった頃を李明善リ・ミョンソン大尉は思い出す。

『南』に従北政権とも言えるものが誕生するより以前。保守派の李明博イミョンバク大統領時代には、彼はエリート戦車乗りだった。

 所属する機甲師団と共にプロパガンダ動画に出演し、「奴らをキャタピラで踏み潰してやる!」と叫んだものだった。


 だが、あれからすでに20年以上の時が流れている。

 李明善リ・ミョンソン大尉もすでに40代だ。


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