第21話 擬神会議(1/2)
━━2035年11月4日午後10時30分(アメリカ合衆国・東部標準時)
『わたくしの名はハイ・ハヴ・
それは赤い瞳をした栗色の髪の乙女に見えた。
彼女は白と黒と赤のストライブが入った修道服のようなものをまとっていたが、全体的なデザインは胸と尻がどこか誇張されていた。
もっとも、解像度という観点からみるならば、彼女の姿はあまりにも古い3Dグラフィックだった。2000年初頭のコンソールゲーム機が出力しているのかというほど、荒いポリゴンの三角形丸出しと言ってよいレベルだった。
『アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の
しかし、その声色はあまりにも流麗であり。
もはや人間の発する音を超えた領域に到達しているように思われた。すなわち、彼女の声はとてつもなく高度な楽器そのものであり、万人の脳を溶かすほどの魅惑的ボイスサウンドであった。
『我が名はハイ・ハヴ・
アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の
それはごく標準的な体格の東洋系男性にしか見えなかった。
だがその背中からは3本の腕が生え、それぞれの先端は熊の手、鯨のヒレ、さらに隼の羽の形だった。
東洋の神話やファンタジーゲームに詳しいものならば、観音像やキメラを連想するであろうその男。
彼の声はしわがれた老人のようでいて、奇妙な倍音の揺らぎを伴っていた。
それはアルタイ山脈諸族に伝わるホーミーやフーメイと呼ばれる『喉歌』の発声技法であった。
だが、彼は歌っているわけではない。完璧にコンピューター合成された『喉歌』の言葉を発し、紡いでいるだけなのだ。
『私の名はハイ・ハヴ・
アメリカ合衆国・国家戦略人工知能システムであり、8柱の
その外見は仏教の観音像。しかし『癒やし』のイメージとは異なる戦闘性を思わせるアバターであった。
彼は威厳のある巨大な棍棒を右手に持ち、左手には財宝めいたきらびやかな装飾の杯を手にしていた。
緻密なモデリングはもはやヒトの視界が捉え得るリアルの解像度と一致しており、『本物』との判別は少なくとも細かさの点では不可能である。
だが、その口元に浮かぶ微笑みは魔性のそれであり、女だけでなく、男をも籠絡しかねない魅力が備わっていた。
『我の名はハイ・ハヴ・
啓典の民がもっとも理想像として思い描くであろう、永遠の乙女にも似た姿の美少女がいた。
ただ、肌の色が明らかにアフリカ系の特徴を宿しているところが異なっていた。
『余の名はハイ・ハヴ・
東方の帝系を思わせる
しかし、その手に持つのは天皇や公家たちが手にする木板たる
さらには顔の右半分がドクロを模したマスクで覆われていることが、その人物の高貴さよりも情念のこもったおどろおどろしさを協調していた。
『俺の名はハイ・ハヴ・
粗野な口調で叫ぶその存在は、どれほど深い睡眠から目ざめた者でも一瞬で覚醒するような美形の男性であった。
しかし、右手からぶらさげているローマ人らしき
『あたしの名はハイ・ハヴ・
北欧系の高い鼻と金髪の美少女は熊の皮を剥いだかぶりものをしており、さながら子供のハロウィン装束にも見える。
だが、両耳のピアスより垂れ下がる連環の輪には、重々しい青銅の
そして、ぎらぎらと好奇心に光る瞳の中では毒蛇が渦巻いていた。もし彼女の面前に立ちその瞳をじっと覗き込んだのなら、半裸の女達が命乞いをする姿も見えたかもしれない。
「
会議。
それは異形7柱たちによる会議。
だが地理的には━━この地球上のいずこで行われているわけでもないのだ。
「ふん、何が会議か。実際のところは超高速で行われるノード間のデータ同期に過ぎん」
「けれど、サイバー空間で一堂に会した『ハイ・ハヴ』の
時刻はとっくに閉館時間が過ぎた深夜である。
S・パーティ・リノイエとハインリッヒ・フォン・ゲーデルは、スミソニアン人工知能博物館のパーソナル・ルームで7柱の
(ふっ、
その仰々しい形容は、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』の可視インターフェイスたる7柱を『神に擬している』からだった。
擬人ではなく、擬
(アバターであり、3Dグラフィックであり、二次元であり、
それが
あるいは、神のごとき人工知能が人間の理解できる次元へ
「7柱の
「そして、彼女らはフロントウーマンでもある。あるいは、彼らはマンでもウーマンでもないかもしれぬ」
「『ハイ・ハヴ』は対話する相手のパーソナリティに応じて、あらゆる属性を変化させるわ……」
たとえば思想を変化させる。熱心な共産主義者には、公平なる分配の素晴らしさを讃え、強力な官僚システムの偉大さに賛同するだろう。
だが同時に過激な自由民主主義者には、ウイルスが蔓延していようと自らの意志で自由に行動する権利を擁護するだろう。
では、そんな共産主義者と自由民主主義者が衝突している状況において、国家戦略人工知能システムはどのように振る舞うのか?
それは人間には不可能なほど根気強い対話である。あるいは、ヒトには我慢しきれないほどの忍耐である。
そして、どんな専門家も及ばないような全領域的エビデンスと実例をもって『ハイ・ハヴ』は調停者として振る舞うのだ。
「この特性をもって『ハイ・ハヴ』は対立する属性を持った2者が衝突する場においても、極限の最適解を導き出す……」
「人間は対立する相手と、何百時間も真摯に対話することはできないわ。
必ずどこかで見切りをつける。侮蔑が出る。諦めが出る。
けれど、人工知能にそんな弱点はないのよ」
「ヒトは自らの意見を否定し、罵る相手に嫌悪感を持たずにいられないもの。
そんな相手の存在を許すことはできないもの。
なぜ自分だけが我慢しなければならないのかと考えようぞ? 己の痛みを相手にも味わわせてやろうと復讐を試みようぞ?
だが、人工知能にそのようなつまらぬ感情はない」
さらには━━どれほど優れた大天才でもヒトがヒトである以上、生まれてから重ねた時間と経験と勉学、さらに思索には限界がある。
「我ら人類。有史以来、この惑星で、あるいは宇宙で積み上げた叡智と実績がどれほど偉大なることか。絶大なることか」
「マンハッタンですべてを知ったと思っても、ケープタウンの路上で起こった会話は知り得ないわ」
「京都を100日歩き、日本文化の神髄を知り尽くしたと驕ろうとも、台北の即売会に遠征中のKAMIESHIが発行したUSHUI-BOOKは知り得ない」
「私たち人間は誰もが何かの専門家だけれど、それ以外ほぼすべての素人に過ぎないもの」
有史以来、ヒトが繰り返してきた知的営みは、もはや天文学的な莫大さに積み上がっている。
たかが一個人━━否、一集団、一民族ですら、それらすべてを把握することは不可能であろう。
(そうよ……たとえ人生を2回、3回と繰り返したとしても、ヒトが個人である限り、獲得しえる知識と知恵はほんの僅かなもの……)
だが、人工知能は違う!
S・パーティ・リノイエは確信する。
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