第19話 フランスはまたしても新しい戦争に敗北する(1/2)

 ━━2035年11月3日午前11時00分(パリ・中央ヨーロッパ標準時)


『大統領、自由と経済はどちらが大切だと思いますか』

「それは自由です」


 パリ大統領官邸エリゼ宮の一室でシャルリー・エブド誌の独占インタビューを受けながら、第27代フランス大統領ジョルジュ・ド・ミニェは即答した。


 迷う余地のない質問である。

 フランス人ならば誰でもそう答えるはずだと思った。


『では大統領、自由と経済はどちらが大切だと思いますか』

「それは恐らく・・・自由です」


 が、同席するもう一人の人物はシャルリーの記者から同じ質問を向けられて、『恐らくプロバブレモ』という単語を挟んだ。


『ははは、これは師弟の言動不一致ですね』

「いやいや、記者くん。私は引退した老人に過ぎない。現職大統領の意見こそが、このフランス国民を代表するものだと信じているさ」

「そう言っていただけると嬉しいですね、我が師モン・メットよ。しかし、引退というにはまだ早すぎるのでは?」


 ミニェ大統領の言葉に対して、にんまりと笑う人物。

 57歳のフランス人。若き頃、多くの女性を虜にしたそのスターじみた美形っぷりは初老を迎えても衰えることはない。


 彼の名はエマニュエル・マクロン。

 第25代フランス大統領を2期10年にわたって勤めた人物であり、そして政治的にはミニェ大統領の師匠と呼ばれる人物である。


「なに、私はすっかり隠居の身さ。もはや出番はないだろう」

『すると、元大統領はもう政治的な野心はないと?』

「その通りだ。

 もちろん、よほどのことがあればまたフランスが私を必要とするかもしれないがね……たとえば、敵国が攻め込んできて我がフランスが負けるとか」

『はははは、なるほど。それは大事ですな』

「………………」


 シャルリーの記者はマクロン元大統領の言葉をジョークと理解して笑ったが、ミニェ大統領の表情は一瞬凍り付く。

 幸いにして、記者がそれに気づくことはなかった。


「その時はペタン元帥のように、いかなる泥をかぶってでも後始末を請け負うとするよ」

『幸いなことに我がフランスはナチス・ドイツに喫した屈辱的敗北以来、本国が落とされたことはありません。

 あの欧州中が大騒動になった『200分間戦争』においても、我がフランスは比較的迅速に対処しました』

「我が弟子のお手柄だな。なあ、大統領?」

「ええ……アメリカ軍との合同サイバー演習中に発生した、欧州規模の巨大インフラ障害……まさにあれは戦争そのものの緊急事態でした……」

『しかし、大統領。

 あの『200分間戦争』はいまだいくつかの疑念を残しているようですね』


 ふと、シャルリー記者の視線が鋭くなる。

 恐らく何か━━いや、相当に確度の高い情報を掴んでいることがうかがえた。


(だが、旧来マスメディアの悲しさか……彼らがすべてを正確に暴露したとしても、今や信じる者は少数だろう……)


 2010年代から世界を覆い尽くしたフェイクニュースと国家規模の情報工作は、報道の信頼性を著しく損なった。


(しかし、外部からのフェイクや工作以上に彼らの評判を損なったものがある……)


『新聞』『テレビ局』『配信社』といったいわゆる旧来マスメディア。

 それらの信頼性を叩き落としたのは、実に彼ら自身が繰り返してきた質の低い報道そのものであった。


 政治的立ち位置や党派性による偏向した報道の数々を、読者と視聴者は簡単に見抜く。


 当たり前のことだ。

 5秒検索すれば5セコンド・グーグル・イト偏向だとバレてしまうような記事が、コメントが、映像が、言葉の切り抜きがあまりにも多かったのだ。


(だが、それでも『信じたい者を信じる』心の弱い者はいるのだ……)


 ミニェ大統領は思う。


 政治家Aが嫌いで仕方が無い者は、理性的な判断など放棄し、感情のままに政治家A叩きの新聞Aを購読する。

 これもまた、ヒトの性だ。


 むろん、テレビ局にも同じ事が言える。

 そうした人々に向けてニュースをますます偏向させれば、一定の読者は確保できる。企業としては存続できる。

 だが、そうすればするほどに『旧来マスメディア』全体としての信頼性は底知れぬほど落ちていく。


(アメリカで……この欧州で……もちろん極東でも……全世界で旧来マスディアはそうした道を辿った……)


 欧州きっての独立系新聞社シャルリー・エブド誌といっても、それは例外ではない。

 ヒトがヒトである限り完全に党派性を排除することはできず、また『旧来マスメディア全体』から無関係でいることもできないのだ。


『大統領につつしんでおうかがいします。

 例の『200分間戦争』において……ミサイルやドローンのようなものに攻撃されたという報告が後を絶ちません。

 公式発表では、第三国による兵器システムへのクラッキングの可能性があるとのことでしたが、実のところ米国の自発的な意志による『開戦』だったという意見について、どう思われますか?』

「現在も米国と共同して調査中です。なにぶん、あれだけの規模の巨大障害です。全容はまだ掴めていません。

 ですが、もし何らかの第三国が兵器システムをクラッキングして実弾を発射する段階にまで到ったのであれば、それは大変な問題です。

 少なくとも我がフランス軍による兵器の使用は確認されていませんが……安全保障分野のみならず、国家全体のセキュリティはますます高めていく必要があるでしょう」

『なるほど、ありがとうございます』


 テンプレートな回答をどうも、とでも言いたげにシャルリーの記者は肩をすくめた。

 分断時代の極東半島国家であれば、大統領に非礼であると叩かれそうな仕草である。


(たとえ大統領が相手だろうとこびへつらうことはしない……同じ1人の人間だから……骨のあることだ)


 メディアには苦しい時代であろうが、シャルリー・エブドはそれで良いとミニェ大統領は思う。

 せめて、シャルリーだけはそうあってほしいと思う。


「今回の『200分間戦争』は大きな被害を出し国際問題となりましたが、悪いことばかりではありません。

 我々欧州連合は米国から巨大な譲歩を━━つまり、彼らが『国家戦略人工知能システム』と呼んでいる人工知能インフラの『接続』と『利用』を無償で許可されたのです」

『コンピューターの専門家に言わせれば、何兆ユーロもの賠償金に匹敵するとか?』

「ええ、これは米国が成し遂げている直近の高度成長における原動力とされているものですからね。

 そのエンジンを無償で手に入れたというわけです。

 聞けば東洋には『災い転じて福となす』という言葉があるそうですが……この一件をきっかけに我々欧州と米国との関係がさらに発展していけば望ましいと考えます」

『なるほど、よく分かりました、大統領。

 インタービューはこれにて。本日はありがとうございました』

「こちらこそ」


 表面的な満足だけを装ってシャルリーの記者は退出していく。

 だが、ミニェ大統領は見逃さなかった。やはり釈然としないように首をひねって、エリゼ宮の通路を歩いていく記者の姿を。


「ふう……」

「くくくくっ」

「笑い事ではありません、我が師よ」


 思わずミニェ大統領がため息をつくと、マクロン元大統領はなんとも楽しそうに笑った。


「いやいや、何もかも嘘……大嘘というものだな。

 あのシャルリーの記者はきっとあれが実際の戦争だったという事実を掴んでいるぞ。ありのままに公開されたらどうする、大統領?」

「特に何も、我が師よ。

 熱心なシャルリー読者5%が信じて、残り95%は『また変なことを言い出したぞ』と忘れるだけですよ……むしろ、彼に同情します。記者の仕事があまりにも割に合わない時代となりました」

「真実は小説よりも新聞よりも奇なり、と言ったところだな。

 ……まさか米国による欧州全体への奇襲攻撃があったとは、いったい誰が信じられるだろうか……」

「ええ、そうです。

 そして、たった200分で我々欧州が屈服し、その戦いの痕跡すらもあっという間に消え去ろうとしている……」

「たった2ヶ月で消えていく『200分戦争』……か。

 絶対的な損害も犠牲者も確かにすくない……大型災害の方がよほど恐ろしいだろう……傷として残るものが少ないであろうことは幸いではあるが……」

「しかし、我が師よ。私には彼らが許せません」


 戦いの敗北に対してミニェ大統領には悔いもあれば、恨みに近い感情もある。

 だが、もっとも強い思いは敵となった米国ではなく、友邦たるドイツに対してだった。


(あの時……彼らドイツ人が……そう、ドイツ連邦首相デグナー・フォン・リーベルッヒがあまりにもあっさりと全面停戦を選択しなければ、徹底抗戦の道もあったのだ!)


 ミニェ大統領にとって誤算だったのは、必死の思いで欧州政府間ホットラインを復旧させた頃には、欧州連合の双巨頭その1たるドイツが屈服を決めていたことだった。

 ドイツは欧州連合最大の国家である。そして、この時点で多くの中小国は事態の把握すらできていない状態だった。


(それは……殆どの国はドイツと同じ態度を取るだろうさ!)


 フランスが必死に引き留めても無駄だった。

 もっともイタリアだけは無気味に沈黙を守り、伝家の宝刀である土壇場の裏切りを米国に対して見せてくれるのかと期待させたが、結局は首相をはじめとした要人がバカンス中であり、政府としての意志決定が不可能だったことが判明した。


 ミニェ大統領が大勢に従うことを決断したのはこの時である。

 腐ってもG7の一角として存在し続けたイタリアがこれでは、欧州が反撃することはもはや不可能だった。


(これが全面戦争ならば……むしろ話は違った)


 もし米軍がサイバー攻撃とドローン兵器を主力とせず、伝統的な爆撃機やミサイル、そして上陸兵力で攻め寄せてくるならば、まったく違った戦いができるはずだった。


 いざとなれば、フランス軍にとって最終兵器である原子力潜水艦搭載の潜水艦発射弾道ミサイルSLBMをアテにすることも出来る。

 冷戦期から独自の核戦力整備を貫いたフランス軍は、2035年の現在も改ル・トリオンファン級原子力潜水艦4隻のローテションによる即応体制を維持しており、いざとなればその1隻が全力発射する16発の水爆ミサイルが、それぞれ6発の弾頭を分離し、アメリカに96ものキノコ雲を打ち立てることができる。


 もちろんこの核戦力はドイツをはじめ、欧州のどんな国も持っていないものだった。

 たとえ全盛期のソ連や中国が攻めてきても叩き潰せる欧州最後の矛。究極の選択を迫られた時に抜き放つべき聖剣。

 それこそがフランスが膨大なコストと労力をかけて保持し続けてきた、独自の核戦力だったのである。


(だが、我々には聖剣を抜く時間すらなかった……これはまったく新しい戦争だった!

 そうとも! 我がフランスはまたしても新しい戦争に敗北したのだ!)


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