第13話 エリゼ宮の長い長い黄昏

 ━━2035年9月6日午前2時00分(東京・日本標準時)

 ━━2035年9月5日午後6時00分(パリ・中央ヨーロッパ標準時)

 ━━2035年9月5日午前12時00分(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)


『ネットワークが……いや、政府のシステム自体が完全に落ちています! 大統領官邸だけではありません!』

『緊急用バックアップシステムもまったく応答しない! 電話もダメだ! 誰か軍と連絡をとれないのか!?』

『まったくの通信途絶です! パリ市内でも動揺が広がっているようです!』

『大統領、これはいったい……』

「間違いなく何らかの攻撃なのだろうが」


 第27代フランス大統領ジョルジュ・ド・ミニェは、大統領官邸エリゼ宮の執務室で走り回るスタッフに囲まれながら、深刻な顔で呟いた。


(一体、どこの誰だ!? まさかとは思うが……あのメッセージはそういうことなのか!?)


 パリは夕暮れ時である。今日はいい天気だから、夕焼けに照らされる市街は世界で1番美しいだろうと思う。

 しかし、今のミニェ大統領にとっては、世界の美しさを楽しむ余裕は皆無そのものだった。むしろ、世界で1番不可解な事態に遭遇しているという感すらある。


『大統領、メディアがコメントを求めて押しかけてきていますが』

「早いな。待たせておけ。

 ━━いや、誰か通信手段を持っている奴がいないか聞いてみてくれ。つながる電話があれば借りたい」


 他ならぬフランス大統領が電話を借りたい、というのである。いかに通信ネットワークが壊滅的な被害を受けているかということだった。

 もっとも、まがりなりにもフランスである。NATOに背を向けてまで自主国防の道を歩んだだけの矜持は備わっていた。


『お待たせしました、大統領! こちらが緊急用通信機です。申し訳ありません、金庫の鍵が……なかなか見つからず』

「謝罪は後だ。直ちに軍とつないでくれ」

『はっ。軍の非常司令部へと最優先で接続されます……出ました!』


 汗だくになって、官邸スタッフの一人が持ってきたのは、両手に抱えるほど大きな無線通信機であった。

 太く長いアンテナを開けはなった窓から外へ向けて伸ばすと、骨董品のような手回しハンドルを全力で回して発電し、無線通信を始める。


(まさかこのような『世界最後の日ドゥームズデイ』用の機材を持ち出さねばならんとは)


 それは核戦争ですべてのインフラが断たれた時、いかなる支援も得られない状況で通信を試みるための機材だった。

 年に1回の点検以外は、核のボタンと共に非常用金庫へ封印されたその通信機を使わざるを得ない状況に至ったのは、もちろん通話も、データ送信も、当然メールやメッセージングの類いも一切、使用できないからに他ならない。


『非常司令部であります』

「大統領だ。今、パリからかけている」

『これは!━━ああ、ご無事で何よりです! 統合参謀長、大統領から連絡が入りました! エリゼ宮です!』


 あらゆる通常通信が遮断された非常時にしては、きわめてクリアな音声がスピーカーから聞こえてきた。

 どうやら軍では通信を受ける準備を整えていたらしい。あるいは、何とかこちらへ通信できないか、連絡を試みていたのかもしれない。スピーカーの向こうで、どっと歓声が巻き起こったのが分かった。少なからぬ人員が集結しているようだ。


『ジャヌー・ギヨームであります』

「統合参謀長、単刀直入に聞く。これはテロ攻撃か?」

『はっ、大統領閣下。目下、情報収集を継続しております。

 ですが……お決まりのフレーズを抜きにして、私の勘を言わせていただけるなら、これはテロではありませんな。

 きわめて大規模な正規軍による攻撃です』

「根拠を聞かせよ」

『1つ。遺憾ながら我がフランス軍は、現在ほぼ行動不能に陥っております』


 軍が行動不能。その端的な説明は、ミニェ大統領を絶句させるのに十分だった。


「いかなる時でも即応できるのが、我がフランス軍ではないのか?」

『お言葉は当然のことです。しかし、現在、民間もふくめたあらゆる通信手段がダウンしております。

 フォンによる通話やデータ送信……さらには、僅かに公共機関へ残された有線電話まで機能しておりません。我が司令部も各基地とまったく連絡がとれない状態なのです。先ほどヘリを飛ばして、直接、連絡に行かせたところです』

「正規軍による攻撃と言ったな。通信設備がミサイル攻撃でも受けたというのか?」

『いいえ、その兆候は今のところ確認できません。

 しかし、つい先ほど━━情報収集に上がったヘリから、ドゴール空港の方角から煙が見えるとの連絡を受けています。これも軍の通信ネットワークが全面ダウンしているため、私物のアマチュア無線機を使ってやっと通信できたことなのですが……』

「なるほど、よく分かった。

 つまり、我がフランス全土にわたって、完全に耳と口がふさがれている。そういうことだな?」

『……はい。そして、我が国のみならず、欧州全土がその状態と思われます』


 その言葉はミニェ大統領にさらなる衝撃を与えるはずだったが、もはや予想のうちだった。


(そうだろうとも……ああ、そうだろうともさ!)


 エマニュエル・マクロンの弟子と呼ばれ、44歳の若さでフランス大統領の座に登り詰めたミニェはその端正な顔立ちを苦悶にゆがめる。

 映画俳優が恋人を失った悲しみに耐えているかのようだった。

 現実であるはずなのにまるで物語の中にいるようだったと、後に大統領官邸スタッフの一人は振り返っている。


 だが、彼らフランスを襲っている現実はフィクションではない。


「……統合参謀長、まずは全力を尽くして事態の把握と被害の復旧につとめよ」

『はっ!』

「だが、君にはさらなる試練を与えなければならない。その重圧に耐えられないと感じても、耐えろ。

 先ほど、私の『フォン』スマホに一通のメッセージが届いた。恐らくその一通を送るためだけに、私の『フォン』は通信回線が生かされていたのだろう」

『……大統領、そのメッセージの内容とは?』

「宣戦布告だ」

『………………!!』

「送信元は、アメリカ合衆国・国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』。彼らの国家中枢で動作する汎用人工知能システムだ。

 おそらく━━いや、間違いなく我々はアメリカから攻撃されているのだ」


 その言葉は通信先であるフランス軍統合参謀長を驚かせるだけではなかった。

 聞き耳を立てている大統領官邸のスタッフは、誰もが愕然とし、中には卒倒する者までいたのである。

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