第12話 機密脆弱性という概念(2/2)
「言うまでもないことだ。あらゆるコンピューターには脆弱性が存在する。
パーソナルコンピューターであれ、
『ええ、コンピューターに入力と出力が存在し、
しかし、ほとんどの脆弱性はいつか明らかになり、修正されます。それは素晴らしいことです。人類が組織的なチームプレイによって、共有知によって達成する進歩です』
「だが、中には……我々NSAによって発見されたあと秘密にされ……そして我々サイバー軍によって利用される機密脆弱性も存在するというわけだ……」
2020年代。
『彼』の時代に象徴される巨大な内部対立と混沌の中で、アメリカの情報機関は体制の立て直しと自分たちの存在価値のアピールに奔走してきた。
(そう、存在価値のアピールだ)
すなわち、それは中国に対するサイバーアタックである。
新型コロナウイルス・パンデミック以降の劇的な関係悪化により、諜報員を送り込むことはほぼ不可能となったが、それでもアメリカは
それこそが機密脆弱性と呼ばれる、公開されていないコンピューターシステムの弱点。
さらに言えば、製造メーカーや開発者すらも気づいていないセキュリティホールの活用である。
ここでも凄まじい進歩を遂げつつあった人工知能技術はフル活用された。
人間にとって1000のアタックパターンを試すことは、ゲームの最終バグフィックスよりも退屈な行為である。
いくらプログラム化したとしても、それはパターン処理に過ぎず、往々にして隠されたバグを見つけることはできない。
だが、人工知能は人間が頭を抱えて逃げ出すような、面倒で、そしてレアなパターンの操作も顔色1つ変えずに反復することが可能なのだ。
世界一有名なヒゲの配管工にたとえるならば、スタート直後に茶色い敵キノコを踏みつけたあと、ジャンプと左右移動を数ドットずつずらして、あるいは数秒ずつタイミングをずらして、ランダムなキー入力と無意味なボタン押下も交えながら、10万パターン以上の操作を繰り返すこともできる。
そのようにして発見した幾多の機密脆弱性を利用して、2020年代後半のアメリカは中国に対するサイバー攻撃を成功させてきた。
「とはいえ、その頃……あなたはまだ構築中の存在で『ハイ・ハヴ』とすら呼ばれていませんでしたな」
マツゴロウ・ナカソメ・ジュニア大将が見つめる個人コンソールモニターには、奇妙な男性が映っている。
それはリアルな人間の肌をしているようにしか見えず、顔面の造形もごく標準的な東洋系の男にしか見えなかった。
だが、その異形はヒトのそれではない。
背中からは3本の腕が生え、それぞれの先端は熊の手、鯨のヒレ、さらに隼の羽の形だった。
(観音像……さもなくば、神話のキメラ)
宗教やファンタジーゲーム好きならそんな連想をするであろう姿の男性は、細い目を大きく見開くと、マツゴロウ・ナカソメ・ジュニア大将の言葉に応じた。
『ごきげんよう、長官』
男性の声はしわがれた老人のようでいて、奇妙な倍音の揺らぎを伴っていた。
それはアルタイ山脈諸族に伝わるホーミーやフーメイと呼ばれる『喉歌』の発声技法である。だが、彼は歌っているわけではない。完璧にコンピューター合成された『喉歌』の会話をしているのだ。
『我が名はハイ・ハヴ・
アメリカ合衆国・国家戦略人工知能であり、8柱の
彼は欧州連合各国への攻撃に関する簡素なレポートを表示し、いくつかの堅牢な目標に対して、戦術の変更を提案した。
それは人間が主体となって分析するならば、少なくとも1週間はかかるだろうという内容だった。
マツゴロウ・ナカソメ・ジュニア大将は直ちに変更を承認する。
そして、新しい戦術は直ちに実行され、数秒後にはいくつかの目標において特権の奪取に成功した。
(すさまじい……)
これが国家戦略人工知能システムの威力である。
高度に汎用化され、まるで人間のような柔軟性を持ち、人間の行うあらゆる判断を支援する。それもコンピューターの動作速度で。
(もはや我々は『ハイ・ハヴ』の勧めに従って行動する、敬虔な信徒のような存在になったのかもしれない……)
それを人間が自主性を喪失したのだ、と叫ぶ者もいる。
機械から、プログラムコードから、人間自身の判断を取り戻せと叫ぶ者もたしかにいる。
(だが、今やこの合衆国において……そんな者は少数派だ)
なぜなら、それはあまりにも具体的な利便性を万人に示したからだ。
そして、アメリカにおいてもっとも重要なことに、その判断が党派性や人種・信仰といった属性を排除した公平なものだったからだ。
「2020年代……あまりにも痛ましい内部対立のトラウマを抱えたがゆえに、我々は人工知能という救いを喜びをもって受け入れたのだ」
このサイバー・ミッションセンターに集ったNSAの要員達、そしてサイバー軍のスタッフたちも皆、同じ思いを抱えているのだ。
共和党支持の差別主義者め、と殴りかかられた経験を持つ者がいる。
黒人奴隷を使役したおぞましい奴だ、と故郷の銅像を破壊された者がいる。
フェイクニュースを信じる反知性主義者だ、と職場から追われた者がいる。
ホモセクシュアルを認めないレイシストはここから追い出そう、と共同体から叩き出された者もいる。
分断。対立。いがみあい。それはすべて人の業である。
人が人たる『属性』を元に恣意的な判断を行うから『区別』は『差別』になってしまう。
「判断者が何らかの『属性』に立脚した『ヒト』である限り、内部対立は決して避けられないのだ」
それを解決した唯一の存在。それが人類最初の汎用人工知能。
すなわち、国家戦略人工知能システム。名を『ハイ・ハヴ』。
「まもなく作戦の終末フェイズに入る。状況を報告せよ」
『ドイツにおける83パーセントのミリタリー・ネットワーク・システムを掌握しました。15秒後に制御を奪取したすべての機器で全コンポーネントのファームウェア破壊プロセスに入ります』
『ハイ・ハヴによる戦術変更によって、予定外の成果ですが、フランス大統領官邸の対
全制御コードの消去とファームウェアの破壊を実行し、装填テープの暗号キーについても改ざんを実行します。完全ロストデータの見積もりは340エクサバイトです』
『欧州統合航空管制システムはすでに全面ダウンしています。エアバスのフライング・ヘルス・ドクター・ネットワークは順調に浸食中。
計画通り、飛行中の旅客機には侵入を留保しています。機体着陸後、フライト・コンピューターのソフトウェア・キルを実施予定』
それからおよそ30分後。欧州連合諸国に対するすべてのサイバー攻撃は終了した。
制御の乗っ取りや情報奪取を目的としない、純粋なシステムの破壊を目的としたサイバー攻撃である。ただただ、消し去り、破壊し、復旧不能な状態に追い込む。
その攻撃は施設が爆発するわけでもなければ、電流がバチバチとショートすることもない。
だが、もはや欧州連合に存在する無数のコンピューターシステムは、単なる樹脂とシリコンとレアメタルの集合体に過ぎない。
(もっとも根本的な制御プログラムであるファームウェアやマイクロコードまでも破壊し尽くす……これはどんなに凶悪なハッカー集団も行ったことのない、大量破壊サイバー攻撃だ)
もちろん、バックアップシステムすらも逃れることはできない。むしろ、バックアップから先に消去し、破壊にかかるのがこの攻撃の特徴だ。
テープライブラリの全データは消去操作が実行される。オペレーターの介入を想定し、まず暗号キーから改竄し、大切なデータは2度と複合化できなくなる。
おそらく、20世紀ならば珍しくもなかった完全孤立型の
2035年9月5日午前11時30分。
それは大西洋上の空母『ジェファーソン・デイヴィス』から初弾が放たれてから、わずか1時間後のことであった。
欧州におけるコンピューターネットワークの95%が通信不能に陥り、政府・企業組織のシステムは80%以上がダウン。
むろん、フランクフルト国際空港をはじめとした交通機関のシステムも甚大な影響を受けていた。あらゆる意味で欧州連合は襲ってきた攻撃に対する対抗手段を失っていた。
「我々は既にこの戦いに勝利した。我々は、我々の貢献によって、この戦いを勝利に導いたのだ」
第23代
それはまったく正しい状況判断にして、NSAとサイバー軍が挙げた空前絶後の大戦果であった。
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