第12話 機密脆弱性という概念(1/2)
━━2035年9月5日午後5時00分(ドイツ・中央ヨーロッパ標準時)
━━2035年9月5日午前11時00分(アメリカ合衆国東部標準時)
時系列は再び遡り、核融合極超空母『ジェファーソン・デイヴィス』がステルス巡航ミサイル・トマホーク2030を発射してから30分後のこと。
そして、予定された『開戦』時刻よりも、40分前のこと。
「攻撃開始。所定の作戦計画に従い、欧州連合の各標的に対して
『攻撃を開始します。フランス行政機関の使用するネットワークルータ、VPNゲートウェイ、セキュリティアプライアンスの機密脆弱性を用いて、直ちに特権奪取を試みます』
『攻撃を開始します。ドイツ連邦政府にて利用されているオープン・ソース・セキュリティ・ゲートウェイ『ブランデンブルク門』の機密脆弱性を攻撃します』
フォート・ミード米軍基地。
世界的な物差しでみれば、その場所はワシントンD.C.のすぐ近くと言っても差し支えないだろう。何しろ数十キロの距離しかないのだ。
もっとも、自国の地図と比較してみた東洋人はさらに正しい理解へ行き着くに違いない。
日本人なら「なんだ、銀座と牛久くらい離れているのか」と言うだろうし、「おいおい、上野と八王子くらい離れてるぞ」と呟くだろう。
統一前の韓国人なら「ソウルとインチョンは違うよな」と思うだろうし、統一されていた頃の上海に住んでいた中国人は「
つまるところ、羽田と成田くらいにはワシントンD.C.中心部から離れた都市。それがフォートミードであった。
(遂に我々NSAが名誉を挽回し……そして、我が父に着せられた汚名を返上する時が来たのだ)
軍艦のCIC並みの重防御がなされたサイバー・ミッションセンターで、マツゴロウ・ナカソメ・ジュニア大将は手のひらに浮かんだ緊張の汗を強く握りしめていた。
彼はアメリカ・サイバー軍の司令官にして、泣く子も黙る世界最強の情報組織・
フォート・ミードは名目上、陸軍基地ということになっているが、米軍における情報戦力の中枢なのだ。
そして、世界をコンピューター・ネットワークが覆い尽くし、
(思えば我々の任務は……地味なものだ)
2035年の
その構成員に求められるのは、ジェームス・ボンドのような華々しいスパイ・アクションでもなければ、敵地へ潜入して行う爆破工作でもない。
活動の基本は傍受である。
膨大なコンピューター・ネットワークの通信の中から、目的に応じた傍受対象を割りだし、狙い撃ちにする。
冷戦時代にたとえるならば、ソ連から発せられた特定周波数の電波を分析する。東ドイツから流れる国際電話の信号を1ラインだけこっそり拝借する。さらには日本の商社が流す国際ファクシミリのデータを盗聴する━━そんなところであった。
「さて、この『人工知能戦争』……世界の人々は我々NSAの戦いを何と表現するかな」
『少なくとも陰謀家たちは「エシュロンがやった」と騒ぎ立てるのでしょう』
「くっくっくっ……まったく古典だな。モスクワで隠遁生活を送っているスノーデンも苦笑することだろう」
マツゴロウ・ナカソメ・ジュニア大将は、2032年から第23代の
だが、彼の就任にはちょっとしたドラマがあったのだ。
2020年代初頭、中国との軍事衝突においてNSAおよびアメリカサイバー軍は、お世辞にも満足な成果を出したとは言いがたかった。
新型コロナウイルスのパンデミックによる各国の人的往来封鎖や、中国からの絶え間ないサイバー攻撃の脅威に晒されていたとはいえ、北京指導部の趨勢を明らかに読み誤り、最終的には台湾から共有される情報に全面依存するという失態を犯してしまった。
(無理もない話だった……)
その時、第3代アメリカ・サイバー軍司令官を務め、そして、第18代
決して父が無能なわけではなかった。
しかし、2000ゼロ年代からアメリカ合衆国の対外諜報はじわじわと質的劣化を続けており、対照的に中国の諜報攻勢は熾烈で、高い成果を出していた。
言うなれば、アメリカの情報活動自体が防戦一方の時代だったともいえる。
そして、2020年代初頭の新型コロナウイルスパンデミックは、まさにその頂点とも言える段階だったのだ。
(父は無能ではないが、神でもない……傾きつつある組織をなんとか支えることで精一杯だった)
第18代NSA長官であるマツゴロウ・M・ナカソメ大将は、着任以来の2年半、対外諜報作戦の立てなおしに心血を注いだ。
だが、当時の中国はまさに日の出の勢いであった。
しかも中華民族には伝統的と言ってもいいほどの諜報作戦に対する強みがあり、なおかつ国内は
敵地で情報収集する側にとっては、まさにソ連以来の難敵だったのである。
(おまけに中国内の諜報網が1度壊滅した後とあっては……どうにもならない)
こういう時に頼れるのが人間を介した諜報、つまりヒューミントであるが、その主体たるCIAも中国内に築きあげた諜報網に破滅的な打撃を受けたばかりだった。
かくして、敵の防御はもっとも堅く、こちらの攻め筋はもっとも細い━━そんな状態で勃発したのが2020年代初頭に起こった中国との軍事衝突だったのだ。
戦いには勝利をおさめたものの、余波は決して小さくなかった。NSAもアメリカサイバー軍もろくな仕事ができなかったと公然たる非難を受けることとなった。
結果、その長たる彼の父は辞任に追い込まれた。
まさにシナリオが決まっている政治ショーと言えた。
「今回は気楽なものだな、副官」
『と言いますと?』
「我々の任務が、さ。
持てる能力をただ振りしぼり、使命を果たせばいい。その評価に党派対立や人種への配慮が入り込むこともない。
私の父に対して辞任運動をした者達が何を狙っていたと思う?
実にくだらないことだ。日系が長官をしているのはけしからんから、長らく迫害を受けてきた我々の人種から長官を出せというものだった」
『あの時はひどいものでしたよ。お父上は本当に気の毒でした』
数奇な人事上の巡り合わせか、あるいは狙った配置なのか。
マツゴロウ・ナカソメ・ジュニア大将の副官をつとめている男は、父の時代も副官だった人物である。
(そう……時として『ハイ・ハヴ』はこうしたことをする……人間の考える人事上の決定ではあり得ないパターンを作り上げる……)
アメリカ合衆国の誇る国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』は、人事にすら介入する。
いや、建前上はあくまでも
(人間が決定を下せば、どうしても疑われることがある……)
たとえそれが最良のパフォーマンスを目的としていたとしても「同じ都市の出身だから贔屓したのだろう」と言われ、「同じ某国系だから抜擢したのだ」と叩かされる。
もっとストレートな場合は「自分と同じ神を信じる者だけ集めた」と非難されることもある。
「父はこの合衆国で荒れ狂っていた内部対立の犠牲者だったのだ」
『全面的に同意します。
白人は黒人といがみあい、ヒスパニック系はイスラームを攻撃し、中華系は南米の移民と騒ぎを起こす……共和党と民主党の2大党派対立はその究極でした』
「もちろん、我々はヒトだ。ましてや情報機関の人間だ。あらゆるものに疑いを持つことが仕事だ。
どんなことにも疑念を持つことはできる。
だが、人工知能に人事上の決定を委任することで、少なくとも仲間同士でのいがみ合いは避けられる……大したイノベーションだと思うよ」
『それでも特定の人種が『ハイ・ハヴ』の開発を専横していると陰謀論を流す者達はいますが、最小限に抑えられていると言えるでしょう』
国家におけるあらゆる内部対立は、いわば
出来の悪いエンジンがパワーを発揮できないようなものだし、グリスの切れたベアリングが異音を立てるようなものだ。
(国の内部にある
情報を専門とするだけに、マツゴロウ・ナカソメ・ジュニア大将はその本質を的確に見抜いていた。
2010年代から先鋭化し、『彼』の時代にもっとも激しくなったあらゆる内部対立を解決する銀の弾丸として『国家戦略人工知能主義』を戴いたアメリカ合衆国が、2030年代に示した高度経済成長は、それだけ莫大な
「さて、攻撃の進捗はどうかね」
『ええ、順調です。フランスおよびドイツの目標は85パーセントが侵入に成功しています。
これらのうち、特権奪取まで完了したものは80パーセントほど。おおむね目標の50パーセント超はすでにシステム内部ノードの制御奪取まで進めています。
特に重要目標とされるものは━━』
『ドイツ連邦国防省の攻撃に成功!
直ちに
それは端からみれば、皆がデスクに座りコンピューター・コンソールを叩いているオフィスワークだった。
しかし、実際に行われているのは、核攻撃にも匹敵する人類史上かつてない破壊行動である。
(そう……今、この瞬間にも、欧州連合各国のあらゆるコンピューター・システムはナノ秒のレベルで次々と破壊されている……)
フォート・ミード基地のサイバー・ミッションセンターから行われた、この攻撃の要点は何か?
もちろんそれはサイバー攻撃である。
ネットワーク経由の
だが、そこで突いている弱点が違う。
それは世界で公にされていない機密脆弱性なのだ。
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