第10話 舞い降りる破滅の渡り鳥

 ━━2035年9月6日午前1時45分(東京・日本標準時)

 ━━2035年9月5日午後5時45分(ドイツ・中央ヨーロッパ標準時)

 ━━2035年9月5日午前11時45分(アメリカ合衆国東部標準時)


『レーダー圏内に反応多数です。

 ……なんだ、これは? 鳥? えーっと、小型機らしきものが西方から急激に近づいています。あっ、もう目の前です! すぐそこです!』

「一体、何をねぼけているのか、イェンス君! 報告は正確にしたまえ!」


 フランクフルト国際空港の管制塔で新人を怒鳴りつけながら、アニヤ・クレックナーは不機嫌そうに指先でデスクを叩いた。

 そろそろ夕方の休憩時間である。ネイルの手入れでもしようかと思っていた矢先に、頼りない新人がまた何かポカをしたらしい。夫に愚痴るネタがまた増えてしまったようだ。


『し、主任! 自分は間違っておりません! レーダー画面を……』

「アルタリア728、離陸許可取り消し。停止せよ。滑走路18西Startbahn 18 Westにてホールド。空港周辺の安全を確認中。すぐに指示する━━」

『レーダー画面を見てください、主任!』

「ええい、いったいなんだね!?』


 部下に応答するよりも優先されるべき事項。それは今もまさにリアルタイムで移動を続ける旅客機への指示だった。

 アニヤ・クレックナー主任は、今にもエンジン全開というタイミングで離陸専用の滑走路18西Startbahn 18 Westで待機していたイタリア機を停止させてから、苛立った様子を隠すこともなく部下のイェンスへ向き直る。


「タイムスリップして工事反対派が気球でも飛ばしたというのかね、イェンス君?」

『と、とにかくレーダーを見てください!』

「何の言い逃れを……いいかね、電波というのは気まぐれなものだ。あるいは、鳥の群れが通過することもある。この程度のことで大騒ぎしては管制官など務ま━━ら、な━━」


 そして、彼女は頭上の大型レーダーディスプレイを見あげると、絶句した。


(馬鹿な!?)


 そこではあり得ないことが起きていた。

 少なくとも50に及ぶと思われる大量のアイコンが『極小』の意味を示す黄色で明滅しながら、急激に空港へ近づいてくるのだ。しかもその距離はほぼ至近。すでに1kmを切っている。


「レーダーチーム! 何を見ていた!?」

『しゅ、主任! 先ほどまでこんなものは今まで映っていませんでした!』

『急に現れたんです!』


 総勢4名で担当する午後のレーダー監視チームは、頼りにならない新人も含めて一様に困惑した顔だった。


(どういうことだ!? ここのレーダーは鳥の一匹だって識別するんだぞ!)


 フランクフルト国際空港はドイツ最大の空港であり、実に4本の滑走路を有している。

 たった今も中央離着陸滑走路Start- und Landebahn Center南離着陸滑走路Start- und Landebahn Südでは着陸機が舞い降りてきたばかりだし、1分も経たないうちにまた別の離陸機が飛び立つだろう。年間離着陸数は実に50万回を超えるという、欧州でも指折りの過密空港なのである。


 しかし━━その至近距離に鳥だかなんだか知らないが、大量の小型物体が現れたのだ。


(あるいは雨雲や大気ミストの誤検知……もちろん、本当に鳥の群れという可能性もあるが……ええい、とにかく今は!)


 ドイツ人の悪癖を披露して、深い思索へ沈んでいる時間はなかった。

 原因を追及するのは後回しだ。空の仕事はたとえ地上にいる時でも、判断スピードが命である。アニヤ・クレックナーは直ちに空港周辺の全旅客機へ警報を発した。


「警報! 緊急! 警報! 緊急!

 ハンブルク空港へ大規模な鳥の集団が接近している!

 地上機はすべてホールド。離陸待て! ルフトハンザ716、コンドル209、着陸中止。ゴーアラウンド! 直ちに上昇せよ!」


 それは各旅客機と通信しているオペレーター達に割り込むことができる緊急用通信だった。


 地上で離陸を待っているエアバスの中型機、まだターミナルから離れる前のボーイングの大型機。

 そして、あと30秒後には着陸するであろう引退直前の巨人機A380まで、それぞれのパイロットから不満げな『了解アファーム』という肯定を意味する返信が届く。


『不明の目標はまもなく管制塔上空へ到達! 高度はおよそ50メートルです!』

「管制塔へ!? 至近も至近だぞ、どういうことだ! 渡り鳥が羽休めに来たというのか!? 何も見えないぞ!」


 アニヤ・クレックナーは目をこらし、自分たちの仕事を邪魔するものの正体を見極めようとした。管制塔のスタッフもそれぞれが窓から目をこらす。

 しかし、さっぱり見えない。いくら夕方とはいえ、大規模な鳥の集団なら見えなければおかしいが、まったく見えない。


(何がどうなっているのか……! こんなふざけたインシデントがあるものか!!)


 誰もが経験したことのない不可解な事態であった。

 中にはレーダー装置の不具合を疑い、メンテナンス業者と既に連絡を取ろうとしている者までいた。


『しゅ、主任! 電話が通じません!』

『チャットシステムもおかしい……外部もダメだ! 天気予報も出なくなってる! くそっ、ネット全体が変になっているんだ!』

『共有データサーバがログインを受け付けなくなっています!』

「……つまり、ネットワークトラブルの影響を受けたということか?

 ここのシステムは独立しているはずだが……おい、待て! あれはなんだ? 鳥じゃない━━なんだ、あれは!?」


 それは肉眼では判別できないほど小さかった。

 アニヤ・クレックナーは愛用のカールツァイス製双眼鏡を手に取る。本来、軍用のためやたらと重いのが難点だが、実に半世紀以上前に作られたというビンテージだった。同じ仕事をしていた父から受け継いだ一品である。


「………………ドローンだと!?」


 その正体を。

 フランクフルト国際空港へ降りそそいだ、この新しい戦争を象徴する兵器の正体を、目視で最初に確認したのは間違いなく彼女だった。


 だが、ほぼ同時刻に。あるいは、数分前に。

 欧州全土の大規模空港は例外なく同様の物体により襲撃されていたのだ。


 ━━その名は。

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