第8話 猪籠草は七色琥珀の香り(2/3)

「たぶん、あなたの想像通りよ」

「………………!」

「さ、ここが特別展示よ。これが私を救ったもの。そして、分断と対立の合衆国を癒やしたものよ」


 特別展示室は生体認証で施錠されているらしい。

 ドアのセンサーにS・パーティ・リノイエは人造の右目を近づける。『特権Root』、そして『超近距離通信認証Ultra short range wireless authentication』の表示が出ると、重々しい音を立てて頑丈なドアが開いていく。


(……虹彩認証か)


 それは無理もなく、しかし明確な誤りだった。右と左を間違えるようなものである。

 恐らくキミズであれば、気づいていたであろう。瞳の周りの模様である虹彩の読み取り時に通信をしているはずがないからだ。


「さあ、入って」


 薄暗い特別展示室へコウは足を踏み入れる。それは明らかに一般の訪問者を対象にした展示ではなかった。

 展示物の密度は高く、未整理で、しかし内容はきわめて詳細で核心的であった。


「……これは開発会議の模様、ですか」

「コンピューターアーキテクト、ソフトウェアテベロッパー、システムインテグレーター、経済学者、倫理学者、哲学者、宗教家……全員、自分の専門分野では超一流と言われる人たちよ」


 過去の会議を映したと思われる写真の展示には、2022年という年号だけが記載されていた。


 彼ら彼女らは全員がマスクをしている。

 少年の日の記憶が蘇った。新型コロナウイルスのパンデミックによって、異常な日常ニューノーマルを強いられた日々の記憶だ。


「この国は世界最高のワクチンを開発し、生産する能力がありながら、科学の成果をむやみに疑い、根拠もなく否定し、そして攻撃する人たちもたくさんいたの。

 皮肉なことね……いつまでも低レベルの流行が続いてしまったから、彼らのような慎重な人々は室内でマスクをつけ続けたわ」


 S・パーティ・リノイエが挙げているのは、いわゆる『反ワクチン派』と呼ばれる、一部の国では非合法の犯罪者扱いすらされている人々だった。

 米国や欧州ではもともと感染症対策に向かない行動様式や、マスク着用への拒否感が目立ったため、新型コロナウイルスの流行が社会経済に影響を与えないレベルまで抑え込まれたのは、2022年以降のことである。


 ワクチン接種の初動こそ早かったものの、防疫意識が高かったアジア地域に比べると、最終的に1年以上遅れたという。


「彼らはこの国でも最高レベルの頭脳だったわ」

「賢人会議ということですか」

「そんなところね。でも、マスクをしているからといって、パンデミックについて話し合っているのではないのよ?

 彼らはもっと先を見ていた。

 そして、憂えていた。アメリカの行く末を。人種対立、党派対立……もちろん宗教対立も含めて。

 あまりに多くの人たちが内部対立に明け暮れて、罵りあい、傷つけあっていた。その憎しみのぶつかり合いが、いつか大量殺戮にまで発展する━━そんな未来が彼らには見えていたのよ」


 一体どうすれば、この合衆国を覆い尽くす内部対立を解消することができるのか?

 激論が続き、数名の離脱者を出しながらも、彼らが『党派性や人種属性から逃れられない人間によって判断するのではなく、人工知能の判断を是とする』方針を確立するまで、数年の時間がかかった。


「特に動きが加速したのは2024年に『彼』が返り咲いてからね」

「……2020年に選挙で大揉めした人ですね」

「そうね、コウくん-kunにとっては過去の政治家かもしれないけれど、『彼』のカムバックは合衆国にとって大変な衝撃だったのよ。

 独裁者が帰ってきたと言う人もいたし、英雄が帰還したのだと言う人もいたわ」


 意外なことに『彼』は大統領に返り咲いてから、第1期に比べると過激な発言はしなくなったのだという。


「もともと経済や外交政策はきわめて優秀だったと言っていいでしょうね。

 香港独立派によるテロが繰り返されていた中国を分裂へ追い込む道筋をつけたのは、『彼』の時代だったもの」


 問題となったのは『彼』の信奉者たちだった。

 かつて『彼』がホワイトハウスを追いやられた時に、『彼』の信奉者たちには壮絶な攻撃がなされた。その借りを返すように、『彼』の信奉者は『彼』を忌み嫌う者達へ応分の……あるいは2倍3倍の仕返しをしようとした。


「ポピュリズムの行き着く末路だった。自分たちが権力を握っている間は政敵を踏みつけ、権力を奪われたら踏みつけ返される。

 極東にかつてあった分裂国家のように……大統領選挙ごとにアメリカもそんなループを繰り返すようになるのか。

 そう考えて、絶望的な気持ちになった人たちも多かったわ」


 もはや、人と人のコミュニケーションによって解決できる次元は超えていた。

 さりとて、敵を滅ぼし尽くし、圧殺することなど自由のアメリカではあり得なかった。


 そこで持ち出されたのが技術の極限。

 すなわち、人工知能であった。


「白人管理職が黒人やヒスパニック労働者の人事を決めるから、問題が生まれる。

 共和党員の刑事が民主党員の事件を調べるから、疑惑が生まれる。

 キリスト者がイスラームについて断じようとするから、誤解が生まれる。

 だったら、人間でないものに任せるしかないと、賢明な人々は考えたのよ」


 倫理上の問題や宗教・哲学上の忌避感を吹き飛ばすほどに、当時の合衆国では衝突が加速していた。

 それは『彼』が戸惑い、『彼』の盟友たる島国の首相に後悔の言葉をこぼすほどだったという。


「でも、『彼』のせいだけではないのよ。

『彼』はこの国に降り積もった問題と歪みの表れに過ぎなかったのだから。

 民主主義国家の指導者っていうのは、どこまでいっても国民たちの反映なのよ……どれだけ過激で、番狂わせな結果に思えても、選挙とはそういうものだわ……」


 かくして、人間に成り代わって、人間レベルの判断を下すことができる人工知能━━『国家戦略人工知能』の開発が始まった。


(つまり……これが……!!)


 コウは自分が求めている核心へ近づいたことを悟った。

 これこそが自分と叔父が調べに来たものだ。何とか実態を探ろうとしているものだ。


(これこそが国家戦略人工知能主義の根幹だ……!)


 現在のアメリカ合衆国の中枢にあるシステム。2030年代から始まった恐るべき高度成長の原動力。

 この国家戦略人工知能主義に関する情報を少しでも多く持ち帰ることが、自分に与えられた役目なのだ。

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