第8話 猪籠草は七色琥珀の香り(1/3)

 ━━2035年9月4日午後1時45分(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)


「これは……どうして政治運動の展示があるんですか?」

「アメリカの人工知能史において、欠かすことができない出来事だからよ」


 スミソニアン人工知能博物館の第3展示エリアは『たった1つの冴えたやり方The Only Neat Thing to Do』と名付けられていた。

 すなわち、第1展示『人工知能を模した時代AI imitation age』、第2展示エリア『人工知能の夜明けDawn of AI』に続く第3のエリアである。

 起承転結の『転』を成すように、その展示内容はがらりと雰囲気を変え、技術や製品ではなく、政治運動が色濃く解説されていた。


(分断……それに暴動と犠牲……なんだこれ。別の博物館に変わったみたいだな……)


 それはまるで戦乱の歴史を語るような凄惨な内容だった。

 2020年代を通して、アメリカ合衆国で繰り広げられた内部対立や、小規模な内戦とまで言われた無数の衝突、そしてその犠牲者について説明がなされている。


 たとえば、ある人種に属する弱者は、別の人種を強者と断じ、攻撃した。

 しかし、強者と呼ばれた人種は、自分たちこそ少数派で迫害されていると叫び、反撃に転じる。


 もちろん、人種だけが問題ではなかった。

 都市に住むものは「環境のために農村よ死ね」と平然と言い放った。農村は「テクノロジーは嘘だ悪だ、ウイルスは存在しない」と言い返した。


 それは全体からすれば1割にも満たない、過激な人々が引き起こした対立と衝突である。

 だが、結果は無惨としか言いようがなかった。

 それらの対立と衝突によって犠牲となったのは、関連死も含めて実に4万人。朝鮮戦争における米軍の戦死者数を超えているのだ。


「ある都市では、それぞれ数千人規模のグループが銃で武装して衝突を繰り広げたわ」

「これですか……2027年シアトル内戦……」

「何度か『自治区』を作っては暴動を繰り広げ、しばらく憂さ晴らしをしたら一時退去する━━まるで恒例行事のようにね。

 問題はそのたびに『自治区』へ反発する人たちの怒りが蓄積されていったことよ」

「それが爆発したのが2027年なんですね。行政や警察は何もしなかったんですか?」

「合衆国の警察システムは日本のように統制されていて強力ではないのよ。

 何より、市民の側もほとんどが銃で武装しているわ」

「………………」


 あれはどうしようもなかった、と敗戦の歴史を語るように、S・パーティ・リノイエは首を振る。


「片や相手を『レイシスト』と罵った。片や相手を『外国の手先』と挑発した。

 片や自分は『寛容な価値観の守護者』と胸を張った。片や自分は『平凡で市民的な愛国者』と誇らしげだった。

 けれど、どちらも最後には『お前は死ね』と相手に言い放った……」


 いかに党派や人種、思想と信仰が異なっているとはいえ、彼らは革命を起こして国家を転覆させようとしているわけでもなければ、仮想敵国から入り込んだテロリストというわけでもなかった。

 自由を愛し、権利を尊重する同じ合衆国市民だったのである。


「それでも憎しみが極限まで高まれば、ヒトは極端な行動に出るわ。

 皮肉なことに、コンピューターの発展とソーシャル・ネットワーキング・サービスSNSの普及が憎しみを加速させてしまった。

 古い時代ならば……酒場でお互いに顔を合わせた時にだけ喧嘩をしていたような人々が、24時間365日、世界のどんな場所にいても罵り合うことができるようになってしまった」


 むろん、SNSで笑いあい、楽しみあい、助けあう人々もいた。むしろ、そちらの方が多数派であった。

 だが、1の憎悪は10の愛情を容易に塗りつぶし、2の殴打は100の握手を遙か彼方へ吹き飛ばしてしまう。


「憎しみの恐ろしさはそういうものよ」


 S・パーティ・リノイエはぞっとするほど冷たい声でそう言った。

 世界の平均からみれば、対立と言えるほどの対立も表面化せず、平和と安定を謳歌してきた日本人のコウには、なぜそこまで深刻になるのか、と思えるほど怖い警告だった。


「ふふ……そうね。あなた達、日本人は幼い頃から調和を是として育っていくものね。

 わたし達の失敗はさぞかし奇妙に見えるでしょうね」

「いや……そんなことはありませんけど。けれど、少し驚いたというのが正直なところです」

「日本人がこういう時に『少し驚いた』と言うならば『大いに驚いた』と解釈すべきでしょうね。

 気を遣ってくれなくていいのよ。失敗は失敗だもの。スペースXのロケットが着陸に失敗して、爆発するようなものよ。

 でも、合衆国は倒れなかった。わたし達の合衆国はいつも失敗を糧として、新しい世界へ踏み出す力を持っていた。

 大いなる失敗である対立と分断の時代に対する答え━━それが今からあなたに見せるものよ」


 そう言って、S・パーティ・リノイエはコウの右手を、これまで何度かそうしたように、両手のひらで優しく包んだ。

 そして、有無を言わさぬ強い力で青年の手を引き、次の展示エリアへと向かう。


(……ん?)


 すっかり引きずられることに慣れてしまったコウだったが、そのときだけは異変を見逃さなかった。


「リノイエさん、こっちは違う場所なんじゃ……?」

「ああ、コウくん-kunが見ているのは、一般向けのエリアね。

 あなたには関係者向けの特別展示を見せてあげる」

「え━━」


 そんなのは別にいいです。と言いかけて、コウは自分がなぜここにいるのか、その理由を思い出した。


(いや……これはチャンスだ)


 キミズほどの強い使命感と義務感を持っているわけではないにせよ、コウにも業務に対する当然の遂行意識があった。


(現代のアメリカを支える『国家戦略人工知能主義』の実態調査……それが僕の仕事だ。

 少しでも深い場所へ迫れるなら、やってみるべきだ)


 自分は決して有能優秀の徒ではない。その自覚は強く持っている。

 日本政府と強いパイプを持つ叔父がどうしてこんなスパイじみた仕事をしているのか、疑問に思うこともあるし、その意味もよく分からない。それが『国』などという奇妙で怪しげな概念にどれだけ貢献するのかも、さっぱり分からない。


 政府の公間諜エージェントとしての訓練を特別に受けたわけでもない。それは叔父であるキミズの専門だ。

 はっきり言って、今回、自分に期待されているのは添え物程度の役割で、荷物運びをこなせれば十分だろうことは理解している。


(ただ……)


 かつて、大切なものを失い。

 それが原因の無謀としか言いようがない個人的な暴走で、学業のキャリアを断たれた自分。


 そんな自分を拾ってくれたのがキミズである。

 縁故採用の類いであるとしても、その恩は深く感じている。


(役に立てるなら……叔父さんの役に立ちたい。それもどうせなら大手柄だ)


 老獪な叔父と異なり、純朴な青年はまだ知らない。

 諜報の世界において、都合のいい好機とはほとんどが罠であり、功名心はもっとも利用されやすい弱点であることを。

 まして、男女の感情に絡む事案においておや。


「わかりました。ありがとう、リノイエさん。ぜひ特別展示を見せてください」

「あら」


 意識して顔を整えて━━そう、キリッという効果音が出そうになるほど、『外向きの顔』を作ってみせると、なぜかS・パーティ・リノイエは気分を害したように片眉を跳ね上げた。


「む、ぐ」

「ダメよ……コウくん。今は何も考えなくていいのよ。お姉さんに振り回される純真なあなたのままであってちょうだい。ね?」


 右手と左手の人差し指。S・パーティ・リノイエの細い2本指がクロスばってんの形になって、コウの唇をふさいだ。

 鼻と鼻がミリメートルの接触度でキスをする。異常なほどの近距離で見つめ合う4つの瞳。


 そして、この距離になってようやくコウは一つの事実に気づいた。


(義眼だ……!!)


 どこか違和感を感じていたS・パーティ・リノイエの右目は、カラーコンタクトやオッドアイの類いではなかった。

 明らかに人工物が埋め込まれているのが分かった。調節能力の落ちた中年以上の眼球ならば、この至近距離ではピントが合わなかったかもしれない。


(そうか……ハンディキャッパーなのか。

 待てよ、さっきの話し方とこだわりよう……ひょっとして、この人は第3展示の時代に暴動に巻き込まれて、右目を……)


 アジア系の外見というだけでも、人種を理由にした襲撃に遭う可能性は想像できた。

 あるいは、銃撃戦の最中、破片が右目に飛び込んだのかもしれなかった。


あらあらOh,my-Oh,my。どうしたの。私の目にハートマークでも見えたかしら?」

「い、いえ、何でもないです」


 異様に顔と顔の距離を近づけたままで、S・パーティ・リノイエは笑った。

 真剣な表情で、右目を凝視しているコウをからかうように。

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