第7話 汎用人工知能の恐怖(1/2)

 ━━2035年9月4日午後1時30分(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)


「いかがでしたかな、ミスター・キミズ。

 我がアメリカの国家戦略人工知能システム、そして世界初の『汎用人工知能』との対話は」

「いや……そりゃあなんとも……はは、恐ろしいものですな」


 スミソニアン人工知能博物館の応接室で、キミズは顔面に、背中に、そして首筋に大量の汗をかいていた。


(なんだアレは……『まるで人間』ってレベルじゃない……俺が知ってるAIと根本的に何かが違う……)


 ハイ・ハヴ・百京クインテリオンと名乗った、赤い瞳をした栗色の髪の乙女はすでにディスプレイに映っていない。

 だがキミズの網膜には、まだその姿が焼き付いている。

 そして鼓膜には、異常なほど蠱惑的なその声が今もなおリフレインしている。


「ただ世間話をしただけなのに、なんというか……こう、ハートを持っていかれそうになりましたよ」

「ほほほっ、その感覚は間違ってなどおりませんぞ」


 ドクター・ハインリッヒは初めてコーラを子供に飲ませた時のような笑顔でそう言った。

 キミズの反応は予想のうち、といった様子である。


「我が合衆国では……今やカウンセリングにまで人工知能を利用していることはご存じですな?」

「ええ、医療用の試みだそうですね。悩みを相談すると人工知能のボットプログラムが答えてくれると。

 軽い事例では、独り暮らしのさみしさを紛らわせるために話しかけることもできる……ずいぶんと好評なそうですが」

「そのシステムのバックエンドで動いているのは、今、あなたが対話したハイ・ハヴ・百京クインテリオンです」


 比喩でなく、キミズの脳内ではがんと金属で殴られた時の音が響いた。

 あんな恐ろしく魅力的な対話を楽しむことができるのかと思う。無条件で羨ましいとすら感じる。


「2030年。我が合衆国は『国家戦略人工知能主義』を謳い、憲法に修正条項を付け加えました」

「修正第31条ですか……」

「その通りです。ああ、むろん第28条から第30条のような、くだらない対立と分裂の産物とは異なります。

 ええ、異なりますとも! 2025年! そして、27年……28年に2つ……くだらない! 実にくだらない!

 人種! 党派! 信仰! 思想! そんなもので人々を分断しようとした、おぞましい修正条項とは根本的に異なる!

 我が合衆国が新生したことを示す修正条項、それが第31条です」


 よほど怒りと共に記憶されているものなのか、ドクター・ハインリッヒは突如、激高したように声を荒げると、握りしめた拳をテーブルに叩きつけようとして━━ギリギリのところで思いとどまった。


「キミズさん-san

 あなた方、日本人は幸福だ。確かに世界のどんな地域でも厳密な意味で単一民族国家は存在しないでしょう。

 5パーセントか1パーセントか……先住民族や被征服民族の血は混じっている。あなた方のアイヌや琉球がそうだ。

 ですが、国家運営の意味では、あなたがた日本は、世界でも稀なほどの単一民族国家と言っていい」

「95パーセントか、あるいは99パーセントか。どちらにしても、極端に高い比率で1つの民族が人口を占めているということですな」

「その通りです。しかし、アメリカはそうでない。

 まったくもってそうでない。遙かな過去から対立がありました。差別がありました。抑圧がありました。その克服がありました。

 しかし、人間の欲望が限りないように、不満というものは決して消えはしないのです」


 たとえ黒人差別が制度上、解決されたとしても、社会の支配層において少数派であることは変わりない。

 たとえマーベル・ヒーローへ意識的に有色人種キャラクターが配置されたとしても、必ずしも主役とは限らない。


(もっと言えば━━)


 キミズはある人々を思い起こしながら考える。


「自分たちの祖先が踏みつけられていたから、次は子孫の自分たちが踏みつけてやらなければ、と考える者もいる……」

「そういうことですな、キミズさん。

 ある歴史上の人物が、当時奴隷制度を支持していたからといって、何百年も後になって銅像を倒す……破壊する……そんなことをして何になると言うのです?

 ほんのいっときの憂さ晴らしに過ぎません。その行為に眉をひそめた人たちは、まったく別の時に銅像を倒した者たちへ仕返しするだけです」

「よくわかりますとも、ドクター・ハインリッヒ。我々日本人にはよく分かります」

「ほ、それはどうも。

 意外でしたな。伝わりにくいものかと思ってましたが」


 どこかきょとんとした顔でドクター・ハインリッヒは首をひねった。どうやら極東の民族情勢には詳しくないらしい。

 キミズとしてはようやく1本返すことはできたか、という思いである。


「我が合衆国の『国家戦略人工知能主義』とは、こう言い換えることもできるのです

 すなわち━━分断によるトラウマを癒やすために、人工知能を徹底して活用する、と」

「……人種や党派性に拠らない、絶対の神として人工知能を使うということですか?」

「そんなSFめいた話ではありません。

 まして『絶対の神』などと! その考え方自体が1つのスタンスを強要してしまいます。

 絶対の神とは一神教に対応する概念でしょう? しかし、日本の神は八百万エイト・ミリオンもいるではありませんか。この時点で既存の宗教と対立してしまいます」

「なるほど」


 苦笑したい思いをおさえて、キミズは神妙な表情を装った。

 言うまでもなく、八百万やおよろずは『とてもたくさん』という一種のたとえであって、数値としての800万ではない。


(くっくっくっ。ははっ、なんてこたあない)


 キミズの心がようやく平静さを取り戻していく。

 この相手ならば━━十分やりあえる。その確信が彼の折れそうな背を支え、精神を補強する。


(このじいさんが専門分野じゃどんだけの天才か知らねえが……話してみれば、なんてこたあない。

 俺と同じ『ただの人間』だ。時代そのものを動かすような怪物とは違う。

 誤解もするし、知らねえことも山ほどある。同じ『ただの人間』だ……極東の文化はよくわかっちゃいない『あるある』な欧米のエリート人材さ……だったら、なんとでもなる……)


 10年ほど前、来日したときの歓迎パーティーで遠目に見た『彼』や、政府与党の本部で数回会ったことがある『彼の盟友』をキミズは思い出す。

 一目みれば分かった。離れていても、想像を絶する圧が伝わってきた。


(オーラが出てるっていうか……一国、一地域、あるいは世界、時代そのもの……それを動かす人間ってのはああいうもんなんだろう)


 恐らく古い時代の人々はその形容として『英雄』という言葉を使ったに違いない。


 それは『ただの人間』ではどうあがいても至れるものではない領域。

 あるいは、愚か者には英雄の英雄たるを理解することも出来ないであろう領域だった。


(だが、この場は違う。

 俺もこのじいさんも『ただの人間』の上澄みってところさ)


 ならば、気後れする理由はないのだ。少し予想外の出来事が積み重なって、足下がぐらついていただけのことだ。

 心の芯を立て直す思いで、キミズは口元を真一文字に結び直した。


「国家戦略人工知能『ハイ・ハヴ』は史上最初の汎用人工知能です」

汎用ジェネラル・パーパス……つまり万能オール・パーパスということですか?」

「ほぉー! キミズさん-san、あなたは理解が早い!

 その通りです、用途に使える人工知能ということは、事実上、何でもできると言って過言ではありません!

 ああ、だからといって人工知能は人工知能です。つまり、何のセンサーも装置も接続せずに物を持ち上げることはできませんし、まったく存在しない事象について予測することはできません。

 つまり、日本語の『バンノウ』といっても、万能オール・パーパスよりは万能ユニバーサル、そう万能チューリングマシンの方が近いイメージなのですが、要するに━━」


 自分の専門分野になると、すぐ興奮する。そして早口で語りたがる。

 なるほど、この男は自分と同じ『ただの人間』の仲間だ。そして、どちらかといえば、オタクナード気質の人間なのだと、キミズはしみじみと思う。


(オタクが早口になってるときは、半分聞き流すくらいでちょうどいいんだ)


 なぜならそれは得てしてディープで、専門的で、相手にはよくわからない話だからだ。


「━━お話は興味深いのですが」


 3分、いや5分も経っただろうか。

 ドクター・ハインリッヒのディープで、専門的で、相手にはよくわからない話が一通り、拡散燃焼を終えたと思われるタイミングで、キミズは感嘆きわまったような声を装いながら、口を差し挟んだ。


「1つ疑問があるのです、ドクター・ハインリッヒ。

 なるほど、この博物館の運営は実質的に人工知能……つまり国家戦略人工知能『ハイ・ハヴ』が行っていることはわかりました。

 光栄なことに、その……人格、というか、そういうものに先ほど私は」

顕現存在セオファナイズドと申します。仮想人格でも、アバターでも、日本流に擬人化GIZINKAでも結構ですが」

「ああ、そうですか……ならば、あなた方の流儀で。

 私が事前に調べてきた情報には、顕現存在セオファナイズドなんてものはありませんでした。カウンセリングに使われてる人工知能技術も、あんな見た目をしているだなんて聞いたことがない……恐らく、国家的な機密事項のはずです」

「おっしゃる通りです」

「なぜ、外国人の私に見せてくれたのです? たかが億の寄付金への礼にしては度が過ぎている。

 まして、あなたは私が日本政府の意を受けてここにいることを見抜いている……」

「その回答は私からするべきではありませんな」


 ドクター・ハインリッヒの言葉はキミズにとって少々意外だった。組織のフロント、あるいは中間管理職のようなことを言うものだと思った。


『わたくしからお答えしましょう、キミズ社長』


 だが、次の瞬間、真っ暗に消灯していたディスプレイには、再び赤い瞳をした栗色の髪の乙女が映っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る