第3話 スミソニアン人工知能博物館
━━2035年9月4日午前10時(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)
「人工知能! それは大いなる人類の夢でした。
ヒトの知能を機械が模すことによって、思考し、感情を持ち、まるで『心』を持ったかのような存在が生まれると、かつての人々は夢想したのです。
けれど……ああ、なんということでしょう。長い間、それは単なるパターン化されたルーチン処理の
スミソニアン人工知能博物館。
ワシントン・ダレス国際空港にほど近いスミソニアン国立航空宇宙博物館・別館のさらに隣へ、2032年にオープンしたこの博物館は、まだまだ幼子のようなものであった。
「しかし、進歩はひそかに、そして確かに継続していたのです。
20世紀末から爆発的に世界を変えたITによるイノベーション━━いくつかの国ではIT革命とも言われる、世界的なコンピューターの普及と処理能力の爆発的な増大が人工知能研究と結びつきました」
その敷地面積は、アメリカ式ショッピングモール1つにも満たず、収蔵品の数は万にも届かない。
たとえば、カリフォルニア州マウンテンビューにあるコンピューター歴史博物館を想像して訪れた者は、あまりにもあっさりとしていることに落胆するかもしれない。
だが━━アメリカ合衆国において、否、全世界において。
もっとも時代の最先端を行く博物館が『ここ』であることもまた、疑いようもない。
「ITによるイノベーションが進展し、全世界へ高性能コンピューターが普及した結果、
そして、ビッグバンが起こったのです!」
ショーステージにも似た舞台では、ゴシック調の黒いドレスを着たアジア系の女性がトークを行っている。
彼女は宇宙原初の大爆発を示すかのように、その小さな体でめいっぱいに両腕を広げてみせた。
「写真データの認識。カメラをのぞき込む人間の顔認識。医療レントゲンの患部認識。
さらには、自動運転の制御! ドローンの飛行制御! あるいは、
そう! それはたった10年ほどの間に起こりました。2020年代、様々な条件をそろえて遂に臨界点を超えた人工知能技術は、ビッグバンのような大爆発を起こして、全世界へ広がりました!
そして、このアメリカを、世界を変えたのです!」
舞台には次々と『動態保存』された、歴史的な人工知能搭載プロダクトが運ばれてくる。
はじめて写真処理に人工知能を利用したスマートフォン。顔認識の精度を劇的にあげたシステム。
ロボットの稼働制御に人工知能を使った産業用製品。ピザボックスほどの大きさをしたコンピューター基板は、かつて人工知能専任のスーパーコンピューターとしてIBMのラボで稼働していたノードの1つだ。
「人工知能は世界を変え、そして、人類の良き友となりました。
皆さんも持っているスマートフォン━━現在ではただシンプルに『フォン』と呼ばれる携帯デバイスは、毎日の予定を整理し、熱センサーによって健康状態をチェックしてくれます。重要な連絡が届けば、優先して知らせてくれるでしょう。
これはすべて人工知能が判断し、あなた方を助けてくれているのです。
自動運転車。
それは大量のセンサーによって、周囲の状況を常に監視し、安全な運転を実現してくれます。
人間が持つたった2つの目や耳、さらには肌の感覚に比べて、自動運転車のセンサー群へ流れ込む情報量は100倍とも言われます! 私たちの脳ではパンクしてしまうようなデータの洪水も、人工知能ならば処理できるのです。
映像処理。
古き時代の人々にとって、カメラで撮った写真の色合いが自分の目で見たものと一致しないことは、当たり前のことでした。
けれど、もう大丈夫! あふれるような光と色と電磁波の奔流から、人工知能が『あなたの見た色』を再現してくれるのです!
もちろん、『あなたが見せたい色』にすることだってできます。もっとも偉大なカラー・コーディネーターの仕事を、誰の手元にも人工知能は届けてくれるのです。」
立体カメラの映像が次々と切り替わる。
多くの人々にとって身近な消費者向け製品を主としながら、彼女は人工知能が利用されている実例を示していく。
「統計調査!」
そして、最後に彼女が見せたのは、1枚のスライドだった。こればかりはほとんどの来場者にとって、馴染みのない代物と思われた。
だが、その実態は驚愕そのものである。
数字をみるだけで十分だ。調査対象12億5000万人。一人あたりの調査項目3500項目。一人あたりのデータ平均値37ギガバイト。
人種・民族区分およそ65。思想・信仰区分およそ81。
その他、住所や氏名などの属性も800を超えるという巨大すぎる統計を、人工知能は『リアルタイム』で解析することが可能だというのだ。
「一説によれば、人工知能なしでこのシステムを解析しようとした場合、30万人の人間が最高性能のコンピューターを使っても難しいそうです」
来館者の多くは素直に驚き、歓声を上げる者もいた。なんだか知らんがとにかく凄い、とうなずいてみせる者もいた。
しかし、鋭い者は気づいているはずだった。
それが━━既に存在しない極東の巨大統一国家における人民監視システムの統計であることを。
「人工知能はまさに世界を変え、私たちの友となりました。
そして、このアメリカ合衆国においては、人類史上にも特筆される進歩を成し遂げたのです!
それは!!………………ここから先は、午後のセッションでお話したいと思います。
特別企画展『人工知能の進歩と将来』午前セッションのトーク担当は、本博物館の主任学芸員、S・パーティ・リノイエでした。来館者の皆様、どうか本博物館をお楽しみください」
優雅に一礼する黒いドレスの女性━━S・パーティ・リノイエと名乗った彼女に対して、惜しみない拍手が送られる。
椅子から立ち上がっている者も多い。スタンディング・オベーションというほどではないが、大いに心動かされた来館者が多いことは間違いないだろう。
(……すごいな。プレゼンテーションもよく出来ているし、これが最先端の博物館か……)
熱っぽく拍手を送る人々の中には、日本からやってきた青年、すなわち、
アメリカの博物館らしく、特に録画が禁止されているわけでもないが、胸ポケットの『フォン』はカメラだけを露出させる形で記録を取りっぱなしである。
「いやあ、これはこれは……素晴らしいものでしたな」
「まあ。はじめまして、キミズ社長。ご覧になっていたなら、特等席をご用意しましたのに」
小さな演奏ホールほどの会場では、さっそく片付けが始まる。
せわしなく動きまわる汎作業用ロボットを愛おしげに眺めるS・パーティ・リノイエへ、人なつこい笑みを浮かべながらキミズが声をかけると、彼女は心優しき乙女が野草の中からバラを見つけたときのような顔で、優雅にスカートの裾をつまんだ。
「ようこそ、スミソニアン人工知能博物館へ。
主任学芸員のS・パーティ・リノイエと申します。以後、お見知りおきを」
「本日、アポイントメントをお願いしておりました、キミズ建設社長の
リノイエさんには色々と調整いただき、ありがとうございます。ああ、それとこっちは━━」
「ええ、存じています。秘書の
「よ、よろしくお願いします。コウと申します」
少し固まった仕草で一礼しながら、コウは右手を差し出した。
「んふ」
そんなコウを。
彼女は━━S・パーティ・リノイエは、褐色の少年が遊んでいる様子を眺める特殊な趣味の女性のような目で見つめながら、薄いシルバーカラーの手袋を外した。
「よろしく。スミソニアン人工知能博物館主任学芸員のS・パーティ・リノイエです。リノイエとお呼びくださいね」
「わ、わかりました。リノイエ……さん」
「
「えっ……あ、は、はいっ」
手のひらの感触を堪能するように、両手でにぎにぎと力を込めてくるS・パーティ・リノイエ。
その視線はまっすぐにコウの瞳を見つめたまま微動だにしない。
(き、綺麗な人だな……でも、意外と背が高いな……僕と同じくらいだ……何歳くらいなんだろう……まさか年下だったり……するのか?)
多分に化粧が乗ってはいるのだろうが、間近で見てもS・パーティ・リノイエの肌や表情にはおよそ劣化というものが感じられなかった。
少女のように、もっといえばまるで赤子のように一切の破綻が見られない顔立ちである。
アニメのワンシーンでも切りだしてきたような不思議なビジュアルが、コウの眼前にある。このままずっと眺めていたいとすら思う。
(……あれ?)
そのとき、コウは気づいた。
S・パーティ・リノイエの目である。正確に言えば右目だ。左目と色合いが違う。
カラーコンタクト、あるいはオッドアイというものか、とも思ったが、どこか生気が感じられない右目だった。
もっとも、だからといってまじまじと覗き込むわけにもいかない。
「す、すいません」
「いいえ。どうかお気になさらずに、コウ
ずいぶん長く握手していることに気づき、慌てて手を引っ込めるコウだったが、S・パーティ・リノイエは名残惜しそうにもう一度青年の右手をつかむと、自分の体温をマーキングするようにぐっと力を込めてみせた。
「若くて有望で、そして……ピュアでハンサムな秘書をお持ちでいらっしゃいますね、キミズ社長」
「コウは私の甥でしてね。5年前に上海で死んだ兄貴の息子です」
「おにいさんが……5年前といいますと、ひょっとして例の内戦で?」
「ええ、
「いいえ! いいえ!……そんな辛いことをおっしゃらなくていいんですよ!」
困ったように、あるいは諦めたようにキミズが肩をすくめてみせると、S・パーティ・リノイエは左目いっぱいに涙をためて、口元を手でおおった。
そして、様子をうかがうようにコウへ視線を送ってみせる。
(優しい人だな……)
涙を拭うS・パーティ・リノイエを見て、ぼんやりとコウはそんなことを思う。
すこし眠い。確かにエコノミークラス12時間の旅に加えて、14時間の時差は間隔を置いてから体に来るようだった。
「そうですか……コウくんはご苦労なされたのですね」
「まあ、当のこいつは日本から一度も出たことがなかったもんで、平和な育ちですがね。
大学じゃあ、ずっと計算機学科━━コンピューターに関する学問やってましたし、いい経験になると思いまして、人工知能の最先端であるこの博物館へ連れてきたわけです」
「まあまあ、なるほど! そうなんですか! コウくんはコンピューターがお好き! それもこんなにハンサムで! いい男で! コンピューターがお好き!」
「い、いえ……その、少し設計をかじったくらいですが」
不毛の砂漠で同好の士を見つけてしまったオタクのように目を輝かせるS・パーティ・リノイエに、研究室の先輩みたいだな、などとコウは思いながら愛想笑いを返す。
「少し設計をかじった……って? おめえ、あれは少しってレベルかあ、コー坊よぉ……」
「叔父さんはややこしくなるから黙ってて」
「へいへい」
「いいことを聞かせてもらいましたわ、キミズ社長。今日は午後のタスクがないので、暇なんです。
太平洋を渡ってやってきた、将来有望な青年にじっくりと当館の展示を説明させていただきたいと思います」
「よろしく願いしますよ。ところでドクター・ハインリッヒ氏は」
「先ほど商務省での用事を片付けて戻っていますわ。━━
S・パーティ・リノイエは、館内の至る所でうろうろしているドラム型の汎アシスタントロボットを職員用の符号で呼び止め、『約束のお客様なので応接室へ連れて行ってお茶を出すように』と受付担当に命じるように言った。
ドラム型の汎アシスタントロボットはカメラ・アイをキミズへ向ける。
入館者のデータと顔認証で照合しているようだった。それが館内職員と面会予定がある人物だと確認されると、『どうぞこちらへ』と日本語で音声を発しながら動き出す。
「キミズ
「いろいろありがとうございました、リノイエさん。おーい、コー坊。俺は小一時間くらいで戻るから、テキトーにやっててくれ」
「えええ……テキトーにって言われても……そ、それじゃあ、リノイエさん、僕もこの辺で……」
「あなたはこっち」
キミズに続いてその場を離れようとしたコウの右手を、S・パーティ・リノイエは狩人のように素早くつかんだ。
手袋は外したままである。生暖かい体温が手のひらを通してコウに伝わってくる。
「ふぅーっ……ふぅーっ……めっちゃいい男……日本人……未整形……天然もの……」
「リ、リノイエさん、急にどうしたんですか、息が荒いですよ!?」
「うふふ、素敵な出会いに少し興奮してしまっただけです。
ダメですよ、コウくん。館内の展示を説明してあげるって言ったでしょう? コンピューター、お好きですよね? だったら人工知能も好きですよね?」
「え、ええええ……」
「それとも、私に展示を説明してもらうのは、お嫌ですか?
私は当博物館の対外コミュニケーションも統括しているんです。ここでコウくんに素っ気なくされたら、キミズ社長との今後のお付き合いは……芳しくないものになってしまうかもしれませんね?」
「ううっ」
脅しかと言われれば、脅しである。立場を利用した物言いかと言われれば、そうである。
(こ、これはパワハラなのでは……いや、こっちではジョークの範囲内なのかもしれない……)
だが、悲しいかな日本人。相手に対して我を押すよりは、まず譲ることを考えてしまう。
「わ、わかりました……社長が戻るまでの短い間ですが、よろしくお願いします……」
「SYAORAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
「……シャオラー?」
「いえいえ、人工知能の神に祈りを捧げていました」
「リノイエさん……あのう、初対面でこんなこと言ったら失礼かもしれないのですが……結構、変な性格していますね……」
「うふふふふふふふふふふふふふふ。
巨大な
息も荒く声を高めるゴシックドレスの女性が一人。
(そういえば、そろそろランチタイムか……どうしてこんなことに)
コウが見まわしてみれば、来館者の『波』は途絶え、周囲には人影もない。
いるとすれば、進路から自動的にどいてくれるドラム型の汎アシスタントロボットくらいである。
「はあ……はあはあ……はあーっ……はあーっ……天然……天然の日本人イケメン……若い……誰にも汚されていない……へ、へへっ……ハア……ハア……!」
「大丈夫なのかこの人……」
お互いがお互いに聞こえないほどの小声で、彼と彼女はそう言い合っていた。
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