第4話 核融合極超空母『ジェファーソン・デイヴィス』

 ━━2035年9月4日午後2時15分(グリーンランド南東沖1000km・大西洋アゾレス諸島時間)


「まさか……本当に実行するとはな」


 2031年に進水し、去年のクリスマスに初期作戦能力IOCを、そして先月に完全作戦能力FOCを獲得したばかりの新鋭空母『ジェファーソン・デイヴィス』の艦隊指揮所FDCで、ストールマン少将は端末に表示された指令の内容を一読すると、驚きを含んだ吐息を漏らした。


 その日、北大西洋の波は穏やかであった。

 もっとも、ほんの数ヶ月もして冬が来たならば、遠い時代の船乗りたちにとっては恐怖の海域と化すのがこの大西洋である。アメリカ大陸北部から次々と低気圧が東へ移動してきて、冬の嵐を巻き起こすのだ。


 かといって他の季節ならば安全ということもない。北太平洋と北大西洋の違いの一つが氷山である。

 グリーンランドから分離した気まぐれな氷山が、この海域にはぷかぷかと年単位で浮いている。古来より数え切れない船がその犠牲となってきた。その最たるものが、かのタイタニック号である。


「司令、どうです。本当にやるのですか?」

「そういうこと……だな。予定通り23時間後に作戦開始だ。我々の国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』はそう言っている」


 空母打撃群司令のストールマン少将が個人用端末の画面を見せると、航空団指揮官ロジャース大佐は陽気な口笛を吹いた。13年前にもこんな顔の大佐を見た気がするな、とストールマン少将は思う。


(もっとも、あの頃は……軍事システムの一部で人工知能の利用が始まった時代だった。

 現代のように、人間に成り代わって国家戦略の決定を全面的に支援し、軍事作戦のプラニングまでも担当することなど考えられなかった……)


 2022年の新年に南シナ海の海南島沖で展開された海空共同決戦。それは21世紀における海上戦闘の真骨頂を示したものだった。

 しかし、今のストールマン少将は考えてしまう。米海軍にとって、あれは『人間が作戦を立て、指揮した最後の海上戦闘』になるのかもしれないと。


「国家戦略人工知能システム様とは大したもんですな、まったく!

 ただでさえ、無人機時代でなかなか飛べないってのに、作戦立案の仕事タスクまでほとんどなくなっちまった。いまや我々空母航空団のパイロットは、『ハイ・ハヴ』が提示してくる作戦に承認コマンドハンコ出すだけの管理職ですよ」

「何を言う、ロジャース大佐。

 人工知能とて完全無欠ではない。いざ事があれば、君たちはいかなる支援も受けずに、独力でこの艦から飛び立ち、完璧に作戦目的を果たすだけの能力を持っているじゃないか。

 これは最前線の精鋭だけに任せられる仕事だ。合衆国本土で自宅から通勤する、パートタイム・パイロットにはとても考えられん」

「そうは言いますがねえ、打撃群司令官殿」


 ロジャース大佐はあくまでフランクな調子だが、半ば腐った表情である。どんなこじつけの理由でもいいから飛ばせてほしい。そう言っているようだった。


(無理もない……私も彼も10年のブランクがあり、それだけ年を取っている……これが最後のキャリアになるかもしれないのだからな……)


 2020年代に行われた大規模な軍縮と合理化によって、アメリカの三軍は大量の高級将校を一時退役させている。


 だが、ドラスティックな変化を実行すると、必ずといっていいほど『やり過ぎ』に陥ってしまうのがアメリカのサガだ。

 田舎の民間人として、フェデックスの貨物機パイロットとして、あるいは大学院の生徒として軍を離れていた人材を、大々的に呼び戻しはじめたのは、実に数年前のことである。


(そして、その『やり過ぎ』に対する『揺り戻し』を勧告したのが……)


 他でもない。今や、アメリカ軍のみならず、アメリカそのものを支える国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』なのである。


「……大佐、君の気持ちはよく分かる。航空団全体の意志だということもな。

 だがまあ、大事な作戦前だ。我々の会話はできるだけポジティヴに行こうじゃないか」

「━━っとっと。はは、こりゃ失礼を。

 艦隊指揮所FDCの優秀なるクルー諸君! 今の話は俺と司令官だけのピロートークだ。聞こえてしまった奴はどうか忘れてくれよな!」


 調子を外したコントラバスのような空気が流れる艦隊指揮所FDCに、どっと笑い声が満ちた。そのとき、メイン・ドアから、1人の佐官が入ってくる。


「なんだなんだずいぶん賑やかだな。

 司令官、夕刻にかけての気象予報ですが━━おっと、お前が笑わせていたのか、飛行機屋」

「おうよ、飛行機屋のロジャース大佐様だぜ、クロージャー艦長殿。今、お前さんの大事な仕事をどうやって人工知能が奪うか相談をしていたところさ」

「あいにくだが、それはなさそうだな。

 フネとはあまりにも巨大なハードウェアだ。確かに人工知能の支援は絶大だよ。作業ロボットもよく仕事をしてくれる。

 しかしな、何かあればひっくり返るほど揺れ、海水と炎が押し寄せてくるのが戦闘艦ってものだ。

 最後に頼れるのは人工知能でも、機械ですらもない。俺たち船乗りの……こいつさ」


 そう言いながら、艦長のクロージャー大佐は右腕の上腕二頭筋を指さしてみせる。軍服を着ていても隠せない、海兵隊もかくやという引き締まった筋肉は、鉄板ですら曲げてしまえそうに思えた。


「けっ! 俺たちだってなあ! 脱出の時にキャノピーがあかなかったら、拳でぶち割るんだよ!」

「嘘だな」

「おお、嘘だ。本当はコクピットシートに破砕用突起ブレーカーがついてて、勢いでぶち割る。

 しかし、6Gやら9Gを跳ね返して、操縦桿を握らなきゃならんのは本当だぜ?」

「見かけ上の体重が6倍や9倍になった状態で飛行機の操縦か……とてもやってられんな。因果な商売だ。それこそ人工知能に肩代わりさせた方が合理的じゃないか?」

「なんだとテメー。今度、電子戦機EA-18Gの後席に乗せて限界まで振り回してやるぞ」

「そんな骨董品に乗るのはごめんこうむる。空中分解したらかなわん」

「くっくっくっ」


 ロジャース大佐。空母航空団の指揮官。すなわち、この空母の航空戦力を統括する存在。

 クロージャー大佐。『ジェファーソン・デイヴィス』艦長。すなわち、この空母の『艦』としての一切を取り仕切る存在。


(ああ、そうだった……昔もこんな感じだったな……)


 彼ら2人のやりとりをストールマン少将は懐かしく思う。

 険悪そうな物言いは深い信頼感の裏付けだ。セクショナリズムによる対立など、彼らには無縁である。たとえ生死を分ける瞬間であろうとも、それぞれが背中を任せることができる存在であると、ストールマン少将は知っている。


(おそらくはこれが本物の一体感。チームとしてベストの状態というものだろうな)


 かつて原子力空母『ジェラルド・R・フォード』でトリオを組んで以来、10年のブランクを経て、不思議な因縁で同じ艦に乗り合わせた彼らだが、任務を遂行するにあたってこれほど頼りになる組み合わせは他にない。


(そう、奇しくも我々は二世代にわたって新鋭艦を乗り継ぐことになったのだ。

 いや……今や海軍の人事ですらも、国家戦略人工知能システムの勧告を第1として発令される……これもまた『ハイ・ハヴ』の決めた理想的なマッチングなのだろうか……)


 空母『ジェファーソン・デイヴィス』。

 前級である原子力空母ジェラルド・R・フォード級の計画を途中で切り上げ、世界ではじめて建造された核融合炉搭載の極超空母ハイパーキャリアーである。


 もとより、米海軍の誇る巨大空母群は超空母スーパーキャリアーとも呼ばれていたが、全長350メートル満載排水量12万トンにも達する『ジェファーソン・デイヴィス』は完全に新世代の極超空母ハイパーキャリアーを称することになった。


「こちらは艦長のクロージャーだ。航行モード切り替え準備。

 電気推進から超伝導電磁推進Electric to MHDへ。繰り返す。電気推進から超伝導電磁推進Electric to MHDへ」

『超伝導ユニット起動準備』

『各員へ伝達。これより本艦は超伝導電磁推進へ移行する。速力35ノットより16ノットへ減速』


『ジェファーソン・デイヴィス』最大の特徴は、なんといっても実用艦艇ではじめて搭載された核融合炉である。

 原子炉をも上回るその絶大な出力を利用して、航続距離無限に近い電気推進━━つまり、発電した電力によるモーター・スクリュー推進が可能であるだけでなく、フレミング左手の法則を応用した、超伝導電磁推進MHDが可能である。


「こちらは打撃群司令のストールマンだ。艦隊各艦へ。本艦にあわせて16ノットへ減速。ステルス航行に移る」

「艦隊速力16ノットねえ。まるでイオージマ行きの上陸艦隊だな、艦長殿。ジープ空母から発艦するFM-2はどこにいるんだい?」

「言うな、ロジャース。

 超伝導電磁推進MHDは難しい技術だ。50年近く前に日本が取り組んだが、結局、物にはならなかった……超伝導技術の進歩と使い切れないほどの電力あって、ようやくの『16ノット』だ。

 歴史を振り返れば、ラングレーCV-1だってこのくらいしか出なかったんだからな。なあに、核融合空母の第2世代では、40ノットでも50ノットでも出しているさ」


 内海航路のフェリーですらもう少し速度が出ようかという低速へと、わざわざ艦隊が速度を落としたのはもちろん理由がある。


『随伴の音響測定艦および攻撃型原潜より連絡あり。艦隊からの放射音はおよそ70%低下。本艦に関しては90%の低下を認む、です』

「ほう……90%のノイズ低減か。これは敵潜も恐ろしくないな。どうだね、クロージャー艦長」

「ええ、予想以上の成果です。

 むろん、艦が波を切る音まで消すことはできませんが、スクリュー・ノイズが消える効果は大きい。この技術が潜水艦に応用されれば、真の無音航行が可能になるのではないでしょうか」


 彼らが現在警戒しているのは、周囲に展開しているかもしれない世界各国の潜水艦であった。

 むろん、艦隊護衛の攻撃型原潜によって、追尾を試みたロシア原潜は追い散らされているが、油断はできない。空母打撃郡とは多数の高速艦船の集合体であり、それが放射するノイズは絶大なものだ。


(もちろん、いくら海中を警戒しようとも……空中の偵察機やドローンを追い払おうとも、衛星からの目まであざむくことはできないが……)


 これからおよそ一日。

 その間だけはなんとしても艦隊の存在を隠蔽し、出来るかぎり被発見率を下げる必要があるのだ。


「作戦開始予定まであと22時間30分……いよいよ、まったく新しい戦争が始まるのだ」


 ストールマン少将にとっては緊張の時がすでに訪れている。

 全身に針が生えたように意識が鋭くなる。ひとたび戦端が開かれたのなら、それはさらに激しくなるだろう。そして、戦いに決着がつくまでその状態が続くのだ。


「ま、せいぜい俺たち人間のパイロットの出番が少ない戦争になるといいんじゃないですかね。

 ……合理的な戦争ってのはいやだねえ。金のかかる兵士から戦場に出なくなっていく。けっ、陸軍や海兵隊の奴らに顔向けできねえぜ」


 空母航空団指揮官のロジャース大佐にとって、それは終わりの鐘が鳴る瞬間だった。

 常にもっとも貴重な兵士であり、なんとしても救助され、特別扱いされる存在であったパイロットが、いよいよ戦争の現場から追い出される時代が始まったように思えてならなかった。


「人工知能によってプラニングされ、全面的に支援を受ける人類最初の戦い……我々はその先駆けとなるわけですな。

 さて、歴史はこの戦争をなんと呼ぶのでしょうか」


 艦長のクロージャー大佐にとっては、変わらぬ日常の繰り返しだ。

 艦の運用には、平時も戦時もありはしない。もっとも、新機軸が満載の極超空母ハイパーキャリアー『ジェファーソン・デイヴィス』である。予期せぬトラブルが発生しないだろうかという不安はあった。


「やはり━━それは」

「『人工知能戦争』だな」

「ええ、『人工知能戦争』と呼ばれるでしょう」


 男たちそれぞれの思惑と感慨を乗せて、極超空母ハイパーキャリアー『ジェファーソン・デイヴィス』は北大西洋上にある。

 その視線が見つめる先は、波の遙か彼方━━すなわち、欧州であった。

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