第2話 公間諜は人工知能のフロンティアへ降り立つ

 ━━2035年9月4日午前7時(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)


「おう、ぼちぼち行くぞ。なんだ、荷物に問題でもあったのか?」

「いや、ちょっとファスナーが開きかかっていたから。こっちは大丈夫だよ。それじゃあ行こう、叔父さん━━いいえ、よろしくお願いします、キミズ社長」

「ははっ、アメリカくんだりまで来て、叔父・甥の間に堅っ苦しい礼儀もないもんだぜ、コー坊よ」


 アメリカ合衆国ワシントン・ダレス国際空港の手荷物受取所バゲージクレームにスーツ姿の日本人が2人。

 いかにも仕事でやってきました、という身なりだが、それぞれのたたずまいから滲み出る経験値の差は両極端なものだった。


「はっ」


 薄手のハットを外すと、うっすらと白髪のメッシュがのぞく中年の男性は、まるで自宅でコーヒーでも飲んでいるかのようにリラックスしていた。

 荷物は大型のハンドバッグが1つだけ。周囲を見つめるその表情も「変わらねえな、ここは」と懐かしんでいるかのようだ。


「す、すごい……何もかもすごい……」


 対して、やたらと大きなキャリーケースを引く若き青年は、はじめて鉄道の駅にやってきた幼子のように天井を見つめ、壁を眺め、さらには行き交う人々の多彩さに見とれ、ひっきりなしに感嘆の吐息をこぼしている。


(なんてでっかい空港なんだ……手荷物受取所だけでサッカーの試合ができそうじゃないか……さすがアメリカだな……)


 もっとも、青年の驚きはいささかの誤解を含んでいる。およそ現代的な国際空港というものは、世界中どこにいっても似たような作りをしているものであり、たとえ日本国内でも新しいターミナルでは似たような光景が見られるのだ。


 だが、生まれてはじめて海外に出た23歳の日本人青年にそんな空港事情がわかるものではないし、何より海外初体験の感動を抑えろというのは、酷な話と言えた。


「くっくっくっ、コー坊よう、すっかり飲まれてるって感じだわな?」

「そりゃあ叔父さんみたいに何十回も来てるわけじゃないからね」

「何十回だあ? バカ言え! 何百回だ、何百回! はははははは!」


 叔父さん、と呼ばれた中年男性は少し粗野で、しかし活力にあふれた笑い声をあげながら、自動化された入国ゲートを通過する。

 その笑いはおよそ半世紀前に世界を飲み込まんとする勢いで暴れ回っていた、超絶的経済大国・バブル日本の残り香がした。


(こっちではまだ朝7時なのか……14時間も時差があるのに、不思議と眠くないもんだな……)


 9月のワシントンD.C.は秋の気配である。

 そろそろ引退が近いボーイング787初期型で羽田を離陸したのは日本時間の朝だった。ところが、はるばる太平洋と北米大陸を横断して到着してみると、同じ日付で時間が遡っている。時計の針だけみれば、まるで過去へワープしたようなものだ。


「まっ、今は興奮しているから眠くないだろうが、まあ、一段落したらドカンと来るぞ。覚悟しとくんだな、コー坊よ」

「叔父さんはビジネスクラスだからいいよね。ゆっくりベッドで休めたよね」

「かーっかっかっかっ! 若いんだからエコノミーで我慢するんだよ! 昔の極東のビジネスマンってのはなあ、飛行機の床で寝たりしてたんだぜ! 日本人も韓国人もな!」


 コロナ時代の日本であれば警備員がすっ飛んできそうな大声をあげながら、男は甥の背中をバシバシと叩く。

 あらゆる肌の色の人々が行き交うターミナルロビーに入ると、空気に『匂い』がついた。そして、ここが異国なのだと実感する。温度、湿度、あるいは人々の体臭や調味料が発する『国の匂い』だ。


「俺の頃はよう、ギリギリ機内でもタバコが吸えてよう……」

「叔父さん、その話、出発前にもしたよね?」

『タクシー? タクシー? サー、タクシー!?』

「え、え。な、なに、なに!?」

「無視していいぞ、コー坊。こっちだ、行くぞ」

『ハイ、シャチョー! タクシー? タクシー、安いよ! D.C.まで安い! タクシー!? タクシー、サー、タクシー!?』


 猛烈な勢いで客引きする白タクの運転手に戸惑う初海外の青年と、視線も合わせない彼の叔父。

 ほんの僅かな会話だけを聞きつけて、日本人と見抜くヒスパニック系の白タク運転手も21世紀初頭ならば相当の手腕と言えたが、現代のアメリカでは分が悪い。


「後学のために教えとくが、あーいうのはどこの国でもぼったくりだ」

「はあ……」

「それにな、今のアメリカじゃ、伝統的トラディショナルなタクシーなんて消えつつあるのさ。

 俺たちが乗るのは……ほれ、こっちだよ」


 どんな国のどんな空港にも、バスやタクシー、鉄道といった交通機関の表示をまとめた矢印の掲示があるものだが、青年の叔父は『Taxi』の方向と正反対に進んでいく。

 その方向には『レンタカーCar Rental & 自動運転Autodrive』と書かれた掲示があるのみだった。


「さてと」


 暇そうにしているレンタカー受付デスクの従業員を尻目に、青年の叔父は自動運転Autodriveの受付機に直行する。


『Welcome,touch your contury or say hello in the language of your country(ようこそ。あなたの国名をタッチするか、あなたの国の言葉で挨拶してください)』

「おっす、オラ、日本人!』

『Please say hello in the language of your country again(もう一度あなたの国の言葉で挨拶してください)』

「ちっ、メキシコだったらこれで通じるのに」

「通じないでしょ……」

「いや、あいつらDB好きすぎるからワンチャン通じる」


 ワンチャンもフォーチャンもないだろ、と半眼になる青年だったが、彼の叔父の瞳には確信があった。


「ま、いいや……こんにちは! スミソニアン人工知能博物館まで自動運転で!」

『いらっしゃいませ。ようこそワシントンD.C.へ。スミソニアン人工知能博物館へご案内します。86号車へお乗りください』


 チケットが発券されると、自動運転の発車口へのドアが開いた。そこにあるのはタクシープールのようにずらりと並んだ黄色のクルマたち。1台がランプを点滅させている。ドアや天井には『86』と記載されたナンバーがついていた。


「うーし、行くか。コー坊、お前さんのスーツケースはトランクな」


 青年の叔父は慣れた手付きで左側の座席にすべりこむと、ハンドルもシフトノブもついていないシートにどっかりと体を沈めた。

 もちろん、こちらが助手席というわけでもない。右側も同じである。フロアにはシフトノブもなく、運転装置がついていたはずの部分には大型のディスプレイが敷き詰められている。


「はっ、握るハンドルがないってのは手持ち無沙汰なもんだな」

「へえ……こんなふうになってるんだね」


 運転免許不要。運転手不要。

 すなわち、限りなく完全自動運転に近いレベル4.9と呼ばれる車である。


「レベル3の自動運転車には教習所で乗ったことあるけど、ハンドルもないのは初めてだよ……」

「ま、うちの国も遠からずこうなる。タクシードライバーの失業と━━あと、あれだ。どうしても人間を轢かなきゃならんとき、3人のグループを轢くか5人のグループを轢くか……」

「トロッコ問題」

「そうよ、それ。そいつを解決したあとだな。アメリカさんでもそこんところは暫定的らしくてな。最後の0.1は人間にもブレーキ踏ませるんだとさ」


 おまけかオモチャのようなブレーキペダルが前面左側席にだけついている理由がそれだった。今のところ、トロッコ問題に該当する事故は起きていないらしいが、人間がブレーキを踏んだかどうかで、事故当時の運転状況を把握しているかどうかの判断基準とするらしい。


『ようこそ、アメリカへ。この車両は完全自動運転です。目的地まで自動運転でお客様をお連れいたします。

 法律により非常脱出設備の説明が義務づけられておりますので、数分間だけ説明をお聞きください。前後のドアには脱出用のハンマーが━━』

「はー。へー。ほおー」

「……なに録画してんだ、こんなもん」

「いや、すごいと思って」

「観光客丸出しだな、おい……ま、用事が済めば1日くらいは遊ぶ時間もあるだろうが……」


 青年が非常脱出整備の説明を録画していると、自動運転車はゆっくりと動き始めた。同時にがこんという音がして、何かロックが外れる。ディスプレイに『電池駆動』という表示が出た。どうも駐車中は充電ケーブルが自動で接続されていたらしい。


 そして公道に出る。シュウシュウ、という路面とのタイヤ摩擦音だけを響かせて、モーター駆動の自動運転車はスムーズに加速していく。


「うおー、すごい。ほんとにすごい……高速道路が片側4車線もある……」

「なんでも撮るな、お前は。そういう世代か」

「……いやまあ、観光気分がないとは言わないけど。でもさ、僕たちは帰ったらすぐにレポートを出さないといけないんでしょ?

 だったら、資料は多い方がいいんじゃないかな」

「まあ、それもそうか……テキストだけじゃ、政府のお偉いさんを理解させるのにも苦労するしなあ……何しろ俺たちは」


 と、そのとき、青年の叔父は言葉を句切った。

 そして、青年の耳元に顔を近づけて、最低音量で囁く。


 まるで聞かれては困る話をするように。万一にも録音されては困る話をするように。

 そう、たとえば統一時代の中国国内にいるように。


「現代のアメリカを支える『国家戦略人工知能主義』の実態調査に来たんだからな……こいつは内調からの極秘任務だ。

 忘れるなよ。そして悟られるな。金土 甲かなど こう・特別秘書よ」

「……ええ、もちろんです。わかっていますよ、木水 耀司きみず ようじ・社長」


 株式会社キミズ建設。それは中部地方を拠点とする特殊構造物建設の名門である。


 だが、それは表のイメージに過ぎない。

 裏の顔は日本国政府与党と深くつながり、国内のみならず諸外国における情勢調査を得意とする、21世紀の大手公間諜・・・である。

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