飛躍する人

海沈生物

第1話

 普通になりたくない。異端になりたい。テレビの前で輝く芸能人は恐ろしいほどの美貌から、ただ笑みを浮かべているだけでも美しい。舞台の上に立つ役者は、会場に響く声が、舞台の上での立ち振る舞いが、ダンスが、パッションが、ヴィジュアルが! 全てが美しい。

 私もなりたかった。そんな唯一無二の存在に、あるいは海底の暗闇の中ですら輝く星のような存在に。キラキラした存在になりたかった。


 しかし、手っ取り早く「キラキラ」になろうと思っても難しい。私には幼時から積み重ねてきたような努力がない。これといって顕著な才能もない。あるのは、無味乾燥な平凡さだけである。ステーキを「美味しい」と感じて、ピーマンを「苦くて不味い」と思う程度の平凡さだ。


 そこで、一つの手段を考える。そう、「飛躍」だ。これは異世界転生モノだけでなくそれ以前の作品でも使われてきた手法ではあるのだが、「理屈」というものを無視するのだ。人は理屈に囚われている限り、その理屈に沿って生きていくしかない。それは自身の可能性の否定であるし、社畜として使い潰され、毎日の曜日すら分からない無知蒙昧な機械へと成り下がる。それは生きていない。

 「生も死も所詮、一瞬のことだ」とどこかの哲学者が述べていたが、そうなのだ。思考を奪われた自殺者は「死」に希望を求めるが、死んだ後も今の生と全く同じ才能、日常を強要されたとしたらどうだろう。さして、死も生も変わらないのではないか。だったら、今という一瞬を楽しく生きるしかない。であるなら、この飛躍とて間違った論理ではない。


 さて、長々と論理を話していたが、さりとて問題はそのようなことではない。「どう」するかである。飛躍は想像の世界だけだと、一時的な充足にしかならない。飛躍という概念を想像から現実に持ち込み、それを実行し、そして楽しくなる。幸福を手に入れて、今という一瞬を楽しむことを知るのだ。


 私はインターネットで爆弾の作り方を調べると、なんとか材料を集めて作ることにした。無論、精密作業など中学の「技術」ぶりだ。失敗も多く不発に終わることもあったが、半年という年月を経て、ついに完成した。材料代をそれほど多く取れなかったので爆発力は弱いが、それでも「飛躍」をするための手段としては完璧だ。

 リュックサックの中に爆弾を仕舞い込むと、チェックカラーの私服に身を包んで、明るくて眩しい外の世界へと降り立つ。


 それでは、どこを起爆しようか迷う。火力がないので適当な場所でやったところで、ゴミ箱一つを破壊できるのが関の山だろう。暑い陽射しに額からタラタラと汗を流しながら、町を歩く人達が俯いた「人形」であるように思えてくる。私だけが人間で、そして、今からこの鬱屈とした世界に私が切れ目を作る。「楽しい」を布教する。


 いつか、昔やっていたゲームのことを思い出す。スペシャルアイテムを手に入れると、身体が輝いて、無敵になれる。どんな敵も倒せるし、なんなら狂暴なボスだって倒せる。背中に熱さが宿り、心臓から勢いよく流れる血流が私を「楽しい」へと導いてくれる。


 あぁ、そうだ。目の前に大きなビルが見えてくる。明らかに綺麗で、建設されたばかり。中から出てくる人は鞄を背負って、俯いた表情をしている。あぁ、ここだ。ここを爆発させれば、私は美しくなる。あのテレビや舞台の上に立っていた人間のように、輝いて、しかも誰かのためになる。なんて幸せなことだろう。もう、恍惚だけが私を支配することができた。


 くるくると回るガラスのドアを通ると、目の前に受付をする女性が見える。彼女も、解放されるのだ。日常から、全てから、もっと幸せになれるのだ。

 

 ポケットの中に入った起爆スイッチをギュッと握り締めると、エレベーターが見えた。時計を見ながら焦る人や忙しなくコンビニで買ったパンを食べている人たちが所狭しと上からエレベーターがやってくるのを待っている。あれだ、あの中で爆発させよう。たくさん、鬱屈とした日常から解放されよう。心が独りでにダンスを踊る。


 エレベーターがやってくると、ぞろぞろと人形たちが入っていく。その人波にのまれつつも、私はその中へと入った。息苦しい、痛い、消えたい。……解放だ。解放するしかない。なんとかポケットの中に手を入れると、柔らかいボタンの感覚に辿り着く。解放だ。これは、「楽しい」のだ。


 ぽちっ。


 たった一瞬の内、全てが解放される。痛い。背中の感覚がない。分からない。痛みだけが背中を襲う。見えない。爆発のせいで視界が分からない。ただ、苦しみの声が、コンビニパンの袋が、割れた時計のガラスが、どろりとした赤い血だけが見える。……落ちていく。苦しい。痛い。嫌だ。助けて。痛い。苦しい。


 血が失われ、鼓動が弱まり、意識も薄れる。「無敵」の時間が、「楽しい」の時間が、全てが終わって行く。「飛躍」は、「現実」となったのだ。苦しみは永劫のように終わらない。ただ、私は死んでいく。「現実」だけが、そこに転がっていた。

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