店長の青木さんが一日仕事を休むという連絡が入ったのは、出勤してから十分後のことだった。

 今日は朝開店から出勤するシフトになっていて、開店作業は店長と二人で行う予定になっていた。店長が仕事を休むのはこのバイトを始めてから初めてかもしれない。何かあったのだろうか。心配にはなったが、そんな気を遣う暇もないくらいに二人で行っていた作業を一人でやって行かなくてはいけないという忙しさで今の仕事をこなすことに手いっぱいになった。

 何とか開店準備を済ませると、今度はお客さんの対応に追われた。会計ならば順番を待っていただくことになるが、そこに予約の受付や本の問い合わせ、さらには電話がかかってくるともう一人ではやっていけなかった。それでも何とか一人でやっていると、今日は十二時から出勤の柿本さんが現れた。

「あの、店長から聞いたんだけど、今日、店長休みなんだって?」

「はい、そうなんです。申し訳ないんですけど、返品業務も大変だろうけど今はレジカウンターに入ってもらうと助かるんですが」

「え? ああ、はい。わかった」

 柿本さんは少し戸惑ったかのように見えたが、隣のレジを開けてお客様対応をし始めた。

 助かった。

 私は少し緊張の糸が切れた。と思ったのもつかの間だった。

 目の前のお客さんの対応をしていると何やら隣のレジでお客さんが苦情を言っているのが耳に入る。

 目の前のお客さんの対応を終えると、次に来たお客さんに少々お待ちくださいと言って、隣の柿本さんに目をやる。

「どうかいたしましたか?」

「どうしたもこうしたもねえよ。コイツ。遅いし、おつりは間違えるし、ブックカバーの仕方は雑だし」

 苦情を言っているのは中年の男性だった。いかにもクレーマーな意地の悪そうな感じの男性だったから運が悪いと言えば悪かったが、乱雑なカバーの仕方を見てこれは言われる人には言われるなと納得した。

「申し訳ありません」

 私は柿本さんがした文庫本のブックカバーを外して改めてブックカバーを素早くしてお客さんに渡す。男性は乱暴にそれを受け取りながら店から去っていった。

 生き吐く間もなく、私は次のお客さんの対応をする。それからも柿本さんは苦情になりそうな対応が何度かあったがその度私が対応して何とか乗り切った。

 お客さんが落ち着いてふと柿本さんの顔を見るとレジの前で俯く彼の姿があった。

「ありがとうございました。助かりました。いつも返品作業なのにレジに入ってくれて」

 彼がレジカウンターの仕事、接客の仕事に向かないのは前から知っていた。ただ、返品作業は本が重なると重くてとてもじゃないが私のような貧弱な女にはできない。だから、それも知っていて、店長も接客業務を柿本さんにはやらせなかったんだろうと思う。

 彼にも彼の良さがあるそれでいい。

 と言いたいところだが、こういう急な欠勤がある時にこんなふうにスタッフが何か業務のできないことがあると困ることがある。そう。レジカウンターに限らず返品業務も毎日のようにその業務があるにも関わらず、店長か柿本さんのどちらかが休めばその業務が滞ってしまう。それも困ってしまう。

 今日の仕事はその自分の考えの甘さを痛烈に批判されたような気分だった。

「じゃあ、俺、返品作業しているから」

 謝ることはしなかったが、どこか後ろめたそうに私に背を向けてレジカウンターの裏へと柿本さんは消えていった。悪いことをした気がしたが、こういう事態になったのは誰のせいでもなく仕事というのはそういうことなのかもしれない。

 午後三時ごろ、店が一番暇になる時間帯に店長から電話が来た。

「もしもし」

「柴田さん? ごめんね。今日は。忙しかったでしょ?」

「いえいえ。忙しいのはそうでしたけど」

「だよな。ホントにごめん」

「でも、柿本さんにレジに入ってもらって」

「柿本君、、、そうか、どうだった?」

「まあ、いろいろあったけど何とか」

「だよな。ホントごめん」

「店長は大丈夫なんですか? というより今日はどうしたんですか」

「いや、それがさ、入院することになってさ」

「入院!?」

「そう。腰をやっちゃって、動けなくて、実は今日救急車で搬送されたんだ」

「ど、どういうことですか?」

「いや、元気は元気なんだよ? でも、腰が痛くて寝返りもうまくできないんだ。医者の診断だと腰椎ヘルニアだって」

「へ、ヘルニアってあの骨が出て神経を圧迫するやつですか」

 医療専門雑誌を読んだ時にちょっとだけ目に入ることがあってその言葉は知っていた。重たいものを持ち続ける仕事に多いと聞いたが、本の持ち運びの際に痛めてしまったのだろうか。

「そうそう。で、言いにくいんだけど、一週間入院になっちゃってさ」

「え? 一週間?」

「そう。でさ、みんなにも頼むけど何とか仕事を他のスタッフで回してくれないか。店を閉めるわけにもいかないからさ」

 みんなと言っても私と柿本さんと飯塚さんしかいない。その三人で回すのか。今日のことを考えると一週間だけでも途方に暮れそうだった。

「ホントごめんね」

「いえ、何とかなりますよ。時間があったらお見舞い行くんで」

「いいよ。お見舞いなんて。じゃあ、またシフトの件で何か変更があったら電話するから」

 電話が切れた。切れた瞬間にドッと今までの疲労が襲ってきて両肩に伸し掛かってくる。バイト募集はしているが、地域の最低賃金でしかも交通費を支払わないとなると応募は来ない。こんなに楽しい仕事だけど、他の人にはそうでもないのかもしれない。それが今になって人手不足という危機的な状況を招いてしまった。

 生きるのって楽しいだけじゃダメなのかなとまた自分の考えの甘さを突き付けられている気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エンドレスワンコ AKIRA @11821182ki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ