第2話 雨読
降り続く雨をヴュー・カレの窓から見ていた。
朝から続く秋雨だ。
客はまだない。
ツイードを羽織ってみた。気分じゃなくて、シルクのシャツに黒い繻子のベストにしてみた。
「何だか、違うな」
ジョン・コルトレーンをかける。
それも気分に合わず、ソニー・スティットにした。『Low Flame』がどうにも気分にハマり過ぎるので、一層、マイルスの『Walkin'』にした。レコードのジャケットに縦型の交通信号機のアップの写真が刷られたやつ。
降り頻る雨はやや強めだが、豪雨ではない。かと言ってしとしと降る秋の長雨でもない。ざあざあ降って、なぜか、小学生の頃を思い出させる。傘をならべた登校風景。そう、正門近くまでくると、児童が殺到していて、水色や赤や黄色の傘の拱廊 (arcade アーケイド)。
懐かしいような、感傷的な心地よさ。
ウエッジウッドのカップ&ソーサーもいい。フロレンティーン ターコイズ 。
雨は感傷を抒情する。
大学を卒業しても、小説家になりたいと言って、在家庭。ときどき親の車を駆って、ここに来る。
漫然とMacBook Airを持って来ているが、筆は進まない。
落選を繰り返すうちに何を書いて良いかわからなくなった。
志賀直哉や芥川龍之介を読み返す。好きな小説だ。今風の何が言いたいかわからない小説は好きではない。一本の集中した何かを、何か一筋の結実を感じない。
いや、谷崎潤一郎も初期のものしか読まない。文豪、夏目漱石は全く好きになれない。
谷崎潤一郎のものは『刺青』が一番好きだ。『幇間』もいい。『痴人の愛』や『蓼食う虫』は好きではない。『春琴抄』や『細雪』は少し好きだ。そう言えば、先日、谷崎潤一郎の短編ミステリを読んで驚いた。ミステリとしての完成度が高い、純粋なエンターテイメントだった。
たぶん、志賀直哉が純文系の新人賞に応募したら一次で落選するだろう。芥川龍之介が芥川賞を取る可能性はゼロだ。
良い小説でも、読者にウケなければ採用されない。拝金主義だ。芥川龍之介は売文ということに悩んでいたが、そんな悩みは現代では夢のまた夢だろう。
何もかも拝金主義、私利私欲の世界。石原慎太郎が最後の国会で何だかそんな世俗批判をしていたような気がする。幼かったのでよく覚えていないが。
けど、『太陽の季節』は気取り過ぎて好きじゃない。
高橋源一郎の『ジョン・レノン対火星人』は好きだ。何だか音楽が聞こえる。1970年代か、1960年代の実験的な音楽だ。ビートルズの『Being for the Benefit of Mr. Kite!』か、キング・クリムゾンの『Larks' Tongues in Aspic』のような。
いつかそんな小説が書きたい。
そう言いながら、トールキンの『指輪物語』や『ホビット』や『シルマリルの物語』が大好きだ。壮大な奥行きと展開とを持っている。
かつて、熱田五郎というプロレタリア作家が書きたい小説と書かなければならない小説があると言っていた。彼は労働者作家であり、地を這う下層階級の労働者の現実を描いたが、大人になったらもう一度読み返すべき小説として『モンテ・クリスト伯』と『宝島』と『三銃士』を挙げていた。
彼がそういう通俗小説を書くことは遂になかったが。
人間は哀しい。
しかし、僕の悲哀は大したことない。弟は高卒で働いて家に金を入れている。仕事で嫌なことがたくさんありそうだ。一言も言わないが。
父親も僕同様、趣味に生きる人で、クラシックなアルファ・ロメオをレストアしているが、決して家は豊かではない。
僕の悲哀は僕の悲哀が大したことではないことかな。贅沢な悩みさ。
憂鬱な雨が好きだ。
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