ヴュー・カレ
しゔや りふかふ
第1話 フュシスの棟梁(アルケー)について
古き広場(街)Old Squareを意味するヴュー・カレVieux Carréとしても知られるフレンチ・クォーターはルイジアナ州ニューオリンズの一地区である。現存する建築の多くは、フランス植民地帝国時代ではなく、その後のスペイン植民地時代のものであった。
ヴュー・カレという店名は、そこから取ったものらしい。彼を知る者は皆、開店当初は違和感を覚えたらしいが、フレンチ・クォーターには、バーボン・ストリートが在るんだよ、と聞いて、即座に合点が逝ったということであった。
ちなみに、バーボンbourbonとは、フランスの王朝であるブルボンBourbonの英語読みである。フランスは独立戦争の際、アメリカ側に味方した。トーマス・ジェファーソン大統領がそれに感謝の意を表してケンタッキー州の一つの郡に、バーボンという名をつけたらしい。
よって、バーボン郡で造られるコーン・ウイスキーをバーボン・ウイスキーと呼ぶようになった。後にバーボンとコーン・ウイスキーとは、原料も製法も異なる、別のウイスキーとなる。
オヤジさんのジャズ喫茶を改築するにあたって、Bourbon Streetをイメージしていた彼としては、大いに悩んだとのことであった。
木造の寄棟(両端が切妻になっておらず、四方に傾斜面のあるタイプ)の屋根に、ドーマー(屋根から立ち上がった切妻屋根のついた小窓)が間隔を置いてならぶ、『ラフィットの鍛冶屋』のような古いフランス統治時代の様式にすべきか。
なお、『Jean Lafitte's Blacksmith Shop』はカリブの海賊ジャン・ラフィットが営んだ居酒屋であった。
ちなみに、Smith とは職人の意であり、Blacksmith は鍛冶屋を意味する。
或いは、スペイン・コロニーふうにするか。平らな屋根と漆喰壁と、鉄細工の装飾的な手すりに植物を飾ったバルコニー(又は精緻巧みな鉄細工の手すりや柱やアーチや透彫りなどの装飾を施したベランダ)のついた美しい建築に。
今、海賊の営む『鍛冶屋』という名の居酒屋によく似た建物に、古いジャズのレコードが流れている。
霧雨の降る日曜日の午前九時であった。窓に幾条もの雫が流れている。七月だが、湿っぽくて、土とカビっぽいの匂いがする涼しさであった。
バーになってからも、朝から営業し、昔からの顧客には有難い。夜は二十一時頃までなので、バーにしては、早い閉店であるが、深夜の需要はなかった。
だったら、何でこんな田園風景の中にバーを、と思う方もいるやもしれぬが、ジャズ喫茶もそういう意味では変わらない。オヤジさんも趣味であって、仕事とは言えなかった。
むろん、営業許可を取ったり、税の確定申告をしたり、帳簿や仕入れや支払い、保健所の検査など実務はあるだろうが。
資産家とは羨ましいものである。
だから、のんびりやっていた。客も寡少、いや、稀少に近い。趣味で満艦飾の自室にて寛ぎながら、懐古的なジャズのレコード・コレクションを聴いている状況との差がなかった。
昔のジャズ喫茶では、定番曲を流すと、〝通〟が苦笑したらしい。蕎麦好きがつゆをちょこっとだけつけるという感覚と同じようなものなのだろう。今はそんな面倒臭い奴らはいない。
スノビッシュに振舞って、自己を差別化する寂しい奴らさ。
同じか、僕も。
何がどうあれ、『Round About Midnight』に間違いはない。
そうさ。
何をしようが自由なのが現実である。拳を振り上げることが悪であっても、拳を上げてしまえば拳は上がってしまう。現実は自由だ。正論など、インパルスが分泌を促す神経伝達物質の与える効果でしかない。
事実だ。
さて、僕はぼんやり、シンプルな細い丸テーブルに添えられた線の細い椅子に坐り、雨を眺めながら古書を読んでいた。
ガレージには、店主の一九二九年型ベントレー・ブロワーが停まっている。当然、雨は当たらないが、コンバーチブルのコックピットとナビシートにはカバーがかぶせられていた。
その隣に、アルファロメオ・ジュリア一六〇〇スパイダー(1963y)がある。二人乗りだが、むろん、独りで運転して来た。好きに使っているが、親の所有物であって、八百万円以上もするものを僕が買える訳がない。
白いボディには、既に幌を張っていた。しかし、雨が止むまで帰る気はないし、降り続けるなら、ここに泊まる。高速の機械学習能力を持つ薄型軽量のノート型PCも持って来ていた。仕事には差し支えない。
編集会議も、最近はチャット形式でやっていた。だから、必ずしも、リアルタイムではない。まあ、その方がじっくり考えて発言や資料提供ができる。単体で考えると、やや時間はかかるが、その分、複数を同時進行している。
今のところ、想ったほど悪くなかった。
ただ、独りだと、よい時も多いが、漠然と虚しい気持ちもある。
そんな時、ここに来ると、空っぽになれてよかった。
動画サイトで観たマディ・ウォーターズの白黒の動画で、やはりこの店みたいに脆弱なテーブルと椅子で、空間がすかすかに見え、黒人の客が酒のガラス瓶一本、指に煙草を挟んで、帽子を被った頭首をふりふりしている姿を見て、あ、いいなと考え、以来、杞憂に襲われると、ここに来た。
無味で、乾いていて、砂漠みたいにドライで、即物的だ。単音十穴ハーモニカの金属っぽい音のように。良い。
ただ、現実しかない。現実だけがある。現実でしかない。現実のみがある。どの言い方が一番ヴィヴィッドに来るかな。
いや、どれも粘着だ。
だから、正解なんか要らない。必要なはずがない。ドライだ。ここは、現実なんだから。物的な世界でしかないから? え、物的って? 不定義だし、不定、未遂不収。知らないし、知り方がないし、どうでもよいよ。
だいたい、現実って、どういうことだ?なんて問うたら、笑われるだろうね。
あたりめーなこと、訊くなよ。気障ってんの? って感じのリアクションになるかな? わかんない(笑) いいじゃん。
無味だ。そうさ、あたかも、エンジン音や、オイルの焼ける匂い。革の匂い。スパゲティはアルデンテが最高。先週は喉が痛くて、医者に逝った。それが哲学ではなくても、僕は医者に逝く。
哲学を発声することと、小鳥の囀りとに、何の差異があるのか。ただの声だ。差異は夢。でも、希望じゃない。
白黒の動画で、ブルースを聴く黒人、その煙草と指。そっけない椅子とテーブル。がらんとした木の床。
乾いてる。しがらみがなくて、心が楽だ。ジャズって、いいな。
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