50◆新帝
乗り込んだ禁中に兵は配置されていても、戦意のない者ばかりだった。この国はもう終わりだと諦めたのか。
雷絃たちが槍を振るえば容易く道を開けた。
「殿下、あちらに――」
父帝がいるとすれば、まず玉座であろう。
最後の最後まで帝位にしがみつく気概があるとすれば。
神聖な場に荒々しく踏み入るのは躊躇われたが、今だけは致し方ない。
この殿に来るのは、武真国へ出立する前、行軍元帥にと任命されて以来だ。あの時、黎基はかならずここへ戻ると誓った。黎基が決めた通りの形でここへ戻った。
しかし、何もかもが思い通りではない。
太和殿の奥、御簾の上がった九龍の玉座は空であったのだ。
上を見上げると、鉄球を咥えた龍の装飾が施された
何もかも、黎基が出かけた時と変わりない。
皇帝はどこへ消えたのか。この広い禁城の中に隠れるところはいくらでもある。井戸の中にまで逃げた皇帝もいるくらいだから、どこかに隠れているのかもしれない。
政務を行う乾清宮にいるとも考えられる。
黎基が連れている兵たちは、捕えた兵から話を聞き出していた。
「陛下にお会いしたのは、すでにいつだったかわからない。政はすべて秦太師が決定権を持たれていて、けれど貴妃様と右丞相、左丞相がその決定を覆したりすることもあって。とにかく陛下がどうされているのかはよくわからなかった……」
それは最早、皇帝としての役割を果たしていない。いないも同然だ。
いつの間にか追いついたらしく、昭甫がいた。黎基のそばに歩み寄ると、玉座を目で指す。
「空いてますね。どうぞお座りください」
あまりにも軽く言うから、黎基の方が困惑した。段取りを踏まずに玉座に座り、鉄球が落ちてきたらと臆する心を笑われた。
「正当なる御方が他におられるのならまだしも、あそこに相応しいのは殿下だけです。いいえ、これからは陛下とお呼び致しましょう」
臆するな。覚悟を決めろ、と昭甫は黎基の背を押すのだ。
今さら恐れることはない。
黎基はせめて、国を造ってきた祖先と天には誠実であろうと拝手拝礼し、そして天井の軒轅鏡の龍を眺め、玉座に手をかけた。座ってみると、ひやりと冷たく感じられた。
こんなにも玉座が冷えたのは、父が国を疎かにした証だろうか。
黎基が座っても、鉄球が降ることはなかった。戦の声が一度、シンと静まり返った。
そして、次に巻き起こった声は歓喜の色を強く孕んでいた。
「新帝陛下の御誕生だ!」
「新帝陛下、万歳!!」
そんな声が聞こえ、それは次第に広がっていく。
父の居場所を奪った。黎基はそれを強く感じた。
しかし、これは不可避の運命だ。
天は父を見放し、黎基を選んだ。
この後にはもう、武器を捨てて投降する兵がほとんどであった。奥へと消えた呂石が発見されたのは乾清宮で、孫の賢思と一緒だった。
黎基はダムディンとチヌアのような信頼関係を賢思と築くことはできないかもしれないと思いつつも、それでも以前よりは異母弟に思い入れを持てる気がした。少なくとも、まだ幼い子だから生かしてやりたいと考えていた。
貴妃たちは処断せねばならないから、それをする黎基を恨むかもしれないが、それでも。
ただ、黎基がそんなことを考えたと知ったら、呂石は嘲笑っただろうか。
幼い賢思は、祖父である秦呂石と共に乾清宮にて毒杯を煽って事切れていた。
享年十一歳。
父親に面立ちの似た子であった。黎基はついぞ、異母弟の声を聞くこともできなかった。
秦貴妃は母親でありながら賢思を顧みなかったのか。この時でさえ姿を見せない。幼子が死に逝く時に、他の何を優先したというのだ。
黎基は、秦貴妃には賢思の亡骸の前に手を突いて謝らせてやりたかった。
「秦貴妃はいずこだ? 捜し出せ!」
黎基が言うまでもなく、兵たちは禁城の中に散り、皇帝と貴妃たちを捜している。
煮えたぎる感情を抱えながら、黎基はやるせなさも感じていた。いつも、あと少しが足りない。届かない。いつまでこんなことが続くのだろうか。
祥華は今、どうしているのだろう。
本当は、重圧に耐えきれる強さを持たない自分だから、祥華の顔が見たい。彼女を腕に抱いて、その時だけは本当の自分でいたい。絶えず心を取り繕うのは無理だ。
それでも、祥華が赦してくれたら、そばにいてくれたなら、どんなことでも耐えられる気になる。
――会いたい。
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