38◇陰謀

 秦爛石は役人たちに指示を出し、祥華を床几に座らせた。

 その正面に彼も座り込む。

 しかし、だからといって対等なはずもない。祥華の後ろには役人が控える。


 爛石は祥華をじっと見つめ、祥華がどういう娘であるのかを探るようだった。

 扇で口元を隠すと、爛石はふぅ、と嘆息する。


「お前は儀王薛黎基の軍に身を潜めていたというではないか。お前の父親は彼の目から光を奪い、それ故に処刑された。ずっと恨みを抱いていて、命を狙っていたのか?」


 そんな話は欣史俊のでっち上げに過ぎない。

 しかし、違うと言ってそれを爛石が信じるとは思えなかった。


 祥華はただ黙って相手の出方を窺う。その間、睨むような目をしている祥華を、爛石は面白そうに眺めていた。

 反抗的な態度を崩さない罪人に苛立った役人が、祥華の髪を力任せに引っ張る。


「早くお答えしろ!」

「っ……」


 痛みに苛まれるが、爛石の方がそれを止めた。


「よい。放してやれ」

「はっ……」


 それでも、祥華は睨むのをやめなかった。

 この男は黎基の敵で、黎基を葬ろうとしているのだから。


「その態度は、私への不信感から来るものか?」


 爛石は微笑み、懐かない猫の相手をするような、そんな余裕を見せる。


「しかし、あまり賢明なことではないな。私が刑部尚書に働きかければ、お前の罪など重くも軽くもなるのだから」


 だから媚びろとでも言うのか。死んでも御免だ。


「私は殿下をお恨みしたことなどただの一度もございません!」


 カッとなって答えた祥華に、爛石は鼻白む。


「なんだ、儀王暗殺のために潜り込んだのではないのか」

「断じて違います。私は償いをしたかっただけです」


 噛みつかんばかりに言うと、爛石は軽くうなずいた。

 祥華の答えに満足しなかったことだけが伝わる。


「父の償いか。それは殊勝なことだ」


 この時、爛石は目で役人に合図を送った。すると、役人たちは一人を残して部屋から出た。人払いをした理由はなんだろうか。祥華は震えてしまわないように気を強く持とうと唇を噛んだ。


 爛石はそっと、唄うようにささやく。


「十年前の真実をお前は知らぬからな」


 最初、爛石が何を言うのかがわからなかった。

 ただ茫然と、言葉の真意を知ろうとする祥華に、爛石は淡々と告げる。


「十年前、当時の皇太子であった薛黎基の殺害を企てている者がいた。あの事件は、お前が知る以上に根が深い」


 同行した医者によくない繋がりが露見したと言っていた。

 その医者は退けられ、代わりに父が宝氏を診たのだ。


 ふと、祥華はとある考えに行きつく。

 その医者には、本当に『よくない繋がり』などあったのだろうか。

 もしかすると、そんなものは端からなかったとしたらどうなのだ。

 それが意味することを考えたくなかった。


 何故、父は選ばれたのだろう。

 黎基を害さんとする者が何かを企てたとするなら、黎基に毒を飲ませるように父を脅したのではないか。

 あの時、風邪をひいた黎基を見舞いたいと言った祥華を、父は厳しい面持ちで叱った。


 それが離宮へ連れていってもらえることになったのは、何故だったか。

 ――あの欣史俊が口添えしたからだ。

 父はあの時、どんな顔でいただろうか。


 欣史俊が蔡家の兄妹を黎基から引き離さんと躍起になったのは、まさか十年前のことが絡んでいるからなのか。

 常軌を逸していると思えるほど、兄妹を目の敵にしていた。

 それこそが関与の証ではないのか。


 父は、子供たちを盾に取られ、黎基に毒を盛った。

 そう結論づけるのが最も適当だ。

 その結論は、少しも祥華を救ってはくれないけれど。


「……当時、欣御史が毎日父を迎えに来ました。欣御史はすべてを知っていたのですね」


 祥華が愕然としながらつぶやくと、爛石はくつくつと笑った。


「欣御史は協力者に過ぎないがな」


 欣史俊はまだ黎基のところにいるのだろうか。彼は敵だと、黎基が気づけたらいい。

 けれどもし、まだ近くにいるなら危ない。祥華はこの状況でも黎基のことが心配だった。劉補佐たちが気づいて防いでくれると信じたいけれど。


「さて、実のところ、お前たちの父よりも罪深い者がのさばっている。しかし、それを大っぴらにするわけにはいかぬが、お前たちの罪を軽減することはできる。そのために、まずは――」


 この時、一も二もなく祥華は答えていた。はっきりと。


「お断りします」


 話を聞く気にすらならない。

 黎基の軍にいた祥華は、内情を知っている。だからこそ、黎基たちの弱みを聞き出したいのだろう。


 我が身可愛さに黎基たちの不利になるような情報を漏らす気はない。

 この男が十年前の首謀者でないとしても、黎基の敵であることは間違いない。


 そして、大っぴらにできないというのなら、関りがないわけでもないのだ。適当な人物としては、爛石の父である秦呂石が浮上する。

 この考えはあながち間違ってもいないと思えた。


 爛石は目を細めて笑うが、それを笑顔と呼んでいいのか戸惑うところだ。それは獲物をいたぶる猛禽の目である。


「断ると。では、私にとってお前の価値はないに等しい。それならば、今後どのような惨たらしい目に遭おうとも、私が救いの手を差し伸べることはないが?」

「それでも、お断りします」


 黎基のことを護りたいと願った、その信念だけはどんな時でも曲げない。

 二度と会えなくなるとしても。


「そうか。わかった」


 ため息交じりに立ち上がった爛石に、祥華は身構えた。

 ごくり、と唾をのみ込もうとしたが、喉が渇いて貼りついている。

 この時、戸を叩く音がした。


「右丞相、玉良ぎょくりょうにございます。お目通り願います」


 さっきの役人たちとは違う、まだ若い声だった。その声をどこかで聞いたことがあるような気がしたのは、きっと気のせいだろう。


 爛石から目を放すのが怖くて後ろを振り向けないが、爛石はその玉良に向けて言った。


「戻ったか。入れ」


 はっ、と答えて玉良は最小限の物音で中に滑り込んだようだった。


「まずはご報告申し上げます。左丞相が薛黎基の軍に討たれましてございます」


 これを口にした途端、爛石に緊張が走った。


「謹丈が? 無理はせずに分が悪ければ退けと言ったものを……っ」


 爛石が声を荒らげる。しかし、玉良と名乗った者は涼やかな声で続けた。


「その暇すらございませんでした。薛黎基の配下、劉昭甫は珍妙な術を使います。郭雷絃以上に危険なのはこの男かと――」


 劉補佐が郭将軍以上に厄介だと。

 一体、何をしたのだろう。あの男の特技は皮肉と嫌味ではないのか。


「それでお前は、やつを仕留めることもできずにおめおめと戻ってきたのだな? 謹丈の死と、薛黎基の戦法を伝えんとしたと言いたいのかもしれぬが、我が身可愛さに逃げたのだろう」


 この口ぶりだと、玉良は戦の只中にいたようだ。

 それも、黎基を狙えるような近くに。


 爛石の手の者がそこまで迫っていたのかと、祥華はゾッとした。

 玉良はなじられても終始落ち着いていて、声を乱すことなく語る。


「それから、もうひとつ。薛黎基の弱みを見つけましたので、それをお伝えに上がりました」

「ほぅ、言ってみろ」

「はい。そこの娘です。彼はこの娘を片時も放さずにそばに置いておりました。随分と入れあげている様子で、この娘は切り札になります。ここぞという時のために下手な傷をつけずに閉じ込めておくのがよろしいかと」


 これには耳を疑った。玉良はそこまで詳しく知っているのだ。

 これを語れるのは、本当にごく一部の者であるはずが――。

 何せ、祥華は男で通っていたはずなのに、娘だと言ったのだから。


 この声にはやはり聞き覚えがある。中性的な響きで、まだ若い、きっと顔立ちも美しいのだろうと思える涼やかな声だ。


「ほぅ。母親の宝氏が逃げおおせたことも彼は知らないだろうが、切り札は多い方がいい」


 あの美しい人が秦一族の手に落ちていないことを知り、祥華は内心でほっと息をついた。それがせめてもの救いだ。


 しかし、この玉良がもたらした報せにより、祥華は黎基の足を引っ張りかねない状況に陥ってしまった。一体、玉良とは何者なのか。


 祥華は意を決して振り向いた。

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