40◇友人

 爛石は立ち上がり、祥華を見ずに言った。


「この娘はこのまま牢に閉じ込めておけ」


 玉良と役人が、はっ、と答えて頭を下げる。

 また牢に逆戻りだ。ただし、爛石が祥華の使い道を決めるまでという期限がついたことを自覚する。牢にいる方が、多分ずっとましなのだ。

 それでも、爛石が部屋を出て行き、祥華は深く息をつくことができた。心音は未だに速まっているけれど。


 この時になって祥華は初めて玉良を見た。

 まだ大人になりきっていないと言えるほど若く、小柄で細身。役人たちとは違う深衣を着つつも、少女のように美しい顔立ちをしていた。


「え、袁蓮?」


 思わずそう呼んでしまったほど、玉良は袁蓮によく似ていた。

 しかし、玉良は少女ではない。美しいが、装いは男装である。首は細く、肩幅も狭いが、胸に膨らみはない。


「僕は玉良だ」


 声は、袁蓮よりも幾分低い。やはり、違うのか。それにしても似ている。


 役人が玉良を目で制し、祥華を引っ立てた。だからこれ以上話すことはできなかったけれど、どう考えても玉良は袁蓮の血縁だろう。似すぎている。


 玉良の目が、連れていかれる祥華をいつまでも追っていた。



 祥華が連れていかれたのは独房だった。予想はしていたが、他の囚人とは分けられた。

 今、祥華の命は首の皮一枚で繋がっているというところだ。今夜のうちに殺されるということはない。


 それならば、今日はしっかりと休んでいつでも戦える自分でいなくてはならない。

 今度爛石に会ったら、息の音を止めるくらいの気概は必要だ。


 あかざあつものが少し出された。食事はその程度だ。

 そして、月明かりが僅かに格子窓から漏れるかという薄暗い独房で祥華は横になる。床の冷たさが体の熱を奪った。

 冷たすぎて駄目だと、祥華は壁にもたれかかるように体勢を変えた。


 この時、石壁が僅かな音を伝えた。

 誰かが来た。足音から小柄な人物だと察する。

 おのずと、ここを訪れる人物は限られた。


「あんた、祥華っていうんだな」


 その声は玉良だ。

 祥華は声に引かれながら入り口に近づいた。顔は見えないが、木戸の裏に玉良がいる。

 彼とはもう少し話さなくてはならない。


「……そうだけど、それが?」


 探るように答えた。

 玉良の正体を知りたい。彼は何者なのか――。


「嘘をつけばいいものを、何を馬鹿正直に抗うんだ? 死ぬぞ?」


 玉良は爛石の斥候ではないのか。それならば、何故、祥華を気遣うようなことを言うのだ。

 まるで見てきたのではないかと疑うほど、詳しいことを知っていた。多分、玉良はあの軍のどこかにいた。


 それならば、やはりこの少年は――。


「あなた、私の友人に似ているけど……」


 すると、玉良が小さく笑った気がした。


「あんたも僕の友人に似ているよ」


 わからない。

 それでも、この玉良は祥華を助けてくれたのかもしれないと思えた。

 玉良の情報のおかげで、祥華は今すぐに殺されることがなくなったのだから。


 祥華は命拾いしたと言えるのだ。

 それをもたらした玉良の意図だけがわからない。


「あなたは秦一族の人?」


 ただの手先ではなく、秦一族の者ではないかと祥華が思ったのは、その風貌だ。美しいだけでなく、どこか妖しさも漂わせる。

 爛石や謹丈にも通ずるようなところがある。

 皇帝の寵愛を受ける秦貴妃もまた、こうした女性なのではないだろうか。


「そんな血はかかっているとも思っていないくらい薄いけど」


 玉良はそれ以上手のうちを明かしたくなかったのか、会話の流れを変えた。


「あんた、薛黎基の謀反が成功すると思ってるのか? それを信じているから強気でいられるんだろう?」

「成功するもしないも、どちらにしても私は殿下をお護りしたい。それだけを考えて生きてきただけ」


 それを言うと、玉良が微かに声を立てて笑った。静かな牢の中、その声が耳に残る。


「その信念は命と引き換えにするものじゃない」


 相手が誰であろうとも、そんなことは言われたくない。

 けれど、玉良は馬鹿にするつもりでこれを言ったのではなかった。


「あんたのことは逃がしてやる」

「え?」


 今、秦一族の者だと認めたところなのに、玉良は祥華を逃がすと言い出す。

 これは罠だろうか。それとも、玉良の一存なのだろうか。


 多分、後者だと祥華はおぼろげに感じた。声が切ない。


「僕が逃がしてやる。そうしたら、あんたは僕と一緒に逃げるんだ」


 また、耳を疑うようなことを言う。彼は正気なのだろうか。


「何を……」


 玉良もまた、共に逃げると言う。爛石を裏切ったら、無事では済まないはずだ。そうまでして助けてくれるのか。


 今、彼の顔は見えない。正面にいたなら絆されたかもしれない。

 それくらい、声には感情が込められていた。


「女なんて皆、わがままな馬鹿ばっかりだって思ってた。けど、あんたはちょっと変わってた。一緒にいるの、嫌じゃなかったよ。だから、あんたには生きててほしいんだ」


 どうしてあの軍に女装して入り込んでいたのか――などと問うまでもなく、袁蓮は爛石の放った斥候だ。

 それが、祥華に親しみを持った。


「僕と逃げたら、僕と、ずっと――」


 袁蓮といるのは嫌じゃなかった。気ままに見えて優しかった。

 けれど、それは友情だ。祥華にとって黎基以上に特別な存在になれる人はいない。

 それとも、友情で構わないと玉良は言ってくれるのだろうか。


 命は助かったとしても、ずっと自分の心と玉良に嘘をついて過ごすことになる。そんな結末のために、兄の反対を押しきって従軍したわけではないのに。

 応えられない苦しさが喉を詰まらせた。


「いいの、私はここにいる」


 膝を抱えてそれを言う。


「薛黎基は勝てないよ。爛石様たちは昔から、どこかイカれてる。まともなヤツじゃ相手にならない」


 たくさんの感情が入り混じる声が返った。

 玉良は爛石を絶対的な存在だと恐れているのかもしれない。けれど、祥華も黎基を信じている。

 どちらの想いが強いのかというのなら、祥華は己だと言う。


「私は殿下を信じているから。あの御方に真心を捧げたから、私の心は殿下と共にある」


 生きるために、黎基への想いを裏切ることはしたくない。

 最期の瞬間まで、黎基の無事を祈っていたいのだ。それが愚かしいことだとしても。


 祥華の答えに玉良が納得できたかどうかはわからない。できなかっただろう。

 遠くでため息が聞こえた。


「馬鹿だなぁ、あんたは」

「知ってる」


 本当に、嫌というほど。

 あの無邪気だった子供の恋が、いつまでも胸の奥で咲けない蕾のように残っているに過ぎないのかもしれない。


「あんたの兄さんは無事だよ。向こうに保護されてる」


 玉良がポツリ、と零した。

 それを聞き、祥華がどれほど救われたか、きっと彼はよくわかっている。

 玉良が去った後の牢は、ただただ静かだった。

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