36◆少年の心
その後で、黎基は雷絃と昭甫と、そして鶴翼を天幕に入れて事情を聞く。
そこにいなかった昭甫はかなり疑わしげな目をしていたが、二人が言うのだから嘘ではないと一応は思っているようだ。
「寝返ったと。いや、そもそも、それ以前にコレが秦呂石の刺客?」
指をさす昭甫から鶴翼を庇うように、雷絃は前に身を乗り出した。
「すでに殿下に対する害意はない。それどころか、殿下の窮地を救ったのだ。信じてやってくれ」
しかし、それを堂々と黎基に対して言える雷絃ではない。腕を組んで押し黙っていた黎基が身じろぎすると、大きな体をいつになく震わせた。
黎基は嘆息すると鶴翼に向けて言う。
「寝返ったのなら話せるな? お前は秦呂石の刺客だと言うが、私を殺せと命じられたのか?」
すると、鶴翼は思いきりよくうなずいた。
「はい、そうです」
本当に幼い顔をしている。十四歳だというが、もっと幼く見える。
その幼い顔で鶴翼は淡々と言う。
「僕みたいな孤児を何人も刺客に育てる訓練をしているところがあって。袁蓮はそこにいなかったから違いますけど。そこの孤児は、呂石様の言うことには逆らわないように躾けられています。それで、邪魔者を消すのに使われるんです」
政敵の始末をさせていたというのか。
今となっては実権を握っているが、そこに行きつくまでに――行きついてからも、秦呂石を失脚させてやろうという動きはあったのだろう。
「でも、このところは難しい暗殺が多かったんでしょうね。仲間たちは戻ってきませんでした。皆、失敗して死んじゃったんじゃないかなって思ってます。僕は最後の一人ですけど、僕のことは最後までとっておくって言ってました。僕が優秀だから」
確かに警戒心を抱かせないという意味では優秀だ。暗殺者のくせに、殺気がまるでない。
鶴翼はう~ん、と唸った。
「僕も命じられるまま戦に来ました。えっと、言ってもいいですか? 弟山で山の上から薬を撒きました。丁度殿下の乗る輿が通る辺りにですね。あれ、犬とか獣が興奮して狂暴になる薬みたいです。山には獣が多いからどうかなぁと思って」
こいつの仕業だったのかと、今さらになって顔を引きつらせるしかなかった。
おかげでひどい目に遭ったのだ。祥華も怪我をした。
「秦家はもともと、祖先が薬師なんです。秘伝の変な薬の配合なんかもあるらしいんですけど、僕はそういうのには詳しくは知りません。いくつか持たされただけですね。ほしければどうぞ」
怪しげな薬包を、鶴翼は懐からいくつか取り出した。こちらもほしくはないが、念のために調べておいた方がいい。昭甫は興味津々だった。
謹丈だけでなく、それぞれが調薬に詳しいのだろう。公にはしていないが、呂石も薬の知識があって、その薬を暗殺にも用いて状況を優位に進めることはあったのではないだろうか。
それにしても、鶴翼には悪びれた様子がない。
「武真国では何もしてませんよ。もともとそこでは何もするなって言われてましたし。帰る頃にはもう呂石様のことはいいかなって思ってて、もっとなんにもしてません」
のんびりと言われた。
もう、誰も何も言えずに愕然とするしかない。
それでも鶴翼は変わらなかった。
「殿下を仕留めて帰ったら、呂石様は喜ぶかもしれませんけど、僕、戦に出てみていろんな人と会いました。郭将軍や策瑛、袁蓮や展可も皆優しかったんです。こういうのっていいなって。親なんて僕にはいないんだって思ってたのに、郭将軍が僕の父親になってくれるって言ったんです。だからもう、呂石様のところに未練はないです」
そんなことを言われてしまうと、雷絃は鶴翼が可哀想で仕方がないのだろう。それでも、自身の立場もある。黎基を害そうとしたことを思えば赦してやってほしいとは簡単に言えないところだ。
どうしたものかと黎基が考えていると、昭甫があっさりと言った。
「よし、寝返ったというのなら、こちらに何か有利な情報を流せ」
鶴翼は再びきょとんとした。
「有利……」
何かを考え込んでいる。うぅん、と唸ると、二度三度うなずいた。
「はい。ええと、あの欣っておじさんは呂石様におもねって、よく殿下の悪口を言ってました」
「…………」
その様子が目に浮かぶ。
わかっている。信じた方が間抜けなのだ。
鶴翼は最初から史俊が呂石側の者だと知っていた。一応は警戒して見ていたのだろうか。この童顔からは何も読み取れない。へらっと笑っている。
「あと、呂石様と爛石様って、実はすんごく仲が悪いです」
「そうなのか?」
黎基はあの親子の顔を思い浮かべる。どちらも似ていて、中身も似た者親子だと思っていたが。
「爛石様は呂石様の言うことを聞きません。むしろ頭の固い年寄り扱いされてよく怒ってました。貴妃様や謹丈様は爛石様と仲良しでしたから、分が悪かったですね」
昭甫は、ふむとつぶやいた。
「だから放った刺客も別々か。袁蓮は多分、秦貴妃か秦爛石、どちらかの手の者だろう。互いに知らされていなかったのだな?」
「袁蓮が刺客かなって気づいたのは最近です。向こうも僕のことを知らなかったみたいだし」
知っていたら、袁蓮とは仲良くしなかっただろうか。姉弟のように親しくしていたらしいのだ。淡々と語っているが、内心では複雑なところかもしれない。
「兵糧に細工したのは誰だ?」
それを昭甫が訊ねても、鶴翼は何も知らなかった。
「兵糧に何か入ってました?」
と、首をかしげている。それならば、貴妃たちの仕業だろう。
黎基はあどけない鶴翼の顔をじっと見つめると、真っ向から言った。
「お前は秦呂石と敵対し、機会が訪れればこれを討てるか?」
この問いかけに、雷絃が身じろぎした。酷なことだと思うのだろう。可愛がられたわけではないが、育ててもらった恩はあるかもしれないのだ。しかし、だからこそできるかと黎基は問いかける。
鶴翼は少し考え、うなずいた。
「討ちます。僕を信じてくれる郭将軍のために、僕の意志で討ちます」
その答えを聞き、黎基は鶴翼を信じることを決めた。雷絃ならばこの少年をしっかりと導いていけるだろう。
「そうか。それではお前は今後も我が臣として働け。とにかく、私は展可を取り戻したい。そのためにはどうしても
それを聞くなり、鶴翼は目を瞬かせ、それからつぶやいた。
「展可……。優しい人だから、僕も助けたいです」
「ああ、頼む」
もし、呂石が黎基に敗れるとしたら、それは人の心を信じなかったからではないか。暗殺者に育てた少年にも心があると考えなかったこと。それが敗因となるはずだ。
眠る前に黎基は祥華の小袋の口を開いた。
そこから滑り落ちてきたのは、青緑色の珠だった。艶やかに磨かれた珠は天河石で、黎基も装飾品に時折用いる。この珠の中心には糸通しの穴が開いており、この珠もやはり装飾品のうちの一粒ではないかと思われた。
母親の形見だろうか。いずれ返してやりたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます