30◆昭甫の役割

 あれは、昭甫が黎基のもとへ来てから二年ほど経った頃だった。


『――昭甫、それはなんだ?』

『これはですねぇ、とっても危ないものですよ』

『そんな危ないものを私のそばに持ち込むな』

『仰ることはごもっともですが、危ないものというのはそれだけ力になります。これがいつかきっと、殿下をお助けすることとなりましょう』

『言うことは殊勝だが、顔が極悪人のようだぞ』

『失敬な。そんなことを仰るのならお出ししませんよ――』


 あの頃の昭甫は、隙あらば自室に籠って本を読み、何かをこねくり回していた。

 あまりに不気味なので、何をしているのか確かめるために黎基はこっそり部屋に入り込んだのだ。


 もしおかしな企みがあるのなら、すぐにでもこの男を遠ざけねばならない。目が見えることを覚られてしまった後だったので、厄介だった。

 けれど、昭甫は友人すらおらず、ほぼ黎基以外の誰とも話さず、外との繋がりは皆無であった。何かを企んでいるふうではない。


 ただ、引き籠って本を読み、手慰みに工作をして楽しんでいるらしい。

 最初は、陰気だなとしか思わなかった黎基だが、その昭甫が扱うものが陰気のひと言で片づけてしまえない危険なものだということを知った時には愕然とした。


 ただし昭甫が言うように、危険なものは即ち、力である。

 大きな力が黎基には必要であった。



     ◆



 川の流れは、地上で人々が争おうとも変わりない。

 両軍は川を挟んで睨み合っていた。


 いつも堂々としている雷絃が、この時ばかりは眉根を寄せ、厳しい面持ちでいた。それを昭甫が急かす。


「ほらほら、急いでください。威嚇でいいんですから」

「……ああ」


 雷絃が腰から取り出したのは火打ちで、カッ、カッと手早く藁の先に火をつける。昭甫はニコニコしながら、鉄箱の中の妙な装置を取り出した。木枠を組んだ装置で、その先に球体がついている。その球体の先から紐が出ており、昭甫はそこに火をつけた。


 ――あれの効果を見たのは過去に一度きりである。黎基が止めたのだ。余程のことがない限り、もう使うなと。

 あの時は雷絃もいた。だから、の効果を知っている。


 雷絃は火のついた球を備えた装置を嫌そうに持ち、上に角度をつけて放った。装置はいしゆみのようなもので、球は空に打ち上げられると、橋の向こうの上空で破裂する。


 ドォン、と雷鳴のように、空にあってさえ地を揺るがす大音量が轟く。

 事前に知っている黎基でさえ、心構えがあっても怯むほどの音だった。煙を撒き散らして破裂した球の燃えかすが、風に乗って飛び散る。


 独特の慣れない臭気に顔をしかめるが、秦謹丈たちは轟音に驚き、騎馬は昂って暴れた。落馬する兵と、遁走する馬、逃げ惑う兵の中で踏まれる者もいる。


「逃げろ!!」

「たっ、助けてく――!」


 この時、恐慌に陥った兵たちの中、謹丈は馬上で均衡を失って揺らめいていた。彼が見せた隙に、意外にも冷静にチヌアが動く。前に出ると矢を引き絞り、敵将である謹丈に狙いを定めて射たのだ。


 もともと、武真国の祖は騎馬民族である。狩猟を得意としていた血筋なのだ。大人しそうに見えるチヌアだが、見事な腕をしている。

 技術という点だけでなく、機を捉えた落ち着きに驚いた。やはり、ダムディンが惜しむだけの能力を秘めている。


 チヌアの放った矢は謹丈の左目を射抜き、謹丈は馬の声に紛れて悲鳴を上げた。


「そ、そんな……っ。……様、どうか――」


 何かをつぶやいたが、この混乱の中で聞き取れるはずもない。雷絃が果敢に橋を渡って攻め、槍を薙ぐと謹丈を馬上から叩き落した。騎馬兵たちがそれに続く。

 黎基は焦げ臭さが漂う中で大きく息を吸い、声を張り上げた。


「勝敗は喫した! 味方すら信じず、手駒とする卑劣漢に従いたい者はまだいるか? 私はこのような非道を行う秦一族とは相容れぬ。お前たちも家族や友人を思うのならば恐れずに正しい方を選び取れ。お前たちが武人として国のためにすべきことはなんだ?」


 謹丈は落馬してからひと言も発さなかった。首がおかしな方に折れている。

 兵たちはあの爆発に驚きはしたものの、その衝撃のおかげで催眠から覚めたのだ。今は冷静な頭で考えられるはずである。


 まず、貂絃が降った。

 それを皮切りに、兵たちは黎基につく。それは秦一族が自ら招いた結果でもある。この先、どこかで誰かが止めなければ、この国は蝕まれていくのだと本当は皆がわかっていたはずなのだ。


 兵たちが投降し、黎基の傘下に降った理由のひとつとして、昭甫の役割は大きかっただろう。

 初めてあれの効力を見せられた時、黎基は昭甫に訊ねた。あれはなんだ、と。


『これは火毬かきゅうにございます』


 火毬とやらは、黎基の治める儀州の大地に一瞬で穴を空けた。無人であったが、もしここに軍勢がいたとしても人ごと吹き飛ばしてしまったことだろう。

 恐ろしいことを行ったとは思えないような煌めく目をして、昭甫は語った。


『私の故郷の書庫に、『火龍経』だったか――火薬ひぐすりの研究書があったのです。完成はしていませんでした。中途半端な空想に過ぎない、お粗末な代物です。それでも私は幼少期にそれを読んで、ずっと気になっていました。自分ならこれを完成させることができるだろうかと』


 昭甫の故郷は田舎だった。そんなところに禁書というべき書物があったのだ。明らかに隠された代物であったはずが、昭甫少年はひねくれた性質で探り当ててしまったのだろう。

 子供がそんなものに興味を持つのだから、不健全だとは思う。しかし、それが昭甫なのだ。


 昭甫は科挙を通過し、巡り巡って黎基のもとへ来た。しかし、それは黎基との出会い以上に、昭甫にとっては運命的なことであったのだ。


『儀州からは火毬の材料が採取できたのです。それなのに、誰もそれとは気づいていないのですから。……いえ、一人だけいたようですが、すでに亡くなっていましたね。その先人が書いた『火攻之薬法』と、私が覚えていた故郷の研究書の内容、それから私の工夫、色々なものが合わさって儀州で完成しました。いかに鍛えた武人であっても耐えきれぬ威力を持ちますよ。水気に弱いのが難点ですがね』


 武真国へたった一万の寄せ集めの兵で向かわされたが、昭甫と雷絃がいればどうにかなると思えた。

 事実、そうなのだ。彼らがそれぞれ一騎当千、もしくはそれ以上であるのだから。


 火毬の威力に恐れをなしたのか、兵たちは口々に黎基を称えた。

 チヌアが敵将を射たのは、黎基に恩を売りたいと思ったからだろう。あの火毬がそうさせたのかもしれない。黎基は戻ってきたチヌアにそっと言葉を添える。


「見事だった。恩に着る。それと、あのように物騒なものは、恩のあるダムディン陛下や武真国には向けぬよ」

「それをお聞きして安堵致しました……」


 もちろん、ダムディンが欲を出して奏琶国の国土を侵さないことが条件ではあるけれど。

 チヌアには帰ったら見たものを正確にダムディンに伝えてほしかった。それがあの王へのよい牽制になるだろう。

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