26◆同じ旗色
祥華と晟伯を追わねばならない。
しかし、この道の先には黎基の帰還を阻む者がいるはずだ。もしそこで自分が倒れたとしたら、二人のことは誰が救うのか。
死ねない。負けられない。
そうは思うのに、易々と二人を奪われたこと、勘違いに気づけなかったことで自信を失い、圧しかかる重責に体が軋む。
誰に聞かせるでもなく、黎基はつぶやいていた。
「私のせいだ。私の……」
思い込みで彼女を遠ざけてしまわず、信じてそばに置いていればよかったのだ。誤解である可能性も考えて、もっと話をすればよかった。それが恐ろしくてできなかったのは、黎基の弱さでしかない。
言い出したら、すべてのことにきりがない。祥華ばかりでなく、ひっそりと暮らしていた晟伯を表舞台に引きずってきたのも黎基なのだから。
しかし、そんな悔恨を、昭甫は鼻面に皺を刻んで一蹴する。
「もちろん、私たちと殿下のせいではございます。ですから、死に物狂いでどうにかするしかございません」
「お、おい……」
雷絃が慌てる。不敬を通り越した直截な物言いを遮ろうとしたようだが、昭甫は責められたい黎基の心をよくわかっているだけだ。
「そうだな」
声に出して言った時、心が定まった。
祥華の心に報いるためにできることは何か。それを知るために会わねばならない。
祥華が
しかし、黎基が執着する娘の存在を秦一族が知れば、必ず利用する。秦一族の介入が入る前に祥華を取り戻さねばならない。
とにかく、今は急がねば――。
黎基はどうすべきか考えた挙句、史俊のことは
それから、祥華のことをチヌアに話した。盲目であったのは嘘だとダムディンは知っているが、そこまで踏み込んだ話はしない。
ただ、こちらの事情を話しておいた方が黎基の動きをチヌアの軍も把握しやすくなるはずだと思えたのだ。時間がないので手短にではあったが、チヌアはすぐに理解してくれた。
「そのような事情があったのですね。彼女は強い人だ……」
そんなことをつぶやいていた。
そうかもしれない。祥華は、黎基などよりも余程強い心で生きてきた。
だとしても、今は不安の中にいる。早くそこから救い出したい。
ひたすらに南下すれば、風の匂いが鉄臭さを孕む。
目に頼らない生活をしていたせいで、黎基の嗅覚は優れていた。
近い、と確信する。人影が遠目に見えた。橋の向こうに陣営が控えている。
この橋は、大軍が越えるには脆弱で、縦並びで細い蟻の行列のように伸びきらねば渡れない。ここはやはり行軍の難所だ。
しかし、予期していた通りのことが目の前で繰り広げられるだけだ。黎基は今さら慌てるでもなかった。
冷静に傍らの雷絃に問いかける。
「……祥華たちは先へ通されたのだろうな」
「ええ、恐らくは」
昭甫は目を細め、じっと向こうを見ていた。
「指揮官は誰でしょう? まあ、どちらにせよ通してもらうしかないのですが」
「昭甫、敵とは言っても自国の兵だ。なるべく死傷者は少なく済ませたい」
「今はまだ
うなずいた昭甫に残念そうな様子はなかった。
その方がいいのだが。
「しかし、敵将が誰であるか、それが問題です。あまり手強い相手ではそのような手心を加えているゆとりはありませんから、いざとなればやりますよ」
秦一族の者ばかりならば、黎基も退けるのに迷いはない。けれど、実際のところはそうではないだろう。秦一族は政に関わる官吏ではあるが、ほとんど武官はいないのだ。武人を顎で使うようなことはしても、自分で槍を取って黎基を討とうとするわけではない。
だからこそ、権力に逆らえない兵たちを戦わせる。向かってくるすべての兵が黎基の敵ではない。それこそ、今後護るべき民と言える。
本来であれば、もう少しくらいはゆとりを持って対峙することができただろうか。祥華たちを奪われたのが自業自得だとしても、それを思わずにはいられない。
試練は、いつでも最悪の形で迫ってくる。それを知っているはずではなかったか。
忘れた頃に、それを思い出させるように試される。
覚悟を決め、前に進め。
それしかないのだから。
同じ奏琶国の旗が黎基たちの軍を迎え撃つのだった。
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