23◇露見
兄が拘束されているのは、郭将軍の天幕のようだった。
夜になって、展可は寝静まった民兵たちのところから抜け出すと、兄のいる天幕に近づいた。
しかし、灯りが思いのほか明るくて、番をしている兵も点々といる。今のこの軍の状況を思えば当然ではあった。
展可は諦め、早朝に出直すことにしたのだが――。
ほとんど眠らず、展可はじっと朝を待った。空が白み始め、そろそろ番兵たちも少しくらいは休むかと思ったが、交代しただけでまったくいなくなることはなかった。
これでは近づけない。
もし今、展可が兄に近づいて見咎められた場合、同郷で世話になった人だから心配だったと言い逃れることはできるだろうか。
疑り深い劉補佐辺りには通用しない言い訳だ。
兄はきっと、展可に出て来るなと念じている。自分の身に何があろうとも、妹が無事なら耐えられると思ってくれるような人だから。
武力はからっきしだが、いつも妹を護ってくれていた兄だと、展可が誰よりもよくわかっている。
それでも、そんな兄だからこそ見過ごせない。兄に何かあったら、自分もまた無事に生きていられる気がしなかった。
兄に会うよりも、黎基に会いに行き、額を地面に擦りつけて赦しを乞うべきなのだろうか。
もし、万が一、赦してくれたなら――などと都合のいいことを考えてはいけないのかもしれない。しかし、それしか兄を助ける道はないように思われる。
黎基がすっかり展可に興味を失ったのでなければいい。まだ何か、展可が黎基に差し出せるものがあるのならなんだってする。
――もう、正直に話すしかない。
どうせ知られるのが時間の問題なら、自分から話してしまった方が少しくらいはましだろう。
自分を奮い立たせてみるけれど、前に足が進まない。すっかり臆している。
この時、天幕を気にしながら隠れていた展可の動きは不審だった。
「貴様、ここで何をしているっ!」
背中に飛んだ怒声に身を竦めた。驚いて思わず振り向いてしまう。
そこにいたのは、あの官人だった。
欣史俊――十年前のあの事件を知る、数少ない者の一人。
昔から嫌いだった。今もなお、身の毛がよだつほどの嫌悪感が募る。
欣史俊は展可を見据えた。この時、展可も真っ向から欣史俊を見た。
彼の細い目が限界まで見開かれる。
「貴様――」
この騒ぎに、見張りの兵士が二人、駆けつけてきた。
「この者は民兵の一人です。決して怪しい者ではございません」
一時は黎基が気に入ってそばに置いていた者だから、寵を失って見えても庇わないわけにはいかないのだろう。
兵士が取りなしてくれても、欣史俊はどこまで聞いているのかわからなかった。ただ展可を食い入るように見ている。
ああ、ここまでだと観念するしかなかった。欣史俊の目に閃きの色が浮かんだのだ。
「民兵だと? この娘は蔡晟伯の妹だ。長じて面影は薄れたが、小生は母親も見知っている。我が目はごまかせぬぞ。間違いない」
昂った声でそれを言うと、硬直していた展可に手を伸ばし、髪房を乱暴につかんで引っ張った。それは憎々しげに。
「そ、それは一体……」
兵士は愕然としてつぶやいていた。
「この娘は蔡祥華、殿下の御目を害した医者の娘だ。民兵に紛れていただと? 殿下を両親の仇と逆恨みしてお命を狙っていたなっ?」
耳を塞ぎたい、雷鳴のような声だった。
そんなわけはない。濡れ衣もいいところだ。救ってくれたと感謝こそすれ、恨んだことなどない。
「ち、違――」
髪をつかんで首を捻られ、苦しくてかすれた声しか出ない。
この時、欣史俊の部下たちが駆け寄ってきた。彼は素早く部下に言いつける。
「蔡晟伯を連れて参れ。将軍や他の者に覚られぬように」
「は、はいっ」
郭将軍が罪人を庇うと思うのだろうか。
一人は天幕から郭将軍を誘い出し、共に黎基の天幕の方へと歩いていく。そして、もう一人が兄のいる天幕の中へと入っていった。兄はなんら抵抗もしなかったらしく、あっさりと連れてこられる。
ただ、そこに妹が押さえつけられていると、目を見張ってすぐさま膝を折った。
「乱暴はおやめください。お願い致します」
頭を下げて懇願する。兄の様子に、欣史俊は下卑た笑いを浮かべた。
「この者はお前の妹、蔡祥華に相違ないな?」
兄はこの時、もう逃げ場はないとわかっていた。否定すれば展可が痛めつけられると危惧した。だから、正直に答えるしかなかったのだ。
「相違ございません……」
それを聞くなり、欣史俊は満足したらしい。不快感を呼び覚ます笑みを向け、兵士たちに言った。
「これでわかっただろう。この兄妹は危険だ。小生はこのまま
「お、お待ちください。今、郭将軍をお連れ致します!」
ここまで来ると、一兵士には判断できかねる。上官の指示を仰ぐのは当然のことのはずが、欣史俊はその暇を与えなかった。
「この兄妹を連れて先に行け。小生は殿下に事情をご説明してから追いかける」
「はっ」
急かすようにそれを言い、部下に命じて展可にも縄を打った。荷物のようにして馬に乗せられる最中、何かを言わなければと思いつつも、何も言えなかった。
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