23◇作戦開始

 ダムディン王は部屋に残ったまま、あれこれと女官に指図をする。


「楽団の女ということにしておこう。慰労で陣営を訪れた際に男たちに襲われかけて逃げ出したという辺りだな。化粧は薄めの方がいいか」


 展可は生まれてこの方、化粧などしたことがない。着飾るゆとりのある生活ではなかったのだ。


 女官は手慣れた様子でさっさと展可の顔に化粧を施していく。薄化粧だというから、そう手間取りはしなかった。粉をはたき、目元や口元に軽く朱を入れたくらいだ。


 それでも妙に気恥ずかしくて、化粧が終わっても鏡を見ることができずにうつむいていた。男のようにして振る舞ってきたのに、今さらこんな格好をするとは。


「そう、その恥じらいだ。忘れるなよ。バトゥを前にしたらとにかく怯えて、頭の悪い娘でいろ」


 なんて指示だろうか。

 展可はうんざりしたが、そんな展可を見るダムディン王の目がしつこかった。半分くらい面白がっている気がしてきた。


「思ったよりも似合っている。黎基が見たらなんと言うかな?」

「で、殿下は私を男だと信じておいでなのです。こんな姿は絶対にお見せできませんし、私が女だということもご内密にお願い致します!」


 展可が慌てても、ダムディン王は笑うばかりだった。


「いや、気づいているだろうよ」

「えっ?」

「あいつはとっくに、お前が女だと気づいている」

「そんなわけが――」


 ゾッとして、展可は青ざめた。

 黎基の目が見えるようになってからは特に、着替えにも注意している。黎基からそれとわかるような発言を聞いたことはない。


 これはダムディン王の憶測でしかなく、黎基はまだ気づいていないはずなのだ。

 それを確かめることはできない。気づいていないと願うしかない。


 ひとつの嘘が露見すると、そのまま芋づる式に全部が暴かれてしまう。だから、展可は性別すら知られたくはない。もう少し、黎基のそばにいたいのだ。

 ダムディン王は思いつめた様子の展可に向け、嘆息した。


「まあいい、お前の事情は後回しだ。バトゥが立て籠もる砦を我が軍が完全に包囲するのは日暮れ頃だろう。お前への合図として、戦鼓を三回鳴らす。その音が聞こえるまで援軍は来ない。それまでは一人で耐えろ」

「……畏まりました」


 やると決めた以上、そうとしか言えない。

 ダムディン王は袖の中から取り出した短刀を差し出す。飾り気はなく、鞘に収まっていて隠し持つには丁度いい小さなものだ。展可はそれを受け取った。


「武運を祈る」


 そして、ダムディン王は急に展可の下ろしている髪に触れた。ギクリとして体を強張らせると、ダムディン王は展可の肩にかかっていた髪を払い退け、展可が着ていた着物の袖を破った。

 ビッと音を立てて裂けた袖。そこから下の肌着が見える。


「なっ……」


 せっかくの着物が台無しだ。しかし、ダムディン王はうなずいている。


「襲われかけて逃げてきた感じを出せよ。あと、近づいたら髪も乱しておけ」

「……はい」

「途中までは送らせるが、あとは走っていけ」

「…………」


 仕方がないと思いつつも、釈然としないものも抱える。

 とはいえ、これは重大な任務である。失敗すれば殺されるだろう。こんなにも軽く決めていいことではなかったのかもしれない。


 ダムディン王は展可がしくじって殺されても、すぐさま他の策を考えて実行に移すだけなのだ。展可が死ぬとしたら、それは自己責任でしかない。


 そうなった場合、黎基も怒るだろうか。展可が勝手に決め、勝手に命を散らしたとしたら。

 そばにいて護るという約束を違えるのだから。

 必ず帰るという兄との約束もだ。


 ――ここで悲観的になっている場合ではない。生きて帰ればいいだけのことだ。

 この命は、異国の地でなんの関りもない人間にやるためのものではない。


 気を強く持ち、自身の功績が黎基の評価へと繋がるように尽力しろ、と展可は気を取り直した。


「いい目つきだが、そういう顔はバトゥの陣営ではするなよ。あくまでか弱い、庇護欲をそそる娘が望ましいのだからな」


 そう言って、ダムディン王は展可を送り出したのである。



 途中まで展可を馬に乗せるのは、いつかの若い兵、フェルデネであった。ダムディン王直々に声をかけられ、感極まった様子で引き受けていた。


「戦鼓が三回鳴るまでだ。耐えろよ」

「はい」


 フェルデネが乗る馬に、展可はいつものように跨ることができない。借り物のこの着物は筒状になっていて、馬に跨ろうと思ったら太腿まで裾を引き上げなくてはならないのだ。仕方なく、横向きに乗るしかなかった。


 向こうの兵に覚られてはいけないから、馬で行けるのは少しだけだ。砦を抜けると、野営する民兵が遠くから見える。この格好で誰だかわかる者はいないかもしれないが、展可はなるべくうつむいて馬の背に揺られた。


 フェルデネは、展可が以前会った奏琶兵であるとは気づいていないふうである。展可のことをとても気遣ってくれた。


「女を戦に巻き込むのは本意ではないが、陛下がそれとお決めになったのなら、俺から言えることはない。すまないな」

「いえ、お気遣いなく」


 淡々と返すと、フェルデネの方がかける言葉に困ったように見えた。

 しかし、馬の背に薄着で揺られていると、思った以上に肌寒かった。ダムディン王が袖を破ったりするから、そこから風が入り込むのだ。真冬でなくてよかったと心底思う。



 途中までとはいえ、フェルデネは前の戦の場を避けて遠回りしている。死屍累々の地を一人で行かせるのは、さすがにあんまりだと思ったのだろう。もしくは、敵の斥候がいた時に備えてか。


 迂回したせいか、降ろされた場所は風の強い草原であった。風を遮るものがない。


「この辺りで……」

「ええ、では行ってきます」


 ダムディン王のことだから、作戦に向けてちゃんと用意はしてあるのだろう。展可は自分のことだけを考えて行動しなくてはならないのだ。

 ふぅ、とひとつ息を吐くと、展可はフェルデネに背を向けて駆け出した。わざと乱すまでもなく、髪は風に嬲られる。


 息を切らし、走って、走って――しかし、少々の余力もなければ向こうに着いてからが困る。展可は途中で足を休めつつ、砦の全貌がぼんやりと見えてきた時には再び駆け出した。

 

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