17◇誰にでも等しく

 黎基も戦況が気になって仕方がないようだ。先ほどよりも馬の足を速めている。

 展可たちが急いで辿り着いた先では、ダムディン王や郭将軍が指揮を執る軍勢が、少数となった敵を蹴散らしていた。


 どう見ても、こちらが圧倒的に有利だった。

 先ほど感じた不安は取り越し苦労だったのだろうか。


 この時、たくさんの兵が入り乱れて戦闘を行う中、展可はどうして自分の目が倒れた兵のたった一人に向いたのかと思った。


 林に続く道の脇に倒れている兵は、鎧を身に着けていなかった。それが変だと思えたからか。

 鎧をまとっていないのは奏琶国の民兵だと気づき、ハッとする。


 指示に逆らい、民兵が林を抜け出たのだ。

 功を焦ったのか、単なる反骨心か。


 よく見ると、その後ろにも点々と、民兵の遺骸が伏せっている。

 なんて愚かなことをしたのだろうと、展可は苦々しい思いで戦いを避けながら近づいた。


 けれど、その民兵の遺骸のいくつかの中に、あってはならぬ人を見つけた。


 ――まさか。そんなはずはない。嘘だ。

 展可は黎基のことさえ通り越し、馬を走らせた。


「展可っ?」


 黎基の声が背中にかけられた。その声が戦いの音の中に搔き消される。

 展可は馬を飛び降りた。戦場で何をしていると叱責されても仕方がない。それでも、展可は馬を捨てて倒れた一人を抱き起した。

 人違いであってほしいと、最後の最後まで願っていた。


「師父っ!!」


 展可の武芸の師である全は、すでに事切れていた。

 老体に刀傷をいくつも受け、着ているたんはズタズタに裂けている。その上、血を含んでひどい有様だった。首に受けた傷が致命傷であったのだろう。全の顔は無念そのものであった。


 展可は、いくさというものをこの時初めて知った気がした。

 全は心優しく、清い人だった。それがこんなにも惨たらしい死を、それも異国の地で迎えたのだ。

 誰の身の上にも等しく死は訪れる。それが戦なのだと。


 しかし、そんなことが受け入れられるはずもない。唐突な死に、展可は実父の時のことも同時に思い出していた。

 本来であれば死ななくてもよいはずの人間が、他人によって与えられる死がどれほど理不尽か。


「ぃ……っ」


 言葉にならない叫びが、展可の喉から発せられた。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 林に危険はなかったのではないのか。何故、全は林の外で倒れているのだ。

 一体、何が起こってこの惨劇を引き起こしたのだろう。


 原因がなんであれ、全が生き返られないことだけは確かだ。それでも、展可はまだ認めたくなかった。

 蔡家の兄妹とは距離を置きたがった里人たちの中、どんな子供も分け隔てなく慈愛を持って接してくれた。


『そんなところに隠れていないで、学びたいのならこちらに来なさい』


 武術を学びたくて、物陰からこっそりと覗いていた。そんな展可に、全が声をかけてくれた日のことを、決して忘れていない。

 今の展可があるのは全のおかげだというのに、なんの恩返しもできなかった。


 涙を流して縋りつくことしかできない。

 我を忘れて泣き叫ぶ展可の肩を、いつの間にか馬から降りていた黎基がつかんだ。


「展可、ここは戦場だ。まだ戦は終わっていない」


 黎基の言い分は正論だった。武人であれば近しい人の死も覚悟のうちであっただろうか。それができていなかった展可はやはり、ただの里娘でしかない。


「わ、私の恩人なのです。このままここに打ち捨てていくなんて、とても――」


 鳥獣に腐肉をついばまれる。そんなのは耐えられない。異国の地ではあるけれど、せめて土の下で安らかな眠りについてほしい。


 しかし、黎基が言うように、今は戦の最中である。このようにして倒れた者はごまんといる。その一人一人に墓を作ることなどできないのだ。


「できることなら願いを叶えてやりたいが……」


 黎基を困らせている。それはわかるのに、涙が止まらない。

 展可は心のうちで全に何度も何度も謝った。ごめんなさい、と。


 そうして、震える手で全の髪をひと房切り、それを結んで懐に入れた。せめて一部だけでも祖国に帰してあげられたら、と。


 展可が手放した馬は、黎基の護衛の一人が手綱をつかんで捕まえていてくれた。展可は再び馬上に戻るが、落ちずにいるだけで精いっぱいだった。とても戦えない。手が、足が、震えて自分のものとも思えなかった。


 周りはうるさかったが、展可の耳には何も入ってこない。ただ茫然と流されているだけだった。

 だから、いつの間にダムディン王や郭将軍が引き返してきていたのか、気づかなかった。


「やはりあの砦は厄介だ。一度退く」


 ダムディン王が黎基にそう告げたのを聞き、展可はほっとした。黎基は郭将軍と何かを話している。時折展可の方を見るから、展可のことを話しているのだろう。


 感情に流されて勝手をした。戦場ではとても使えない、護衛にはならないと告げているのではないだろうか。郭将軍も苦りきった顔をしていた。


 悲しすぎて、頭が働かなかった。そんな展可のことを馬だけが気遣っていてくれているような気分だった。

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