16◇合流

 日が暮れると、どちらともなく戦線を引いた。早々に決着が着けばいいが、その程度で済むほど楽な戦ばかりではないようだ。


 互いの陣営の、遠くで揺れる火を警戒しながら体を休める。皆、獣ではないのだから夜は足元も覚束ない。日が昇るまではろくに戦えもしないのだ。


 風の強い草原で、小さい火は注意していないと消えてしまう。かといって、大きな火を熾すと火事になる恐れもある。兵たちは火の番と敵兵を警戒しながら、交代制で休んだ。食事は片手で食べられるような蒸した糯米もちごめだ。

 ダムディン王や黎基も、この場では兵と同じものを口にしていた。


 展可は休みつつも林の方が気になっていた。

 あれだけの人数がいれば、獣は寄ってこないだろうけれど、夜間には不安もある。

 袁蓮は気の強い娘だが、さすがに少しくらいは夜の林を気味悪がっているかもしれない。


 展可は、ほんの短い時間だけ仮眠を取った。その間、黎基は起きていて、逆に黎基が眠っている時に展可はそばで黎基の身を護った。

 ここでは衝立を立て、地面に敷いた敷物の上で眠るのだ。黎基が本当に休めているのかはわからない。

 展可はその寝顔を眺めてから空を見上げ、早くこの戦にけりが着くことを異国の星に祈った。


 

 ――そうして、空が白み始める。

 薄靄がかかった先を気にしつつ、展可たちは支度を整える。矢も補充し、強張った筋肉をほぐしてから馬に跨った。

 この時、展可のことを黎基がじっと見つめていた。


「殿下、お疲れのこととは思いますが、もうしばらくの辛抱かと」


 気遣う言葉を向けると、黎基は苦笑した。


「展可が根を上げる前に、私が疲れたなどと言うつもりはない」


 展可のような子供に心配されたくないのだ。自尊心を傷つけてしまったかと、気まずくなってうつむいた。


「差し出口をお詫び致します」

「いや、そうではない。苦しいのは皆同じだということだ」


 戦時下とは思えぬほど穏やかに言われた。

 体以上に心が疲れている。そんな時だからこそ、気遣いが心を救う。

 自分のことばかり考えていてはいけないと、人の上に立つ黎基だから、余計にそれを感じるのかもしれなかった。



 先陣の騎馬兵がじりじりと、探るように前へと進んでいく。

 靄が完全に晴れた頃にはまた、戦という名の殺し合いが青い大地の上で繰り広げられた。互いに数を減らし合うだけの愚かな行為だと、頭のどこかではわかっていても、互いに引けぬものを抱えている。

 

 戦鼓の音が響き、また戦局が変わったと、目ではなく肌で感じた。

 ダムディン王が兄の首級を獲ったのだろうか。歓喜の声を上げたのはダムディン王の武真兵たちだ。

 けれど――。


 曇天には鳥が舞う。

 血の臭い、死の臭いに誘われて、その肉をついばみに来たのか。

 黒い翼は不吉なものだ。空から降る漆黒の羽に、展可は怖気を震った。


 展可は生きている。黎基も無事だ。

 それでも、不安がつきまとう。


 今がまだ、戦という暗い穴への入り口であるからだろうか。この先にもっと悲惨なことが起こり、ちっぽけな自分はそこに吞み込まれてゆくのか。


 この場で不安を感じずにいられるほど、展可は経験を重ねているわけではない。幼少期からの不運は重なったけれど、それでも兄がいたから、一人ではなかったから、絶望はしなかった。


「展可、顔色が悪い。疲れたか?」


 黎基が展可の顔を覗き込んだ。黎基も戦など知らずに過ごしただろうに、それでも落ち着いている。

 課せられた重荷に常に答え続けているのだ。覚悟が違うということかもしれない。


「いえ……」


 かぶりを振るが、顔色に出てしまっているのならごまかせないだろう。

 それでも、この不安を認めるわけにはいかない。

 しかし、黎基はそんな展可を叱るつもりはないようだ。むしろ労わってくれる。


「無理はしなくていい。ダムディン陛下も当初の目的は遂げられたようだ」


 黎基がそう言ったのは、槍の穂先に結わえつけられ、高らかに掲げられた首によるところだ。


 戦は虚しい。人が死ぬだけだ。

 あの熱狂には溶け込めない。


「――このままアマリ砦まで攻め入るとのことです」


 騎馬兵の一人がそれを黎基のところまで通達に来た。


「そうか。負傷兵が少ないということだな」

「はい。郭将軍のお力によるところだと、ダムディン陛下はいたくお喜びです」

「なるほどな」


 数がそろっているのなら、このままの勢いで攻め入っても勝算がある。ダムディン王は疲れ知らずらしい。


「林の方へ向かっている敵兵を退け、陽動の歩兵とも合流できるようなら戦力として加えたいとのことでした」


 林にどの程度の敵兵が割かれたのだろうか。奏琶国の民兵は林に潜んでいるのだから、挟み撃ちにすればその敵兵の部隊がアマリ砦まで退くことは不可能だ。


 砦から見ると、木の枝葉の隙間から進軍してくる兵が見えても、木々に紛れて兵の全貌が見えない。そうすると、実際よりも多く見えるのではないだろうか。間隔をあけ、ゆっくり進軍するようにと誰かが指示していた気がする。


 隊の全貌が把握できないのなら、敵もやや多めに兵を投入して警戒していたと考えられる。その部隊を挟み撃ちにすれば、敵の数を大きく減らせるだろう。


「わかった。早期決着は望ましいが、向こうも後がないのだから、そう容易くはないだろう」


 黎基が落ち着いて答えた。

 順調に進んでいるように見えて、どこに障害があるのかはわからない。勢いだけでは乗り越えられないこともあると、黎基は警戒しているふうだった。


 展可もまた、戦らしい戦は初めてのことで、これが普通なのかがよくわからない。冷静だとは言えなかった。だから、黎基の落ち着きに救われる。



     ◆



 続けて進軍する。

 気が昂っているせいか、食事も休息も必要としていなかった。誰もがそうだった。


 馬の背から、展可は黎基が同じようにして進む様子を窺う。黎基の目は、もうなんの心配も要らないようだ。

 霊薬というものがどの程度の効力を持つのかはわからないが、絶えず摂り続けなければならないとは言われなかった。完治したと見ていいのだろう。


 医者の娘として育ったからこそ、治らない時は何をしたって治らないことを身に染みて知っていた。それが、十年治らなかった黎基の目が、薬ひとつで快癒したのだ。霊薬の効果とは凄まじいものである。神秘というものがこの世には存在すると、展可は身をもって知った。


 ただ、黎基はきっと、こんな日が来ることを信じていた。諦めていなかった。

 だからこそ剣を握り、来るべき日に備えていたと、少なくともそう受け取れるのだ。


 これから、展可はこの戦が終われば里に帰り、黎基とは別れて以前の暮らしに戻る。遠くから黎基の名声を聞き、無事を祈りながら生きていく。それで十分のはず。


 ――チクリ、と胸に痛みを感じる方がどうかしている。

 展可の望みはすべて叶ったのだから。



 わぁ、と声が先の方から聞こえて、展可は素早く顔を上げた。


 一旦退いた兵がまた衝突したのだ。しかし、何かがおかしい。何かが気になる。

 それは黎基も同じであったのかもしれない。正面から声のする方へ馬首を向けた。


「林の方角が騒がしい……」


 つぶやきながらも嫌な予感がしたのだろう。顔つきが険しくなる。

 林の手前で戦闘が繰り広げられているとしたら、先陣のダムディン王たちがそこに到達してからだ。手前の敵を払ってから林にいる民兵と合流すると、そういう話だったのだから。


 しかし、今、騒がしいのは林の手前ばかりではないような気がする。

 敵兵が林の中にまで追撃してきたというのなら、民兵の方が挑発を行ったということだろうか。もちろんそんな指示はされていない。

 一体何が起こっているのだろうか。


 展可は緊張で体が冷えていくのを感じながら、それでも黎基の後に続いた。

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