15◇空は晴れず

 戦鼓の音がドンッ、と地を震わすようにして鳴った。その音に展可はハッと顔を上げた。

 こちらが鳴らしたのではない。向こうだ。


「陣形を変えるか……」


 黎基がつぶやく。

 展可は空を見上げるが、空は変わらない。相変わらずの鈍色だ。


 兵の数はこちらが勝っている。それでも、入り乱れていると戦局がよくわからなくなってきた。

 敵兵の見分けがつきにくい。王兄ガンスフが従える兵も一部は武真国の兵なのだ。どこかに見分けがつく目印があるとして、遠目にはわからない。


 展可は弓を手に、少しだけ馬を前に出した。

 それというのも、戦場が徐々に下がっていると感じたからだ。ダムディン王が押しているのは間違いない。林の方からの進軍を敵が察知し、そちらにも備えて下がり始めたということだろうか。


 手前の、ダムディン王の兵が苦戦してるのが見て取れた。加勢すべきだろうか。けれど、黎基の護衛である以上、勝手に離れられない。

 そんなことを考えていると、展可の馬の脇を黎基の馬がすり抜けた。


「で、殿下!」


 カッ、カッと蹄鉄が地面を蹴り、月毛の馬は生き生きと駆ける。展可たちも慌ててその後を追う。黎基は腰の刀剣を抜き、武真兵の援護に入った。

 動かないと見えた兵たちが加勢に加わり、敵兵は怯むも、他の屈強な武人たちに比べれば、黎基も展可も線が細いのだ。すぐに侮ってかかってきた。


 黎基は敵兵を追い払うために威嚇するのかと思ったのだが、馬上で剣を構え、馬の腹を蹴った。展可が割って入る間もなく、敵の騎兵と打ち合う。

 いけない。展可は最悪の事態を考えてゾッと身を震わせた。


「下がってください! ここは私が――っ」


 しかし、そんなことを展可が叫んだうちに敵兵は馬から落ちていた。

 目が見えずとも剣を握り続けていたのは知っている。そうだとしても、黎基はこの前まで盲目であったとは思えぬような動きで敵兵をなぎ倒したのだ。


 相手も騎馬兵なのだから、歴とした武人だろう。黎基のことを侮ってかかっていたとはいえ、弱いわけではないはずだ。


 呆然としてしまいそうになるが、ここは戦場だ。展可も気を引き締め直した。向かってくる敵兵に矢をつがえ、放つ。


 一矢放ち、その一矢が的中するのを待たずに次をつがえる。展可の矢は敵兵の甲冑の繋ぎ目、それから馬の脚に当たった。

 鶴翼と一緒になって、兵糧のための狩りをしていたおかげで的中率が格段に上がった気がする。弾弓よりも当てやすい。


「よくやった。しかし、あまり前に出るな」


 黎基がいつもよりも厳しい声で言う。前に出過ぎているのは黎基の方だが。

 ただ、思った以上に黎基自身も戦場で戦える。それでも、無理は禁物だ。

 黎基を欠いてしまっては、奏琶兵は烏合の衆なのだから。郭将軍がいたとしても、黎基の代わりはできない。


 展可は矢を射るのは早いが、それは矢を消耗するのも早いということだ。持っていた数をほぼ使い果たし、あとは温存すべく弓を背に戻した。代わりに刀剣を抜く。

 それを見た黎基が険しい顔を見せた。


「展可、そろそろ頃合いだ。下がるぞ」

「は、はい!」


 前線がどうなっているのか、全体を見通すことはできない。しかし、敵兵は確実に下がっている。展可たちが深追いせずとも、あとはダムディンがけりをつけるだろう。この時――。


 曇天の下、宙を矢が飛ぶ。

 誰を狙ったものかはわからない。狙いが大きく外れ、流れた一矢であったのかもしれない。晴天であれば矢尻が光り、気づきやすかったはずが、生憎の曇天だ。


 展可がその矢に気づいた時には、黎基に迫っていた。声を上げる間も惜しみ、展可は手にしていた剣を振った。叩き落とした矢が真っ二つに割れ、地面に落ちる。


 ハァ、ハァ、と展可が荒く呼吸をしながら冷や汗を流していると、黎基が驚きながら口を開いた。


「助かった。展可に助けられるのは何度目だろうか」

「急いで、お下がり、ください、殿下」


 痛む心臓を押さえ、展可が声を絞り出すと、黎基も嫌だとは言えなかったようだ。素直にうなずいてくれた。


「ああ、行こう」


 やっと後方へ下がってくれる気になったようでほっとした。それでも展可は、いつまた矢が飛んでくるとも知れず、何度も振り返りながら下がるのだった。


 気づけば、大地には倒れた人馬が点々と散っている。展可が寒さを感じたのは、風のせいばかりではない。


 ドンドンッと戦鼓の音がまた、鳴った。

 

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