14◇異国の戦い

 強く吹き抜ける風の音が、亡者の嘆きのように聞こえる。

 そんな中でもダムディン王の声に弱々しさはなかった。


「此度こそ、逆賊バトゥとガンスフの首級を挙げる! 皆の者、存分に戦い抜け!」


 進軍の始まりに、人馬の声が入り乱れた。武真兵の士気は高い。ダムディン王が絶対的な存在であると、兄たちが認めずとも兵は感じている。


 ダムディン王も、次兄のバトゥとは幾度か小競り合いを続けて勝敗を決することができないままなのだから、今度こそはと意気込んでいるのだろう。

 武真兵が奏琶兵を頼りにする気はそれほどないのだとしても、郭将軍の騎馬兵くらいは助けになると思っている。

 期待は薄く、その程度だ。


 展可が受けた説明によると、バトゥが根城にしている青巒国との国境のアマリ砦まで退いて立て籠もられると、勝敗がつかないのだという。青巒国から物資の援助が可能であるから、兵糧攻めにも意味がない。

 だからこそ、砦から誘い出して討つしかないのだ。


 今回は、砦の高みから見れば、林の方からも進軍してくることに気づくだろう。林を抜けて奇襲をかけようとする敵兵に、先手を打つべく兵を差し向けるとする。正道の戦いも同時に行うので、向こうも兵を割けばどちらかが手薄になる。


 林の民兵は、もし敵が迫ってきたら退くようにと指示を出してあるのだ。林に誘い込めれば時間を稼げる。

 正道での戦いは力と力のぶつかり合いになるが、そうなれば負けることはないとダムディン王は自信を持っていた。


「青巒国の援軍は、青巒国王弟の指揮だと言う。あいつらは所詮、この国も馬鹿が王になった方が扱いやすいから、バトゥに協力しているに過ぎん。もしバトゥが王になれば恩を笠に着せ、何かと搾り取るか、もしくは滅ぼしやすくなるとでも考えているのだろうな」


 ダムディン王が馬上から黎基にそんなことを言った。手厳しいことこの上ない。


「ダムディン陛下は青巒国の王とお会いしたことはございますか?」


 黎基が急にそれを訊ねる。展可は騎乗した二人の背を眺めつつその話を聞いていた。


「ないな。もし会う日が来るなら、俺か向こうか、どちらかが首だけになっているはずだ」


 とにかく、不倶戴天の仇であるということだ。

 武真国は奏琶国とも隣接しているが、戦いの歴史の中では青巒国との方が苛烈であったらしい。


 

 ダムディン王の兵が行く正道は見晴らしがよく、遠目に林が見える以外は何もない。風を遮るものがなく、砂の混ざった涼しい風が時折頬を叩くようにして吹く。ここで戦うのならば小細工は難しい。


 バトゥたちは、ダムディン王の兵を相手に勝てるつもりで挙兵したのだろうか。それとも、勝てずとも従いたくなかったのだろうか。



 半日ほどかけて進軍した頃、遠目に人影が見えた。砂埃の舞う中、広い道の先に待ち構えている軍勢は、そこを退くつもりもないようだ。


 展可は後衛から敵将の姿を垣間見た。小さく、小指の先ほどの大きさでしか見えなかったが、郭将軍のような偉丈夫とは程遠く、どこかゆるんだ印象を受けた。武人と呼ぶにもしっくりこない。


「愚兄の尻拭いばかりしているほど俺は暇ではない。お前では話にならぬのでな、さっさとバトゥを呼んでこい」


 馬を止めたダムディン王がそう言い放った。あの将はバトゥではなく、その弟のガンスフということだろう。向こうで何かを喚いていたが、ダムディン王ほど声が通らず、まるで駄犬が吠えているかのような不鮮明な喚きが風の音にかき消された。


 風が乾いている。

 空は鈍く、雲が厚い。光が遠い。


 ここは奏琶国とは違う。当たり前のことだというのに、展可は無性に祖国が恋しかった。


 この中で己を見失いそうになる。それでも、前にいる黎基の背が展可をうつつへと繋ぎ止めているように感じられた。

 黎基を護り、祖国へ帰る。それ以外のことは何も考えなくていい。武真国の今後も、ダムディン王たちの兄弟喧嘩も、展可にとっては他人事だ。


 わぁあああ――ッ。


 敵も味方もなく声が混ざり合う。この場でひとつの愚かしい戦を始めるのだ。

 天にとってはどちらが敵でも味方でもない。勝手な戦だ。


「雷絃! 私は危険の少ない後方なのだ、私よりもダムディン陛下を優先しろ」


 最初からそういう話をしてある。今、ダムディン王に倒れられては武真国が荒れ、奏琶国としても面倒なことになるのだ。

 改めてそれを黎基が口にしたのは、皆に聞かせる目的であったのだろう。


「はっ! 展可、私に代わって殿下をお護りするのだぞ」


 展可ごときに将軍の代わりが務まるわけがないのはわかっている。それでも、身を挺して護る気持ちだけはあるつもりだ。


「畏まりました!」


 郭将軍は配下を引きつれ、偃月えんげつの陣形へと溶け込んでゆく。

 戦いの気が、展可が手綱を握り締める手を震わせる。


 それでも、黎基はまっすぐに戦局を見据えていた。その目は、目の前で繰り広げられる惨劇から背けられることはない。他国でのことであるが、黎基にとっては我がことのように真剣な眼差しだった。


 鮮血が散り、肉片が飛ぶ。そんな光景に馴染めるはずもない。

 展可の方が思わず目を逸らしてしまいそうになる。しかし、目を逸らした隙に黎基を襲う賊がいたら、取り返しのつかないことになってしまうのだ。血と土とが混ざり合う匂いの中、展可は込み上げる吐き気を堪えながら黎基のそばにいた。


 もちろん、展可だけではない。黎基のそばには数騎の兵がいる。彼らは戦を知っているのだろう。展可とは違い、血が沸き立つような昂ぶりを感じているようだった。黎基の護衛がなければ、むしろここを離れて前線に攻め入りたいのではないだろうか。


 黎基の父である現皇帝は幾度か挙兵し、南を攻めたことがある。決着はつかず、遠征は中断し、国力が回復するとはまた進軍を始めた。しかし、明らかに戦上手ではなかったのだ。消耗するばかりで実りのない戦を誰が好もうか。


 皮肉なことに、皇帝が女色に溺れたことによって戦が減った。

 ただし、戦が減ったことを喜ぶのは庶民や文官ばかりで、武官にとって戦がないというのは水を絶たれた魚のようなものなのかもしれない。久々の戦に血が沸き立つのを止められないのか。


 武人だからというのではなく、男とはそうしたものなのだろうか。

 この優しく美しい面立ちをした黎基もまた、怯えた様子もなく戦に見入っているのだから。

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