13◆展可の妹
黎基は明け方、展可よりも先に目覚め、離れて眠る展可を起こさないように気遣いながら身支度を整えた。
――昨晩のあれはさすがに気まずかった。
展可はいつも、一度寝ると朝まで起きない。多分朝まで起きないだろうから、
ちらりと敷物の上で眠る展可を見遣ると、よく寝ていた。
昨晩のあの状況がもう一度起こった場合、『妙な気』を起こさないと断言できる気がしない。あの至近距離で、また潤んだ目を向けられたら。
昨晩も、正直に言うなら、このまま抱き締めてもいいだろうかと、少しだけ考えた。同じ部屋で過ごすのも、そろそろ限界かもしれない。
それともいっそ、展可が女であることに気づいていると告げようか。
しかし、そうすると、何故同じ部屋に置いたのかという追及には答えづらい。悩ましいところである。
今、気にしなくてはならないのは、こうした個人的なことではなく、戦況であるはずだ。黎基は苦笑しつつ、そっと部屋を後にした。
すると、丁度昭甫も隣室から出てくるところだった。今回、昭甫は戦場につき添わない。物資の管理も昭甫の管轄であり、それを含めての留守番である。
超然とした態度から勘違いされがちだが、昭甫に軍師としての資質はない。兵法に興味のない男だから。それでも、必要な人材である。
昭甫は音を立てずに黎基のそばに歩み寄ると、声を潜めた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ああ、問題ない」
そう答えると、昭甫はうなずいた。それから声を潜めたままで続ける。
「林の方へ向かわせる民兵のまとめ役の中に、
「覚えている。過去に兵を率いたことがあると言っていたな」
「ええ。その尤全ですが、愽展可と同郷だそうです。それも武芸の師だとか」
ひとつの集落から数名が徴兵されるのだ。展可と同郷という者がいて当然なのだが、そこまで親しい者がいるとは思っていなかった。
「展可の? それならば老体とはいえ腕が立つのだろうな」
「古傷を抱えていますので、以前ほどには動けないでしょう」
そういえばそんなことも言っていたかもしれない。林の方は直接戦闘になることはないはずだが、展可はきっと師を案じていることだろう。
ああ、とつぶやいた黎基に、昭甫は続ける。
「実は尤全に、愽展可には妹か姉がいると聞いたとカマをかけてみたら、妹がいると答えました」
「妹……」
やはり、愽展可というのは兄の名で、展可と名乗るあの娘は『本物の展可』の妹なのだ。
それを確かめられてほっとした。どこの誰とも知れないよりは、兄の代わりに来た娘なのだと、そんな些細なことでさえわかった今、展可がより近くなった気がする。
「愽
桃児――。
その名を聞いてもぴんと来ない。
あの伸びやかな娘とその名前がどこかずれて感じられるのは、きっと展可の男装しか見たことがないからだ。女らしく着飾った時、ようやくその名前が馴染むのかもしれない。
この戦を終えても、しばらくはやるべきことが多くある。それでも、ある程度落ち着いたら、その時には展可の着飾った姿も見てみたい。きっと、とてもよく似合うだろうから。
◆
出陣にあたり、黎基は甲冑を着込まなかった。
雷絃たちのように筋力があるわけではない。今後体を鍛え直すとしても、今、動きづらくなる甲冑を着て馬を駆るのは難しかったのだ。
簡素な胸当てと肩、脛当てに絞り、要所だけを庇う。それは展可も同じだった。あの細身に重たい甲冑は無理だ。展可にも同じような装備を用意しておいた。
「刀剣は持っているのですが、できれば弓矢をお貸し頂けますか?」
ダムディンたち武真兵と騎馬兵たちが出発の支度をする騒がしい中、展可が雷絃にそう願い出た。
「ああ、予備がいくつかあるはずだ。使うといい」
「ありがとうございます」
弓矢を用意するのは、前に出ないためだ。黎基のそばを離れずにいてくれるつもりはあるらしい。
戦を前に、年頃の娘にしては凛々しい目をした展可に、黎基は思わず問うた。
「展可は弓術も学んだのか?」
「はい、ひと通りのことは」
展可は――妹の桃児はただの里娘のはずだ。それが何故こうも武芸に秀でているのか。
ただ単に性格が男勝りだと、それだけで強くなれるものだろうか。狼と戦うような気概を、戦の経験もない娘が持てるものなのか。
展可はつくづく不思議な娘だと思う。
そこにダムディンがやってきた。
兜こそ被っていないものの、革と金属でできた甲冑を着込んでいる。奏琶国の甲冑は小さな鉄板を組み合わせたものなので、それよりは幾分動きやすそうに見えた。艶やかに光をまとうダムディンは、若いながらに風格を感じさせる。
――と、他人事のように見惚れていてはいけない。黎基もまた、いずれは同じ立場で振る舞わねばならないのだから。
「黎基、目の具合はどうだ?」
わかっているくせに、それを問う。ダムディンの目が笑っていた。
「ええ、陛下のおかげを持ちまして、すっかり回復致しました」
黎基も笑って答える。そのやり取りを聞いていた展可が感極まったようにして目を潤ませているのが見えた。
ダムディンはうなずくと、今度は雷絃を見る。
「お前たちのことも頼りにしている」
「はっ」
ダムディンは即位してから、兄たちの兵や青巒兵とぶつかって退く――を互いに繰り返していたのだろう。このままでは国力が下がるだけだ。早く片をつけたくて、奏琶国に援軍の要請をしたというところだ。
こちらとしても武真国での戦は早く切り上げて、本当の戦いを始めなくてはいけない。
奏琶国本国での戦いは、できることならば回避したい思いもなくはない。それでも、その戦いは不可避だということだけはわかっている。
秋の肌寒さを感じさせる風が砦に吹きつけ、黎基は鈍色の空を見上げた。
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