12◇思慕と義務

 次の戦に向け、新たに隊編成をやり直した。


 展可は民兵の隊のどこにも組まれず、騎馬兵と共にある。

 全や策瑛は、以前から任されていた小隊よりも多くの人数をまとめることになった。


 大丈夫だろうかと心配してみるものの、林の方は牽制に過ぎないのだ。むしろ騎馬兵と共に行く展可の方が、気を引き締めなくてはならない。


 いくら目が見えるようになったとはいえ、黎基が急に戦えるわけがない。剣だけは握り続けていたとしても、やはり実践となれば感覚はまるで違うのだ。そんな黎基のそばで展可が護衛の役割を果たすのだから、一瞬たりとも気を抜くことはできない。



 そんなことを考えながら部屋に戻った。しかし、部屋に黎基はいなかった。

 どうやらダムディン王と話しているらしい。これからしばらくはこういう時間が増えるだろう。以前ほど展可がべったりくっついているわけにはいかない。


 寂しいような気もするけれど、正直に言うとほっとしている部分もある。目が見える黎基は、以前よりも危険なのだ。

 いつ、展可の正体に気がつくとも知れない。今までのように接していてはいけないのだ。

 わかっていても、今さら距離を取ることは難しい――。



 展可は一度部屋から出て、剣の素振りをし、辺りを走り、明日に向けて鍛錬をした。この時、また嫌な顔に遭遇する。


 瓶董へいとうが一人、フラフラと砦の敷地の中にいたのだ。

 民兵は外郭の外に待機しており、ここへの出入りを許されていないはずだ。何か適当な嘘をついて中へ入れてもらったのかもしれないが、勝手なことをされて迷惑するのは、黎基やまとめ役の全なのだ。


 展可は関わりたくもないが、放ってもおけなかった。


「何用でこちらに来られましたか? 用件ならお伺いしますが」


 どうせ用なんてない。輪を乱す行為が好きで、それを愚かにも格好いいと思っているだけなのだ。

 展可が声をかけると、瓶董は驚いて肩を跳ね上げ、そして忌々しそうに展可の方を振り向いた。


「貴様ごときが偉そうに何を言う。殿下の側近気取りだな」

「ご用件はなんでしょうかとお訊ねしました。これといってないのでしたら、速やかにお引き取りください。皆、戦の前で気が立っておりますので」


 淡々と返すと、瓶董は今にも展可につかみかからんとするような、殺意の籠った目をした。しかし、そんなものに怯むつもりはない。


「この大事な時に規律を乱されませんように」


 役に立てとは言わない。けれどせめて、人様の迷惑にだけはならないでほしいものだ。

 瓶董は歯噛みすると、地団太を踏むに似た仕草で足を鳴らした。


「戦が始まれば、俺は功を立てられる。そうしたら、お前のその澄ました顔を踏みつけてやるからな!」


 戦が始まっても、瓶董の隊は陽動するだけだ。それもやりきれば功績ではあるのかもしれないが。

 まあいい。吠えたい犬には吠えさせておくべきかと、展可は背を向けた瓶董が出ていくまで黙って眺めた。あのような男に構っている場合ではないのだが。



 それから部屋に戻り、黎基が戻らないうちにと急いで汗を拭い、下着を換えた。

 黎基はダムディン王と食べたのか、展可の食事だけが部屋に届けられる。汁ばかりのあつものに大麦が少しだが、本来兵の食事はこんなものだ。


 食べ終えて座っていると、程よい疲れを感じた。部屋で黎基を待っている間に、ついうとうとしていた。机に突っ伏して寝ていたらしい。


 自分が寝ていたことに気づいたのは、起きたからだ。体が浮いた感覚がして目を覚ましたのだ。


「ああ、起こしたか。すまない」


 涼しげな声で言った黎基は、展可を横抱きに抱えたままだった。


「っ!」


 至近距離に黎基の顔があり、展可は驚愕のあまりとっさに下へ向けて体重をかけてしまった。黎基は展可をしんだいへ下ろそうとしていたようで、よろけて一緒にしんだいに手を突いた。


「も、申し訳ありませんっ!」


 この大事な時に怪我でもさせたらと青くなったが、展可が黎基の手を踏んでいるので、黎基は展可に覆いかぶさるような形になり、展可の顔に黎基の髪がかかる。今度は自分でもどうしようもないほどに顔が赤らんだ。


「あ、あの、私……っ」


 この状況をどうすればいいのかわからず、展可は錯乱気味に口を開いたが、黎基は苦笑していた。苦笑し、どこか照れたような様子も窺える。


「驚かせたな?」

「いえ、その……」

「私が妙な気を起こしたわけではないと、そこだけはわかってくれるか?」

「えっ、そ、そんなっ! もちろんですっ!」


 展可が机で寝ていたから、疲れているのだろうとしんだいに寝かせようとしてくれたのだ。間違っても襲われそうになったとは思っていない。

 そもそも、黎基は展可のことを男だと思っているはずなのだ。しかし、黎基には男色だという噂が多少なりともあるのを本人が気にしているのだろうか。


 これは黎基の優しさであって、他意はないことくらいはわかっている。わかっているが――。

 胸が痛いくらいに高鳴っていた。


 黎基が無言で、じっと展可を見つめている。だから余計に鼓動が早くなるのだ。

 そんなことはできるはずもないのに、黎基の首に腕を回したい衝動が湧いて、けれど冷静な部分がそれを押し留める。


 幼い頃に抱いていた恋心は、今にして思えば本当に恋だったのかどうかもよくわからない。

 けれど今、展可が黎基に対して感じているものこそが思慕ではないのか。


 そんなことに気づいても苦しくなるだけだ。

 これ以上、考えてはいけない。


 展可は勢いをつけてしんだいから飛び降りた。そして、いつも以上に遠くに敷物を敷いてそこに座る。


「あ、明日に備えて武具の手入れを――」

「そうか。それでは先に休ませてもらおう」


 黎基は柔らかく微笑んだが、どこかぎこちないふうでもあった。それは展可の様子がおかしかったからではないのか。

 そう思ったら、今すぐどこか遠くへ逃げてしまいたくなった。


 従軍した時点で、こんなにも黎基に近づくことになるとは思いもしなかったのだ。一兵士として役に立てたらそれでいいとだけ考えていた。

 こんなふうに、ただの乙女になって胸をときめかせるために来たのではない。


 戦で浮ついていて、黎基を護れなかったら意味がないのだ。

 展可は黎基が立てる衣擦れの音を背に受けながら刀剣を磨いた。本当はすでに手入れなど終えているのに。

 刀身に写る自分の顔は、果たして男に見えただろうか。


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