11◇師と弟子
展可が黎基について外へ出ると、郭将軍を始めとする騎馬兵たちが一頭の馬に馬具を取りつけていた。見たことのない馬だが、月毛が美しい。
「よい馬だな」
黎基が声をかければ、兵士たちはかしずく。郭将軍の配下の兵は黎基の目のことをすでに聞き知っているらしく、黎基が目元を隠さずに歩いていても露骨に驚く様子はなかった。
「ダムディン陛下より贈り物にございます」
郭将軍がそう告げた。
「ああ、そうだったか。あとで礼を述べよう」
まさかとは思ったが、黎基はこの馬に乗るつもりのようだ。
つい最近まで目が見えなかったのだから、昔は乗れたとしても勘が鈍っている。落馬して、また怪我をしては元も子もない。
「あ、あの、殿下、騎乗されるのですか?」
展可がおずおずと訊ねると、黎基は容易くうなずいた。
「歩いてついていくわけにもいかぬのでな」
「急すぎるのでは……」
きっと、皆がそう思っている。展可がそれを口に出したのも無理はないはずだ。
黎基はただ苦笑している。
「この馬は良馬だ。展可にもわかるだろう? 無理をしなければ乗れるはずだ」
深い目をした馬の鼻面を、黎基はそっと撫でた。馬は最初、警戒を解かなかった。ダムディン王が乗っていたわけではないにしろ、いざという時の控えなのだろう。賢いが気位が高いように見えた。
展可はその馬をじっと見つめ、黎基を護ってほしいと念じた。
馬は首を縦に動かし、そんな展可の心を酌んでくれたように思われた。
「はい、賢い子です」
展可もサラサラと馬の首筋を撫でる。慣れぬ異国人たちに囲まれて気を張っていた馬だが、展可が撫でると少し筋肉の緊張がほぐれた。
そうして、郭将軍の手を借り、黎基が跨る。月毛の馬は背に乗せた人物が高貴な人であることを感じているのか、嫌がる素振りは見せなかった。郭将軍が轡をつかんで歩かせる。
しばらくして、黎基はその手を放させた。砦の敷地を軽く走るが、問題はないように見えた。
十年も経てば勘は鈍っているはずだが、このところ誰かと同乗して馬の背には慣れていたからだろうか。それとも、もともと黎基の能力が優れているからだろうか。
多分、その両方だ。
「それでも、殿下は後方にお控えくださいますように。戦は我ら武人が行うものです」
郭将軍が戻ってきた黎基にそう言った。馬上でうなずく黎基は、展可の目には神々しく見える。
「ああ、頼りにしている」
この時、奏琶国の民兵たちは砦に収まりきれず、外で駐屯していた。
黎基は騎乗したまま騎馬兵を従えて砦の外へと向かった。展可もその後尾についていく。
砦の外ではすでに民兵が集められており、砦の階段の上に劉補佐がポツリと立っていた。
「殿下、こちらへ」
そこが一番、民兵たちからよく見えるということだろう。黎基はうなずく。
兵が二人、馬の轡を取り、黎基と共に進んだ。民兵たちがざわつく。
黎基は、目を覆うことをしなくなった美しい顔を民兵たちに向けている。
皆、不遇の廃太子の顔を直に見るのは初めてのことだ。母堂である宝氏の美貌が如何ほどのものであったのか、黎基の容姿を見て思いを馳せているに違いない。
黎基は民兵たちに向けて口を開く。
「皆、よく聞いてくれ。私は十年、目を患ってきた。しかし、ダムディン陛下が所有する霊薬の効力によって、私の視力は回復したのだ。今後は私も戦地に立ち、皆と共にある」
美しい容貌というのは、それだけで特別なものである。人々は惹きつけられ、言葉のひとつひとつに心を震わせる。
民兵たちの歓声が、まるで
面白がっているように感じられる。敵ではないが、味方とも言い難い。
もちろん、黎基の目を治してくれた恩人だから、展可としても感謝している。しかし、そのうちに情勢が変わって敵になることが絶対にないとは言えないからこそ、互いの関係は複雑である。
「明日、西に向けて進軍する。敵は青巒国ばかりではない。武真国の王兄の二人、バトゥとガンスフとが青巒兵を引き込み、ダムディン陛下に弓引いたのだ。我々はダムディン陛下をお助けし、逆賊を討つ。よい知らせを携えて祖国に戻れるよう、皆、気を引き締めて挑んでくれ」
――あの時、ダムディン王が持ち帰った首は青巒兵ではない。あれもまたダムディン王の肉親の誰かであったのだ。
王族というのは、情では動けない部分があり、害があるのならば相手が誰であろうと滅ぼす。ダムディン王はその傾向が顕著だ。ただ、それがすべて民のためであるのなら、ダムディン王はやはり優れた王なのかもしれない。
民兵たちの声が途切れず、士気に高まりを感じさせる中、黎基はそのまま砦の中へ引いた。残った郭将軍と劉補佐が何か指示を出し始める。展可は将軍たちの方へと近づいた。
すると、民兵たちの中から数名が呼ばれた。それは小隊を束ねる者たちであった。だから、展可の師である全や策瑛もいた。
策瑛は劉補佐のそばに呼ばれたことで何かを言いたげにしていたが、劉補佐の方はまるで策瑛に関心を向けていない。やはり、策瑛が一方的に知り合いだと思っているだけで関りなどないのではないだろうか。
「明日、騎馬兵は西の正道を武真兵と共に行く。こちらは戦闘が激化すると予測される」
郭将軍がそう切り出した。皆、静かにうなずく。
「残りの民兵たちは西南の林を進め。こちらはあくまで敵兵を分散させる目的だ。無理はせず、敵兵が追ってくるようなら退き、林から出ずともよい。敵が乗ってこなくとも、日が沈む前に一度退け」
「殿下、郭将軍、正規兵は正道を行く。
劉補佐もそう言って皆を見渡した。
展可は黎基のそばにつくようにと言われた。それなら正道行きである。彼らとは違う道を行くことになる。むしろそちらの方が本格的な戦になるのであって、人の心配をしている場合ではないのだが、あの中に全がいることが不安だった。
策瑛は若く、五体満足だが、全は経験はあれど腕が不自由だ。それでも、弟子が師を心配するとははおこがましいだろうか。
展可は話がひと通り終わるのを待ってから、去り際に全を呼び止めた。
「師父!」
全は振り返り、展可の姿を認めて微笑む。
「ああ、お前は策瑛殿の下にいるのだったな?」
「いえ、此度は殿下のお供で正道の方へ向かいます」
すると、全の方が展可を案じた。
「ゆめゆめ油断はするな。世の中にはお前よりも強い者などいくらでもいる。危ないと思えば逃げることも考えろ」
「……はい」
口ではそう答えながらも、展可がそれをしないことを師もわかっていたのではないだろうか。どこか苦りきった顔をした。
その時、いつの間にか劉補佐が近くにいた。
「お前たちは顔見知りか?」
「ええ、同郷ですから。私の武芸の師です」
これくらいのことなら答えてもいいだろうと思い、口にした。しかし、劉補佐は猫が笑ったような不気味な笑みを浮かべていた。
「ほう。それは手のかかる弟子だっただろうな」
「どういう意味ですか……」
いつもひと言が余計だ。
劉補佐は面倒くさそうに手で展可を追い払う仕草をした。
「お前はもう戻れ。殿下がお待ちだ」
何やら腹が立つ扱いだが、今に始まったことではない。それに黎基のことを出されると反論もできないのだ。
「それでは失礼致します、劉補佐。師父もまた……」
拝礼して去るが、劉補佐は物言いたげな目でじっと展可の背を追っていた。それが嫌で展可はさっさと砦の中へと急いだ。
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