10◆軍事会議

 黎基は展可を残して部屋を出た。

 介助もなく、こうして一人で歩くのは十年ぶりということになる。歩調も気にせず軽快に歩けるというのは本当に楽だ。

 昭甫も雷絃も隣の部屋にいるので、長い距離を歩くわけではないのだが。


「昭甫、雷絃、ダムディン陛下のところへ行くぞ」


 部屋に入るなり言うと、待機していた二人は立ち上がってうなずいた。


「御目が快癒されたとはいえ、ここで大団円とは参りません。むしろ、ここからが正念場でございます」


 昭甫が嫌そうに、溜息をつきながら言った。それは最初からわかっていたことだ。


「そうだな。帰りの方がつらい旅になる」


 それでも、やり遂げる覚悟はしている。決意は今さら変わらない。



 二人を伴い、黎基は軍事会議の場に身を置く。

 床几はダムディンのためだけにあり、他の武人たちは敷物の上に座していた。

 ダムディンの腹心であるオクタイという武将がそばに控える。額から左目の上を走る傷痕が厳めしい、四十手前の武人だ。


「さて、残り三つの首を狩る話だがな」


 ダムディンが身も蓋もない言い方をする。

 しかし、黎基は彼に約束した。この国にいる間はダムディンの望み通りの働きをせねばならない。


「一番手強いのは誰でしょう?」


 黎基がダムディンを見据えて訊ねると、家臣たちは不服そうに見えた。彼らにとって、二人は対等ではない。

 だからといって、黎基が無駄にへりくだったところでダムディンが気をよくするはずもないのだが。

 ダムディンは淡々と答える。


「次兄だな。すでに討ったのは長兄、三兄、四兄。残すは次兄バトゥ、五兄ガンスフ、七兄タバンということだ」


 第六王子は確か、数年前に病死している。皮肉なことに、もしかするとそれが最も人らしい死であったのかもしれない。


「長兄のタージオン様はすでに亡いと。それでも内紛は治まらぬのですね」

「最初に生まれたというだけだ。それだけではなんの力もない」


 第八王子であったダムディンが王に選ばれたのだ。この国では年の順など意味がないらしい。


「次兄に組していたのは四兄と五兄だ。七兄は日和見だからな。後回しでいい」


 そこでふと、黎基は思い出した。女人は数に入れないとしても、ダムディンは末弟ではない。まだ下にも兄弟がいた。


「下のご兄弟の首は数に含まれませんか?」


 それを言うと、やはりダムディンの家臣たちがざわついた。それをダムディンが目で黙らせる。


「兄たちの方が厄介なのでな」


 弟は確か一人だ。名をチヌアといった。

 ダムディンよりも六つか七つ年が離れており、ダムディンの後ろをついて回っていた覚えがある。

 きっと、数多い兄の中でもすぐ上のダムディンを今でも慕っているのだ。ダムディンとしても弟は可愛いと見える。


 黎基は、ほとんど顔を合わせたことのない自身の異母弟を可愛いとは思っていない。母親があの秦貴妃であるせいだ。口を利いたことすらない。

 ダムディンのように思えたらよかったのかもしれないが、生憎と絆と呼べるものを手繰り寄せることすらできなかった。


「左様でございますか。それでは、これからどう動かれるのかお聞かせください」


 ダムディンはうなずく。


「次兄は今、青巒国との国境付近に陣を敷いている。その手前にいたのが四兄だった。四兄は次兄に従いつつも、どうせ出し抜く算段だったはずだ。青巒兵の機嫌を取って、いずれ自分に援助してもらえるように裏で動いていたつもりが、次兄に切り捨てられたのに気づきもしないまま死んだ。到底王の器ではない。三兄と四兄は甲乙つけがたいほどのうつけだったな」


 確かその二人は母堂の身分も低く、他の兄弟が死に絶えない限り、王位には遠かったのかもしれない。自分に組しないからといって自国の里を襲ったりする辺り、王としての資質もない。ダムディンが唾棄するのも仕方のないところだ。


 肉親だから親愛の対象になるのではない。王族とはそうしたものだと黎基も思う。

 血を分けた人よりも、赤の他人であるはずの民を優先できる。それが王なのだ。


「でしたら、お次はバトゥ様とガンスフ様と戦われるのですね?」


 率直に言うと、ダムディンはニヤリと笑った。ダムディンにはこれくらいはっきりと言った方がいいのだ。


「そうだ。お前たちにも役に立ってもらわねばな」

「では、何を致しましょう?」


 ダムディンはオクタイに命じ、敷物の上に石でできた駒を並べた。

 こうした会議で地図が使われないことに黎基は違和感を覚えたが、理由に思い至るとさすがにダムディンは抜け目がないと思えた。


 黎基たち他国の者に国内全域の地図など見せては、道案内をしながら攻め入ってくれと言うようなものなのだ。こうした時でもその緊張を解かないのは正しい。


「ガンスフはバトゥを崇拝していて、出し抜くつもりはないだろう。それで、まずガンスフを討ちたい」

「向こうの兵力は如何ほどで?」

「バトゥとガンスフにつく兵はおよそ二万、それに青巒兵が二万。ただし、青巒兵は状況を見て増える可能性はある。我が軍は五万、お前たちが一万、現状での数はこちらが勝っているが」

「タバン様の兵がどう出るかによっては足元をすくわれかねませんね」

「そういうことだが、タバンはまず動かないだろう」


 ダムディンは黎基の意見に満足そうに笑った。この場で物怖じしているようでは使い物にならなず、生意気なくらいで丁度いいと思っている気がした。

 ダムディンは日焼けした指で駒を挟むと、それを敷物の上で動かしてみせる。


「本来、北西の道があるが、先の災害で焼けた灰燼が未だに風に運ばれてくる。人も馬も目をやられるので北西の道を行くのは難しい。西に進むには林を抜けるか、正道を通るかだ。もしくは船を使うか」

「この距離に船を出すには無駄な日数がかかるだけでしょう。接岸もままならないことですし」

「まあそういうことだな。正道、林、砦の守りに六万の兵を三つに分ける」


 撤退した時に安全な場がなければ全滅は免れない。守りにはある程度の兵を割いておかねばならないだろう。


「それなら、守りに二万、正道に三万、林に一万でしょうか。林はそれ以上増やしてもかえって動けません」


 こう切り出した時、おのずと歩兵の多い奏琶兵が林に向かうことになるのは必至である。ダムディンも同じことを考えていたはずだ。


「林を抜けると、敵を側面からを突くこともできる。ただ、林のように狭く足場の悪いところで騎馬兵が迅速に動くことはできない。正道での戦いが激化するのはわかりきっているから、お前たちの騎馬兵は正道に回し、歩兵を林へ向かわせたい」


 騎馬兵――雷絃が率いる騎馬兵は少数でも主力になり得る。そして、それを引き抜いたあとの兵は民兵ばかりなのだ。それではとても統率が取れない。この策は上手くいくだろうか。


「しかし、歩兵は戦い慣れぬ者も多くおります。林を抜けたところで敵将を討つのは難しいでしょう。むしろ、林を出ずに林の中へと敵を誘い込むという戦い方の方がよいかと」


 黎基がそれを言うと、ダムディンもうなずいた。


「それなら、林の方で無理をする必要はない。敵を正道に集中させず、警戒させたいだけだ」

「わかりました。念のために地理に詳しい者をつけてください」

「ああ、そうしよう」

「開始はいつに?」

「明日だ」


 思った以上にダムディンの行動は早い。

 黎基自らが馬を操るのは久しぶりだが、無理をしなければなんとか乗れるだろう。雷絃を連れ、正道をダムディンと行くことになる。


 林の方は隊を編成し直して順番を決めた方がいい。中でも戦えそうな者を前にし、経験のない者は後方だ。ここでいたずらに兵の数を減らしたくはない。



 ダムディンたちと別れてから、黎基は雷絃と昭甫の部屋で戦略を煮詰める。


「林の方へ行く兵をまとめるのに誰を使う? 正規兵はほぼ騎兵だから正道へ連れていくとなると、ただでさえ統率の取れない民兵をどう動かすべきか……」


 独り言のようにしてつぶやくと、雷絃がうなずいた。


「私の副官、崔圭さいけいだけは林へ行かせましょう。それから、民兵にも戦の経験があるものもおります。腕に古傷を抱えてはおりますが、尤全ゆうぜんという男は過去に兵を率いたこともあるようでした。派手な戦闘になることはないようですので、彼にも働きを期待したいかと思います」


 黎基は展可を除く民兵に目を向けていなかった。中には優れた力を持つ者もいるのだろう。昭甫にも意見を聞いてみたいと顔を向ける。


「昭甫、お前はどう思う? 誰か上に立てそうな者に心当たりはあるか?」


 すると、昭甫は軽く嘆息し、渋々といった具合につぶやく。


策瑛さくえいという男がいます」

「それは誰だ?」

「愽展可の所属する第一小隊のまとめ役です」


 そう言われてみてやっと、黎基も思い当たる。雷絃も同じようにしてうなずいていた。

 人当たりがよく、精悍な青年だった。確かに彼ならば反感は買いにくいかもしれない。


「昭甫が推すのなら、実力もあるのだろう」


 滅多に人を褒めない昭甫だからこそ、挙げた名には意味があるはずだ。

 雷絃もうなずいた。


「ええ、模擬戦の時から見ていましたが、身体能力の高さは窺えました。私も手が空いた時には民兵を見ていますが、中でも優秀ではないかと」

「そうか。それならばその者にも頼むとしよう」


 どのみち、黎基も一度民兵たちに顔を見せる。目が見えるようになったのだということを伝えねばならないのだ。


「愽展可はどうされますか?」


 昭甫がポツリと口に出した。

 その言い方が、聞く前から答えを察しているかのように思われ、黎基は言いづらいながらに答える。


「私の近くに置く」

「はあ。やはりそうなりますか」


 最初にお前があてがったのだろうと言いたいが、多分、昭甫が思っていたような扱いとは違ってしまったのだ。黎基が展可に執着しすぎていると感じているのかもしれない。


「明日のことだから、今日のうちに兵を集めて話そう。それから、少し馬に乗って慣らしたい。支度をしてくれ」

「はっ」



 そして、黎基は部屋に戻る。

 ずっと大人しく待っていた展可が尻尾を振った子犬のように駆けよってきた。

 誰かが出迎えてくれることがこんなにも嬉しいとは知らなかった。戦時中だというのに、心がふわりと軽くなる。


「おかえりなさいませ。いかがでしたか?」

「ああ、明日出陣することになった」


 正直に告げると、展可は唇を強く結び、覚悟を決めたようだった。


「そうですね。時を置くのは得策ではないのでしょう」

「展可は小隊ではなく、私と共に動くように」


 それを告げると、展可はパッと顔を輝かせた。その顔は、まるで愛しい男に見せるような無防備なもので、黎基の方が勘違いしそうになる。この表情のわけは恋心ではなく、忠誠心からであるとしても。


「はい! お役に立ってお見せします!」


 そういう張り切りは要らないと一兵士に言ってはいけないが、言いたくもなる。展可には無事で、こうして笑っていてほしい。

 黎基は曖昧に笑った。

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