9◇裏腹な思い
翌朝も、展可が目覚めると黎基がじっと展可の顔を眺めていた。
「で、殿下、あの、こ、これは……」
まさか、自分が寝ぼけて
しかし、黎基は横になって肘を突いたまま、やはりじっと展可を見て微笑む。
「昨日よりもよく見える。展可の寝顔がよく見れた」
「ええっ」
カッと顔が真っ赤になってしまったことも、今の黎基にはしっかりと見えてしまうのだ。黎基はクスクスと声を立てて笑った。
「可愛いな」
「な、何が……」
「展可が。可愛いものだと思って」
戦いよりも心臓がつらい。展可は襟元をギュッと握り締めて気持ちを落ち着けようとしたけれど、この状況で落ち着くわけがなかった。
幼い頃、嫁の貰い手もないと言われた自分を可愛いと言ってくれた黎基だ。そのことを思い出して、展可はどうしようもなく切なくなった。
「わ、私は男ですから、その、可愛いというのは……」
やっとの思いでそれを言うと、黎基はああ、と声に出した。
「すまなかったな」
「いえ……」
嘘だ。本当は女なのに、黎基に謝らせてしまった。
本当は、可愛いと言われて飛び上るほどに嬉しいくせに。素直に受け取れない。
「少し調子に乗りすぎた」
ぽつり、と黎基がそんなことを言う。先ほどまでの笑顔がどこか厳しくなった。
十年もの歳月、目を患ってきたのだ。それが見えるようになって嬉しいのは当然のこと。
しかし、黎基が気にするのはそこではなかった。
「展可は私の、皇族の血筋を尊んでくれているようだが」
「え、ええ、それは当然かと」
本当は、黎基個人に対して特別な思い入れがあるだけだ。むしろ、黎基を助けようともしない皇帝を尊敬はしていない。
しかし、何故黎基にだけ忠節を誓うのか、その説明ができない。それを避けるためには曖昧な返事でごまかすしかないのだ。
黎基はこの時、どこか悲しげに見えた。
「では、私がしたことは褒められたものではないだろう?」
「えっ?」
「霊薬を我が身可愛さに飲んだのだ。それほどの効力を持つ薬ならば、まず陛下に献上すべきところだろう。陛下を蔑ろにしたと糾弾されたところで、私は弁明すらできない」
そんなひどいことを言う者がいるだろうか。――いるからこそ、黎基はそこを気にするのだ。
あんまりだと思う。どうして世間は黎基にこんなにも厳しいのだろう。
「そんな……。誰であろうと、同じお立場でしたら霊薬を飲むはずです。殿下は長年苦しまれたのですから、それを責め立てるような人がいるのなら、私はそんな苦痛からも殿下をお護り致したく思います」
せめて展可は黎基の味方であると示したい。
ちっぽけな身ではあるけれど、それでも何かの足しになれば。
黎基に、この心が伝わっただろうか。
どこか幼い、昔を思い起こす笑顔を浮かべた。
「そう言ってくれるのなら、私は展可のことを信じよう。君は私の味方でいてくれると」
「はい! もちろんです!」
考えるよりも先に答えた。
こうして黎基の目が元通り見えるようになったのなら、父の罪は
――それは展可の願望であって、目が見えるようになっても黎基が苦しんだ十年が消えたわけではない。赦してほしいというのは勝手だ。
なんて馬鹿なことを考えてしまったのだろうと落ち込んでしまう。
黎基は
「さて、着替えよう」
そう言ったかと思うと、黎基は今までのように展可が用意せずとも、すでに椅子の上に置かれていた
そういえば、展可もこの状況では着替えることができない。これからどうしたらいいのだろう。女だと見抜かれるのも時間の問題かもしれない。
息を殺して縮こまっていると、黎基の手が展可の肩に載った。
「!!」
飛び上りそうな展可に、黎基はクスクスと笑う。
「少し昭甫たちと話してくる。展可はしばらく部屋で待っていてくれ」
「はい!」
よかった。これで着替えられる。その安堵を顔に出してはいけない。
もう黎基は見えるのだから、表情には気をつけねば。
しかし、ふと切なさが込み上げる。
今の展可に昔の面影は薄いのかもしれない。それでも、まったく気がついてもらえないのは、黎基にとって『祥華』の存在がちっぽけだからではないのか。
気づかれては困るのに、そんな裏腹なことを思う。十年も経ったから仕方がないけれど、それが寂しい。
展可は黎基が出ていった後、首から下げた天河石の粒を取り出して眺めた。これを見ても、黎基は思い出さないのだろうか。
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