7◇眠る激情

 あまりにはっきりと言ったから、劉補佐も郭将軍も愕然としていた。しかし、断られた方のダムディン王はどこか楽しげに見えた。


「ほぅ、断るか。それならば、霊薬はどうする?」

「何か他の手を考えます」


 黎基の声が冷え冷えとしている。いつものあたたかな響きがない。

 まさか、一兵士のために怒っているのだろうか。

 ――その、まさかだった。


「私の兵は、私につき従ってくれているのであって、私の所有物ではございません。私が差し上げられるのは私の身柄のみですが、それもお断り致します」


 身分に関わりなく、自分以外の人間は、自分の好きにはできないと言う。

 そんなふうに言ってくれたことが、震えるほどに嬉しくはあるけれど、展可にとって重要なのは黎基の目だ。


 ここでダムディン王の機嫌を損ねてはいけない。

 展可はとっさに声を上げていた。


「自分で決められるのが自分の身柄だけだとするのなら、私は自らの意志で行きます! ですから、どうか霊薬を殿下に……お願い致します」


 黎基も、劉補佐も郭将軍も、展可がそこまでする理由を探せないだろう。

 何が展可を動かしているのか、展可自身にもはっきりとは言えなかった。


 もちろん、父のせいで黎基が失明したのだから、それを償いたい。そして、黎基は国にとって大事な人だから、目に光を取り戻せるのなら、それは何を差し置いても優先しなくてはならないことだ。


 ――けれど本当はそんな理屈より、何より、展可自身が黎基のために何かがしたかった。自分にできることがある。それを選び取れるのだ。それなら、黎基のためになる方を選ぶ。


 名を偽り、性を偽り、年を偽り、偽りだらけでここにいる理由がそもそもそれなのだから。


 気がついたら、涙が零れていた。

 悲しいのではない。黎基の目が治る、その希望が一筋見えた。それが嬉しくて、涙になって溢れたのだ。


 黎基は、そんな展可の顔など見えないはずなのに、それでも顔をしかめたようだった。


「展可、私は君を犠牲にするつもりはない。私が行くなと言っているのだ。行く必要はない」


 展可の献身を、黎基は喜ばない。出過ぎた真似だと思うのだろうか。

 それでも、展可は引けなかった。


「殿下の御目に関わることです。私も引くわけには参りません。どうか、ダムディン陛下に霊薬をお頼みください」

「展可……」


 もどかしそうにつぶやく黎基に、ダムディン王は頭を掻きながらぼやいた。


「黎基、大局を見ろ。私情に流されるな。お前には成すべきことがあるのではないのか? その判断ができぬようでは、とても大事だいじなど成せぬぞ」


 もしかすると、ダムディン王は黎基を試す意味でこんなことを言い出したのだろうか。そして、黎基の答えはダムディン王を満足させるものではなかったのだ。


 上に立つ者として、他を生かすために一人を切り捨てるという判断が必要になる時がある。黎基にそれができるのかと、ダムディン王は知りたかったのだ。


 しかし、黎基はそんなダムディン王に対し、冷ややかな声で応戦した。


「でしたら、争って手に入れましょうか」

「うん?」

「現在、国王はあなたですが、あなた以外が王位につく可能性もまだ残されております。その御方が王になる手伝いをして、私はその暁に霊薬を求めますが、それでもよいと仰るのですね」


 展可の涙がスッと引いた。穏やかな黎基にしては過激なことを口にする。

 そのことに少なからず驚いた。こうした一面も持ち合わせているのかと。

 けれど、もし――と黎基は続ける。


「陛下が私に霊薬をお与えくださった場合、私は国の乱を平定するため、陛下と共に尽力いたしますと申し上げました。どちらに利があるか、お考えください。その上でお選び頂けますように」


 展可が思った以上に、黎基は怒っているらしい。

 物静かな中にも激情がある。目が見えないから、そうした部分を奥深くに沈めているに過ぎないのか。


 それならば、目が見えた時に黎基はどんな顔を見せるのだろう。

 知りたいような、知りたくないような、展可は複雑な心持ちになった。


 ダムディン王は、眉根に力を込め、深々と嘆息した。


「お前、俺が断ったら向こうと手を組むつもりか?」

「できれば、そうしたことは避けたいと思います。私は、ダムディン陛下を尊敬しております故、陛下の治世が末永く続いてほしいというのも本当です。私に恩を売っておいた方が、陛下にとっても得になるはずですが」

「よく言う」


 クッ、とダムディン王は笑ったかと思うと、先ほどとは打って変わって晴れやかな目をした。


「よかろう。では、霊薬を与える。ただし、この恩を忘れるな。国の平定の目途が立つまで援助しろ」

「もちろんでございます。ありがとうございます、陛下」

「明日の朝、俺のところに来い」

「はい」


 ダムディン王が去ると、展可は足元からくずおれた。脚に力が入らない。気を張っていた分、反動で抜けてしまったのだ。

 ――本当に黎基の目は治るのだろうか。治るのだとしたら夢のようだけれど。


「まったく、なんてやり取りをするんですか。肝が縮みましたよ!」


 劉補佐が黎基に小言を言うが、言いたくなる気持ちもわかる。しかし、黎基はそんな劉補佐に答えず、展可の前に膝を突いた。


「展可、私のためを思ってくれるのなら、軽はずみなことはするな」


 ピシャリと厳しい声だった。展可は涙を拭うと、手を突いて深々と頭を下げた。展可の行動は、黎基にとって不快でしかなかったのかと。


「申し訳ございませんでした」


 黎基はこの時、地に突いた展可の手に自分の手を重ねた。

 この手がどうして肉刺で硬いのか、今ならわかる。黎基はいつか目が見えるようになると信じて剣を振り続けていたのだろう。


 やっとその日が訪れるのかと思うと、展可の涙が乾く暇もなくまた滲んでくる。


「気持ちだけはありがたく受け取らせてもらう。それでも、展可には私のそばにいてほしいと思っている」


 黎基がそれを望んでくれるのなら、展可が他に何を言えるだろう。


「はい。どこまでもお供致します」


 すると、黎基はやっと、いつものようにして優しく微笑んだ。

 

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